そんなことがあるなんてと思われるかもしれないが、
神様は寄り添ってくださるお方である。
イメージとして、上から命令されるのをと思うが、
それは間違いで、いつもやさしく寄り添ってくださる。
人生のなかで悩んだときや、人間関係で悩んだとき、
それ以外でも、神様は知っておられるので安心である。
神様、今日も一緒にいて寄り添ってくださいと…
そんなことがあるなんてと思われるかもしれないが、
神様は寄り添ってくださるお方である。
イメージとして、上から命令されるのをと思うが、
それは間違いで、いつもやさしく寄り添ってくださる。
人生のなかで悩んだときや、人間関係で悩んだとき、
それ以外でも、神様は知っておられるので安心である。
神様、今日も一緒にいて寄り添ってくださいと…
ひとに相談をしたときにわかってもらえなくて
辛い思いをしたことはないだろうか?
そうかもしれない。でもわかってほしかったと。
ひとである以上共感してくれるひとを求めるのである。
ひとは経験をしなければわからないので無理もない。
でもわかってもらえないのはさみしい。
神様はわかってくださる。
なぜならばずっと一緒にいらしたからである。
わかってくださいと頼まなくても…
十勝にも春が来ようとしている。
例年よりも寒くない。
本当にありがたい。
人生にもこんなときがあるもので、
いまがそのときなのかもしれない。
怖い神様でなく、やさしい神様と一緒だから。
もういいかげん戦わないで平和に暮らしたいと
願いながら…
神様を信じたときに、いやそうでなくても
救いの約束はすべてのひとに与えられている。
しかし組織によってはまだ救われているわけではない
と言われることがある。
一体救いとは何だろう?
神様が無条件に与えてくださるのが救いであって、
何かをしなければならないということではない。
救いが無条件でなくなったのは組織のためである。
組織を運営するにはお金と人手が要る。
どうしても無償では難しいところだろう。
そんなことを思っていると組織では救いは
あり得ないのかもしれない。
神様が約束された救いはどこにあるのだろう。
自分が持っている能力を発揮出来ないということは
大変辛いものである。
仕事のことでは特にそう思うことが多いのではないか?
信仰生活をしていると、集会に出れないような
仕事はするなと言われることがある。
でもひとにはそれぞれ得手不得手があり、
何の仕事でも良いということではない。
わたしは接客業が得意であった。
しかしそれらは日曜日に出勤をお願いされる。
事務や作業の仕事が得意ならば何も悩むことは無かった。
本当は能力も神様が与えられたと思うのだが…
日曜日を休みにするため、得意でない仕事を点々としていると、
牧師がこんなことを言ってきた。
この世の仕事が出来ないみたいだね。
やっぱり献身したらいいよ。
先生らしい言葉だったが、仕事と献身は別のことである。
現在先生の息子さんがたが仕事にいき詰まって献身されたと聞き、
先生らしいと思い苦笑していた。
神様はひとりひとりに能力を与えてくださっている。
それを使わない方が…