十勝みのる教会

教会堂、献金、奉仕、集会がない教会。しかし、神様があなたを愛してくれていることだけを伝える教会。

裏教会の不思議

2024-03-30 22:25:00 | 日記

今から8年前に十勝みのる教会は裏教会として誕生した。

表の教会に行けなくなってからしばらくは何も出来ない状態であった。

神様に導かれながら、慣れないパソコン作業をしていた。

完全に潜水艦となり、浮上することはなく、潜望鏡で困っている信者さんはいないかと

探し回る日々だった。

旦那は自殺は罪なので、殺してくれと叫んでいた。

神様をどう伝えたらいいのかわからず途方に暮れていた。

旦那と結婚してから28年、今日結婚記念日を迎えていた。

本当に不思議な不思議なストーリー。

来年度もよろしくお願いいたします。


十字架への道

2024-03-28 21:49:03 | 日記

イエスが歩いて行かれた十字架への道。

もちろん舗装はされていない砂利道だ。

そこにイエスの大量の汗が流れ落ちる。

イエスは無言でただひたすら十字架を担がれる。

多くのひとを救うためにイエスは行かれた。

無条件の救いを伝えながら。

赦されたものとしてこの救いを喜ぼう。

イエスの姿をみつめながら。

もう苦しまなくていいという

イエスのことばを信じながら。


イエスと共に歩む

2024-03-27 19:52:53 | 日記

受難週ということで、あちらこちらで十字架のメッセージが語られているだろう。

イエスの生涯の最終章としての十字架であるが、

それ以前にイエスと共に歩んできた人々が多くいる。

聖書で書かれていること以上にイエスはたくさんの人々に出会ったのだろう。

イエスと共に泣き、笑い、癒され、甦り、限られた時間の中で

たくさんの人々が過ごした。

共に歩む人生は今でも続いている。

イエスはいつもそばにいてくださるからである。


イエスとともにいる

2024-03-17 23:20:03 | 日記

何か特別なことではないが、

イエスとともにいることはありがたい。

イエスは神であるが、とてもフレンドリーで近づきやすいお方である。

何だかんだで面倒見がいいし、とても親切。

聖書に書かれているような気難しさはなく、とてもやさしい。

人々とともに生きるイエスの姿を見るたびに、心があたたかくなる。

いま一度、イエスのイメージを書き換えてともに生きるのもいいのかもしれない。

 


教会に行く意味

2024-03-16 19:02:47 | 日記

教会に、毎週のように行くのに対して抵抗があることはないだろうか。

元々の目的としては神様を礼拝するために行くのだが、

神様に会えなかったりすると、何のために行くのかわからなくなってくる。

教会員になってしまうと奉仕と献金が義務になり、

どんなに疲れていても、どんなに貧しくてもしなければならない。

また、教会員にならないとあのひとは何なのかという噂が立ち、

結局のところ礼拝に行きずらくなる。

どちらにしても大変である。

組織である以上人間関係があるし、疲れてしまうことが多い。

教会にふさわしくないひとはどうしても行けなくなる。

神様が招いてあったとしても。

それでは教会とは何だろうか。

そんな疑問も出てくる。

わたしは過去に行った教会が、牧師の機嫌を取らなければやっていけないところだった。

機嫌を取るのに疲れてしまい、いつしかわたしもいいたいことをいうようになっていた。

牧師はそれを責めたが、悪いとは思っていない。

何もしなければひととして終わるとこだったからだ。

こんなふうに書いているが、わたしも神様がちゃんといらして落ち着いて礼拝できる

無理のない教会があったらいきたいと思っている。

ごくわずかだがそんな教会もあることを信じたい。