教会に、毎週のように行くのに対して抵抗があることはないだろうか。
元々の目的としては神様を礼拝するために行くのだが、
神様に会えなかったりすると、何のために行くのかわからなくなってくる。
教会員になってしまうと奉仕と献金が義務になり、
どんなに疲れていても、どんなに貧しくてもしなければならない。
また、教会員にならないとあのひとは何なのかという噂が立ち、
結局のところ礼拝に行きずらくなる。
どちらにしても大変である。
組織である以上人間関係があるし、疲れてしまうことが多い。
教会にふさわしくないひとはどうしても行けなくなる。
神様が招いてあったとしても。
それでは教会とは何だろうか。
そんな疑問も出てくる。
わたしは過去に行った教会が、牧師の機嫌を取らなければやっていけないところだった。
機嫌を取るのに疲れてしまい、いつしかわたしもいいたいことをいうようになっていた。
牧師はそれを責めたが、悪いとは思っていない。
何もしなければひととして終わるとこだったからだ。
こんなふうに書いているが、わたしも神様がちゃんといらして落ち着いて礼拝できる
無理のない教会があったらいきたいと思っている。
ごくわずかだがそんな教会もあることを信じたい。