十勝平野にたくさんの雪が降り、
みるみるうちに純白の大地となった。
やっと冬らしく除雪にも精を出している。
そらには鶴が二羽飛んでいる。
雪景色には良い光景だ。
いつもは十勝晴れだが、今日は雪雲。
なんと美しいことか。
この地と生きていき、神様と共にある。
それがいつものことになっていることに
感謝していた。
十勝平野にたくさんの雪が降り、
みるみるうちに純白の大地となった。
やっと冬らしく除雪にも精を出している。
そらには鶴が二羽飛んでいる。
雪景色には良い光景だ。
いつもは十勝晴れだが、今日は雪雲。
なんと美しいことか。
この地と生きていき、神様と共にある。
それがいつものことになっていることに
感謝していた。
人生を振り返るときに、なんと無駄が多いのだろうと
思ったことがないだろうか?
目標が見つかったり、年齢を重ねていったり、
ひとそれぞれなのだろうが、神様はそこをあえて
通したのだから無駄ではないとおっしゃる。
そうですねと言いたいとこだが、それなりに
時間もお金もたくさんの犠牲を払っているので
素直にそう言えないというのが本当のところだろう。
一生懸命に生きてきたひとほどそう思うのだろう。
わたしは両親からは将来きちんと生きていくことが
出来ないので、特に存在価値はないと言われてきた。
どこへ行ってもいらないと言われてきたが、
神様はそうではない。
病気は治らないが生きている。
今が幸せならば無駄な時間も悔いることはない。
さあ、新しい人生を始めようと自分に言い聞かせ、
わたしは今日も生きている。
神様は後をついてきなさいとはおっしゃらないお方である。
ともにあゆむ人生というが、どういうことなのだろう。
いつもぴったりだと息が詰まると思うので、
神様は気配を消しておられることが多い。
困ったときやつらいときには神様はわかりやすいが、
他の時はいらっしゃることにさえ気付かないことが多い。
そのくらい神様は見守ってくださるお方である。
先日偉い先生が来られたので講演を聞きに行った。
確かに良い話なのだが素直に感動ができなかった。
これは今始まったことではなくて前からである。
ひとが感動して涙を流していてもそれが何かわからなかった。
感動できないどころではなく、何も信じられなかったのだ。
そんなわたしであるが、ただひとつ神様は信じることができた。
何故だかわからないが、神様の憐れみ、また恵みだろう。
だからトマスの記事を読んだときどうして信じられない
のかがどうしてもわからなかった。
感動できないときや信じられないときは無理をしなくていいのである。
神様はそのままを愛してくださるのである。
今日は息子の受験の日だったので、
昨日担任の先生に自信を持って行けと
励まされたと話していた。
この自信とは自分を信じること。
つまり自己肯定でないと成立しない。
自己肯定とは自分を肯定すること。
たくさん愛されたひとでないと難しい。
いままでそうでなかったとしても
神様は愛してくださるのである。