十勝みのる教会

教会堂、献金、奉仕、集会がない教会。しかし、神様があなたを愛してくれていることだけを伝える教会。

感情を解放する

2024-02-23 15:30:22 | 日記

毒親に育てられたり、アダルトチルドレンだったり、

教会に通っていたりすると、いつしか感情を失ってしまうことがある。

つまり自分軸ではなく他人軸になってしまうからである。

自分に感情があることさえも忘れてしまう。

親や教会から見れば手のかからないいい子かもしれないが、

これは精神衛生上とても危険なことである。

過剰に期待をかけられて、もうこれ以上出来ないともいえず、

耐え抜いたが壊れてしまったり、

その逆で、何も出来ないバカだといわれ続け、本当にバカになったり、

感情ばかりか心も、人格そのものを失ってしまうこともある。

それだけ環境というものは恐ろしい。

神様がそのままで愛しているといわれても、家庭や教会はそうはいかない。

頑張り屋さんの魂だからとはいうが、命がなくなっては大変だ。

そういう意味で、感情の解放は必要である。

しかし、劣悪な環境で育つとそれが当たり前になり、

自己発見をするのはとても難しい。


本当に疲れたときに

2024-02-21 21:30:02 | 日記

ひとである以上本当に疲れて何もしたくないときもある。

そうはいっても仕事があるし、日曜日には教会があるし、

休みがない状態が続くと疲れてしまう。

いろいろな事情があるかもしれないが、

休めるときは休むべし。

わたしも教会生活の無理が祟って特定疾患になった。

心身ともに健康でないとそれからの人生が大変だ。

これだけは伝えたいと思っている。


信仰をしなければ

2024-02-18 17:00:32 | 日記

信仰をしなければ、見えてくるものもたくさんあるはずだが、

信仰をしているばっかりに、わからなかったり、あきらめなければならないこともある。

ひとつの概念にとらわれすぎると他を理解するのは難しい。

これしかダメ、こういう考え方をしなさいと教えられるため、

視野がとても狭くなるばかりか、限定された人生になっていくのさえも気付かない。

若い頃に救い主を覚えることは良いが、教会で禁止されることが多いため、

ひととして大切なことを見失ってしまう。

伝道することは良いことだが、相手の気持ちを考えることは必要なことだ。

また教会出席は必要だが、大事なことのときはそちらを優先するほうがいい。

教会に行く前の人間関係は清算しろといわれるが、大切な友達をなくしたくない。

信仰のこと以外考えるなといわれるが、この世での生活がある。

婚前交渉はするなといわれるが、結婚したあとにできなくて困るひとがいる。

実際に旦那は今でもできない。

ひとの営みと信仰があまりにもかけ離れているため、ついていけないというところだが、

ここはひとつ、神様と教会の教えを分けて信仰をすることが望ましいのかもしれない。

ここで神様と教会はまったく違うことがわかったので、信仰をするのは良いとしても・・・

というところである。


すべてを満たしてくださる神様

2024-02-14 21:49:49 | 日記

神様はとてもやさしいお方なので、

必要なものをご存知である。

愛が欲しかったり、寂しかったり、

そんなひとにはとなりびとになってくださる。

お金や物だったら、誰かを通して与えてくださる。

わたしは神様ご本人が欲しかったので、

いつもそばにいてくださるのでありがたい。


誰かが伝えなければ

2024-02-13 16:59:10 | 日記

これは、本当の神様と教会での出来事の両者のことである。本当の神様については以前から伝えているように、そのままを愛してくださる神様、そして無条件で救ってくださる神様である。神様はやさしく、こちらから行かなくても迎えに来てくださるお方である。そんな本当の神様が、教会では外に出されていることが多い。教会ではその組織独特の神様がおられ、その教会にきたひとを蝕んでいく。牧師が神になっていることが多い。なぜならば牧師は神様と違って目に見えるし、声も出せるのでわかりやすいからだ。どうかすると神様のしもべである牧師のいうことこそ神様のいうことだと教えている。だから信者は牧師に意見することもできない。さらにその定義で牧師に従順を要求される。更に信者のランク付けをされ、信仰のしっかりした信者、まあまあの信者、普通の信者、信仰のしっかりしていない信者に分けられる。そうでないと牧会に疲れてしまうからだろう。牧師も人間であるので、自分に見方をしてくれるひとを大切にするので、そうしないと教会に行きずらくなるし、結婚式もしてもらえないし神学校の推薦状も書いてもらえない。推薦状に関しては、わたしの卒業した神学校ではわたしのことがあったので、推薦状無しでも受験することができる。福岡にある夜間の神学校なので、これにあてはまる教会のひとはぜひ行ってほしい。福岡に住んでいなくても通信で学ぶことができるので大丈夫である。そんな教会なら他に行きたいなと思ってもなかなか出るのが難しい。幸いにして出れたとしても転会した教会に手がまわり、迷惑をかけてしまう。それでも気にしないで来てくださいといわれればありがたいのだが。とにかくいろいろ面倒なのでそこまでしていく価値があるのだろうか。教会はきれいごとでまとめようとするので、児童相談所が虐待されている子どもを見つけ切らなかったというのに似ている。誰かが伝えなければわからないことも多いので、わたしはすべての教会を敵にまわす覚悟でこれを書いている。救われるべき魂を守るために・・・・。だからこそ平和にならず、自分の置かれている状況をもっと見てほしい。もしかしたらあなたも該当しているかもしれないのだから。実際に教会でもいじめや虐待はある。それはひとの集まりだから仕方がないと牧師からいわれたことがあるが、そんなところはないほうがいい。職場や学校、家庭その他で苦労が多いのだから、そのうえ教会でもということになると大変なので、大変なことは最小限がいい。それよりも神様はあなたの幸せを願ってあるのだから・・・・。