年末ということで、福の神を迎えたいと
思うひとは多いのではないか。
あるご法話で、貧乏神と福の神は兄弟なので、
いつも一緒にいる。
つまり福の神だけを迎えることができないと聞いた。
もれなく貧乏神も付いてくるということだった。
それだったらどちらもいらない。
どちらでもない、ニュートラルな状態で新年を迎えたい。
そんなことを考えていた。
年末ということで、福の神を迎えたいと
思うひとは多いのではないか。
あるご法話で、貧乏神と福の神は兄弟なので、
いつも一緒にいる。
つまり福の神だけを迎えることができないと聞いた。
もれなく貧乏神も付いてくるということだった。
それだったらどちらもいらない。
どちらでもない、ニュートラルな状態で新年を迎えたい。
そんなことを考えていた。
クリスマスはよく奇跡が起こる。
何処からのプレゼント、サンタがやってきた。
いつも機嫌が悪い人も笑顔になる。
街は活気にあふれている。
何よりの奇跡はイエスの誕生。
礼拝でもなく、献金でもなく、奉仕でもなく、
ただただ、あなたの存在をイエスは喜んでくださるのである。
わたしはすぐに来るといってこの世を去られたイエスだが、
もうすでに来られていることをご存知だろうか。
それは派手さはなく、ひっそりと来られた。
それはイエスの誕生のように、誰も知ることがなかった。
わたしはイエスのことを知ってから、
イエスがそばにいてくださるのを強く感じた。
つまりそれが再臨の可能性があるのかもしれない。
誰も知らないときに、ひっそりと来られて、
たくさん、たくさん愛してくださるのである。
十二月に入り、町はすっかりクリスマス一色になった。
今でこそ楽しいクリスマスといえるのだが、
教会に行っていたころはクリスマスではなく、苦しみます。
奉仕や献金に疲れていて、救い主の誕生どころではない。
今は何もない、純粋に救い主の誕生を祝うだけのステキな日。
声を大にして言おう。
苦しみませんと・・・。
今朝こんな夢を見た。
スーパーマンではないが、それらしいひとがやってきて、
本人はウーマンだと言っている。
教会からみ言葉ビームが出ているが、さらりとかわし、
また、信じないと呪われるフラッシュが来てもそのまま返している。
そのうち教会が吹っ飛び、壊れてしまう。
これでもう教会に行かなくてもいい、
献金も奉仕もしなくてもいい。
ありがとう、スーパーマンというおちだ。
本人は最後までウーマンだと言っている。
とてもおもしろい夢だった。