十勝みのる教会

教会堂、献金、奉仕、集会がない教会。しかし、神様があなたを愛してくれていることだけを伝える教会。

わたしもそのなかに

2021-09-30 18:24:13 | 日記

ふたり、三人とわたしの名のもとに・・・。

先日遠方から子どもたちが帰ってきた。

全員が揃うのは何年振りだろう。

一緒にご飯を食べるのも久しぶりで

それぞれの話を聞いているのも楽しい。

イエスもそのなかにいてくださる。

子どもたちは特に信仰をしている訳ではないが、

神様はひとりひとりを祝福してくださる。


与えられたものを大切に

2021-09-23 09:25:38 | 日記

神様はすべてのひとにタラントを与えている。

それなのに教会は日曜日の礼拝に出席できる

仕事をしなさいという。

しかしながら日曜日休みの仕事ばかりではない。

せっかくのタラントを使わなければもったいない。

そういうと神様を大切にしていないといわれる。

神様はそうはおっしゃらない。

神様のためにあなたがあるわけではない。

あなたのために神様があるからである。

神様から与えられたタラントを大切にして、

あなたが幸せになることを神様は望んであるので、

何も心配しなくてもよいのである。

献身者はそうではないといわれるが、

献身者も例外ではない。

なぜならば教会に献身するのではなく、

神様に献身しているからである。


神様の救い、ひとによる救い

2021-09-11 09:31:31 | 日記

神様のことを伝えるときに、救いたい一心で

神様のことを信じなさい、悔い改めて従いなさいと

いう伝えかたがあるが、かえって逆効果になることがある。

正しいと思っていることを伝えればよいというわけではない。

ひとにはそれぞれ今まで歩んできた人生があるので

すぐに信じることができるかというとそうではない。

何の疑いもなく信じることができれば恵みであろうし、

神様が働いてくださることで信じることができる。

無条件に救い、愛してくださる神様であるので

そこで初めて救われるのである。


救われるために失うこと

2021-09-09 17:31:16 | 日記

ひとにはそれぞれに大切にしていることがある。

しかし救いと引き換えに失ってしまうものも多い。

ひとつの概念、つまり教会で語られている救われる方法は

多くの大切にしていることやものを捨てなくてはならない。

それで教会を離れたら神様のことを知る前よりも罪が重くなると。

こんな救いを受けたいだろうか。

また継続したいだろうか。

神様はそうではないのに、教会はそう教える。

救われるために失うものは何もない。


悔い改めを促す霊がいるならば

2021-09-05 10:00:45 | 日記

悔い改めを促す霊がいるならば、

相手にしないことがよいだろう。

霊はとても巧妙で、

神様のような顔をして近ついてくる。

例えば聖書に書いてあるとか、

偉い先生がこう言っているとか、

あらゆる手段でくるので、

わかっていたほうがいい。

神様は悔い改めるよりも、

幸せになるほうがいいといってくださるのだから。