宗教をしていると自己犠牲の考え方が美徳とされるが、
本当のところどうだろうと思ってしまう。
自分を犠牲にしてということはある意味自己否定に
なるのではないかと考えたりする。
神様はひとりひとりを尊いものとして創られたからである。
神様にとって尊い命を犠牲にすることはない。
たとえ立派な殉教者と言われなかったとしても、
神様のために生きていたほうがいい。
わたしもあのとき生きろと言われて今があるからだ。
宗教をしていると自己犠牲の考え方が美徳とされるが、
本当のところどうだろうと思ってしまう。
自分を犠牲にしてということはある意味自己否定に
なるのではないかと考えたりする。
神様はひとりひとりを尊いものとして創られたからである。
神様にとって尊い命を犠牲にすることはない。
たとえ立派な殉教者と言われなかったとしても、
神様のために生きていたほうがいい。
わたしもあのとき生きろと言われて今があるからだ。
底の下まで落ちて、もうこれ以上落ちないと
思ったときに、底の下から上を見上げると、
きれいな光が差し込んでくる。
こんな経験をしたことはないだろうか。
もちろん実際には落ちなくても、
精神的にそんな状態になることもある。
頑張ろうと思ってもこれ以上は出来なくなって
苦しんでいるときもある。
そんなときは無理をしないで休むことも必要だ。
組織や指導者になんと言われても仕方のないこと。
しばらく神様のもとで、光を見て過ごすのも
いいことだ。
宗教に入信すると組織の考え方や価値観に
ほぼ合わせなければならなくなる。
もちろんその他の組織でもそんなことはある。
しかし神様は個人の考えや価値観を大切にされる。
ひとりとして同じ人間はいないため、それぞれが
それぞれであるので、組織でまとめるのは難しい。
大きな組織的になればなるほどそれは明らかだ。
まとめやすいように、組織は独自の価値観を
持たないように教育するが、
神様はひとりひとりの価値観を認めて大切にされる。
この組織と神様の距離を縮めるには指導者の心掛けが
必要となってくるだろう。
神様の恵みがあふれて、あふれて、
流れ出すようなことを体験したことはないだろうか。
普段恵まれているからわからないかも。
恵まれるってどういうこと?
そもそも神様って?
いろいろなひとがいろいろなことを感じたりすると思うが、
神様はいつも一緒にいてくださるお方である。
だから何でもご存知である。
つまりひとりじゃない。
ひとりのほうがいいというひとには干渉されない。
そのままを受け入れてくださる。
こうでなければ愛さないではない。
導いてくださるが強制はされない。
見守ってくださるといったほうがよい。
どんなところからでも見つけ出してくださる。
つまり見捨てられない。
神様の恵みがあふれるとき、周りも幸せになっている。
なぜならば自分が幸せになっているからだ。
そんな神様の恵みをもっともっと...
今朝、みぞれ混じりの雨から雪が降り始めた。
今年もそんな季節になったかと思った。
しばらくしてやみ、そこに日がさして、
大きな虹が出ていた。
神様との契約である虹、あまりにも美しく
少しの間見ていた。
神様、これから冬になりますが、
事故や病気から守ってくださいと・・・