何日か前に十勝に初雪が降った。
他では積もっているということも聞くが、
まだ積もってはいない。
ここに住んでいれば雪は遅いほうがいい。
雪のある風景は遠いがありがたい。
あたりまえのことをあたりまえとして暮らせることが
今の自分たちの幸せなのだろう。
神様の言われたように幸せになることを考えていた。
何日か前に十勝に初雪が降った。
他では積もっているということも聞くが、
まだ積もってはいない。
ここに住んでいれば雪は遅いほうがいい。
雪のある風景は遠いがありがたい。
あたりまえのことをあたりまえとして暮らせることが
今の自分たちの幸せなのだろう。
神様の言われたように幸せになることを考えていた。
自分が信じている神様と教会で語られている神様が
何か違うと思ったことがないだろうか。
多くの教会の指導者が神様は愛だと言いながら、
厳しい神様のイメージを語ることがあるからだ。
神様のひととなりを知れば知るほどそうは語れない。
本当の神様を知っていればメッセージも楽に語れるだろうに。
そんなことを考えていた。
この世の中には直接神様を伝えていなくても、
幸せを伝えているひとがいる。
本人はそのつもりは全くないのだが、
人柄なのか、やっていることが面白いのか、
まわりのひとをどんどん幸せにしていくことが
本当にすばらしい。
宗教では救えないことでも救われることがある。
見習いたいものである。
何でもそうだが、人生に絶対はない。
それよりも絶対をおいて幸せになったひとはいない。
絶対こうだと自分を雁字搦めにし、
他を受け入れることができなかったりすると、
視野は狭くなるし、いいことない。
信仰も信じるのはいいと思うが、
こうしなければならないということになれば、
周りもきついし、何より自分が苦しくなる。
もっと自由に神様を信じたいものである。
神様はそんなことはおっしゃらないからだ。
信仰をしていて地獄絵図になったことはないだろうか。
救われるというよりはかえって苦しめられているような
ことになるのならしないほうがよい。
教会生活のごくあたりまえだと言われても、
いち度信仰をして離れたら裁きを受けるといわれても、
そこが地獄なら去るべきである。
最後に絡みついてくるのが人間関係だ。
家族だとか兄弟姉妹だとか言われても、
断ち切ることが必要だ。
もっと言うならば指導者が愛してると言っても、
後ろを振り向くことなかれ。
地獄絵図になりたくなければ早めに決断することが大切だ。
自分を守るために、本当の神様に出会うために。