今年ももうすぐ行こうとしています。
今年も神様のあわれみによって守られたことを感謝します。
神様はいつもそばにいらしてよくしてくださいます。
今年も本当にありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。
今年ももうすぐ行こうとしています。
今年も神様のあわれみによって守られたことを感謝します。
神様はいつもそばにいらしてよくしてくださいます。
今年も本当にありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。
旦那の記事はいかがでしたか?
記事のなかに神様がいないと旦那は言いますが、
神様はいらっしゃいます。
神様は愛なるお方ですので、
自らを大切に思うことは神様のみこころです。
旦那が神様に出会うことができて嬉しいです。
人間である以上、上手くいく時もあれば、失敗する時もあります。
どうも、旦那です。
聖書に、「わたしが完全であるように、あなたがたも完全でありなさい」
「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」とあります。
また、失敗してしまいました。
そんな時「神様、失敗した自分を悔い改めます」と祈って、自分を責めます。
ふと、失敗したときの記憶がよみがえることがあります。その時も同じように自分を責めてしまいます。
こんなことを繰り返すうちに、どんどん自分が嫌になって生きていくことさえ苦しくて、
早く死んで天の御国に行きたくなりました。
その苦しみのなかで思いました。「これは幸せとは程遠い。まるで不幸だ」と。
「じゃあ、幸せってなに?」
少なくとも、自分が嫌だということではないはずです。
自分を大事に思う。たとえ清く、聖くなくても、失敗しても、落ち込んでも。
最初は、そう考えるのにすごく抵抗がありました。聖書的じゃないから。
でも、思い切って、慈しむというか、そんな自分が愛おしいと思うことにしました。
自分で自分をぎゅーっと抱きしめてあげる。気の利いた言葉なんていらない。
失敗した自分も同じように、ぎゅーっと抱きしめて。
そしたら、胸のなかが暖かくなって、なんだか幸せな気持ちになってきました。
いいよ。それでも。どんなときも。
ぎゅーっと。
クリスマスも終わり、新年に向かっています。
子供たちは自分たちの進む道を考えています。
さて、この進む道はなんだろうとわたしも考えています。
神様と相談をしながら・・・
神様はいつもやさしく見守ってくださるお方です。
導きの通りでなくても、やさしく、やさしく。
あなたのそのままが良いのだよと語られながら・・・
今日はイブであるが、教会ではクリスマス礼拝や祝会が行われている。
その習慣をやめてから20年以上経っているなと考えていた。
我が家では特に特別なことはしないが、ケーキだけは食べる。
それ以外はいつもと変わらない。
多分御子の誕生のときもこんな感じではなかっただろうか?
いつもと同じ日常を過ごしているときに救い主はこられただろうし、
羊飼いたちもたまたまだっただろうし、貧しいから最初にということでは・・・
神様はすべてをご存知の上でわたしたちに出会ってくださるお方。
何も特別ではないのである。
いつもと同じように・・・救い主の誕生を喜んでいる。