神様の御手のなかでということは、
神様から逃げられないということではない。
西遊記で孫悟空がお釈迦さまの手のなかにあった
という表現ではない。
神様は拘束されるお方ではない。
御手のなかで休ませてくださる。
あなたがあなたのままでいられるように
守ってくださるお方である。
神様の御手のなかでということは、
神様から逃げられないということではない。
西遊記で孫悟空がお釈迦さまの手のなかにあった
という表現ではない。
神様は拘束されるお方ではない。
御手のなかで休ませてくださる。
あなたがあなたのままでいられるように
守ってくださるお方である。
そういえばそうだったと思ったのは
友人から連絡が入ったときだった。
教会行事には疎くなっていたからである。
聖霊は大勢の人が集まっているところに
しか下らない、とか、
聖霊を受けると疲れない身体になる、とか、
そんなことをずっと言われてきた。
大勢が集まるところとは教会のことであろう。
疲れない身体になるというのは奉仕をたくさん
出来るということであろうか。
つまり教会でたくさん奉仕をしましょうということ。
私生活は一切考えてはならないということなのだろう。
聖職者はそれが仕事なので良いのだろうが、
信徒はそうもいかないので本当に困ったものである。
メッセージを聞き分け、自分で判断していかないと
本当に大変なことになってしまう。
日々の激務で心身ともに疲れ果てたわたしに、
牧師はこう祈った。
どうか聖霊様、姉妹の疲れを癒してあなたの力を与え、
約束された疲れない身体を与えてくださいと・・・。
もちろんその後どうなったかは言うまでもない。
みことばはどうにでも取れるので、注意して読むことが必要である。
それこそ聖霊様に説いてもらうのもよいのかもしれない。
最近のわたしはとても幸せだ。
子育てが一段落したのもあってゆっくりしている。
いつに戻りたいかと聞かれても、
正直いつにも戻りたくない。
桜が散っていく花びらをみつめながら、
いつ取られても大丈夫だと思っている。
いま、このときを感謝できるのは、
神様とともに修羅場をくぐり抜けてきたからだ。
そう思うと納得できる自分がいる。
経験は宝物、旦那の口癖だ。
十勝は今日も皐月晴れである。
青い空に向かって神様ーって叫んでみた。
神様はいつも共にいらっしゃるが、
空、つまり天におられるイメージもある。
心のなかのこと、これからのこと、
過ぎてしまった過去のこと。
生きている以上いろいろあるが、
神様に叫んでみよう。
やさしい神様は聞いてくださる。
その答えが出るまでずっと・・・。
神様に救われてから新しい人生が始まるというが、
そうでないひとはどうなんだろう。
組織につながることが救われることではない。
しかし組織はそう教える。
新しく始まる人生も、それまでの人生も
神様のもとにある。
神様は一生を見守ってくださるお方である。
生まれるずっと前からあなたを知っておられる。
ずっとずっと愛なる神様のもとにいる。
心配も不安も何もない。
愛なる神様のもとに・・・。