十勝みのる教会

教会堂、献金、奉仕、集会がない教会。しかし、神様があなたを愛してくれていることだけを伝える教会。

寄り添ってくださる神様

2019-02-27 18:56:40 | 日記

そんなことがあるなんてと思われるかもしれないが、

神様は寄り添ってくださるお方である。

イメージとして、上から命令されるのをと思うが、

それは間違いで、いつもやさしく寄り添ってくださる。

人生のなかで悩んだときや、人間関係で悩んだとき、

それ以外でも、神様は知っておられるので安心である。

神様、今日も一緒にいて寄り添ってくださいと…




神様はわかってくださる

2019-02-26 11:26:09 | 日記

ひとに相談をしたときにわかってもらえなくて

辛い思いをしたことはないだろうか?

そうかもしれない。でもわかってほしかったと。

ひとである以上共感してくれるひとを求めるのである。

ひとは経験をしなければわからないので無理もない。

でもわかってもらえないのはさみしい。

神様はわかってくださる。

なぜならばずっと一緒にいらしたからである。

わかってくださいと頼まなくても…


春の訪れ

2019-02-18 10:15:38 | 日記

十勝にも春が来ようとしている。

例年よりも寒くない。

本当にありがたい。

人生にもこんなときがあるもので、

いまがそのときなのかもしれない。

怖い神様でなく、やさしい神様と一緒だから。

もういいかげん戦わないで平和に暮らしたいと

願いながら…


救いの約束

2019-02-17 11:48:59 | 日記

神様を信じたときに、いやそうでなくても

救いの約束はすべてのひとに与えられている。

しかし組織によってはまだ救われているわけではない

と言われることがある。

一体救いとは何だろう?

神様が無条件に与えてくださるのが救いであって、

何かをしなければならないということではない。

救いが無条件でなくなったのは組織のためである。

組織を運営するにはお金と人手が要る。

どうしても無償では難しいところだろう。

そんなことを思っていると組織では救いは

あり得ないのかもしれない。

神様が約束された救いはどこにあるのだろう。


タラントのたとえ

2019-02-16 18:07:01 | 日記

自分が持っている能力を発揮出来ないということは

大変辛いものである。

仕事のことでは特にそう思うことが多いのではないか?

信仰生活をしていると、集会に出れないような

仕事はするなと言われることがある。

でもひとにはそれぞれ得手不得手があり、

何の仕事でも良いということではない。

わたしは接客業が得意であった。

しかしそれらは日曜日に出勤をお願いされる。

事務や作業の仕事が得意ならば何も悩むことは無かった。

本当は能力も神様が与えられたと思うのだが…

日曜日を休みにするため、得意でない仕事を点々としていると、

牧師がこんなことを言ってきた。

この世の仕事が出来ないみたいだね。

やっぱり献身したらいいよ。

先生らしい言葉だったが、仕事と献身は別のことである。

現在先生の息子さんがたが仕事にいき詰まって献身されたと聞き、

先生らしいと思い苦笑していた。

神様はひとりひとりに能力を与えてくださっている。

それを使わない方が…