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文明化重視から文化再生へ、日本の文化の根源を支える、生業(なりわい)。その再構築にIT技術の導入を

ふゆみずたんぼで生態系保全農業。商工業はIT生産技術。出版はXMLフオーマット、フルバッチ制作で再構築を.

私どのの身辺で生じだしている異様な世界(1) 美しい日本の現実化

2008-03-30 16:05:28 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2008-3-29
いよいよ身近に危機が迫ってきている実感です。
これは直感ですが、精神的な危機と肉体的な危機、そして経済的な危機の3重奏というか
かって経験したことのない状況といってよいのでしょう。

1 私の真の友人夫婦の二男が、前週末に勤務先の工場の寮内で自殺してしまいました。
 年齢24歳の男子。大学を卒業して即、製造会社の開発部に勤務。半年後ノイローゼ状態で休職→療養。 先月、かかりつけの病院の先生からの、回復とのお墨付きで、再勤務して1ケ月。月曜日に出社しないと、工場の上司が寮にいって鍵がかかったままなのでたちって自殺を知ったとのこと。
 両親はとても、わけが分からず茫然。奥さまは土曜、日曜に連絡が取れあえていれば、話が聞けてこのようなことにならなかったのにと、自分の責める一方。詳細は不明なれど会社側にも難があった模様だが、何せ自殺されては何もできないと、友人はほぞをかんでいます。

2 先日も、親戚の友人の旦那から直接突然の電話。75才。安楽死の仕方を教えてくれないかと猪突に言われて絶句。体中が痛くてどうにもならないとのこと。奥さまも知らなかった電話らしく、横で電話の内容を聞いたのか、突然途中で割り込んできて、話は中断。びっくりしました。後刻電話を欲しいとのことで、翌日電話を入れましたら、「ああ、あの話、治ったら結構です。」と本人から元気な声で言われてしまいました。
 -典型的なアルツハイマー病の初期症状と、一応相談した友人の医者からひとこと。患者が、自覚して自分がどうなってしまうかが分からないために恐怖心でパニックになる典型例と診断された。
 昔から「くすり好き」な男で、大企業に勤めていて、定年退職。生活にはまったく困らない立場。気になっていたのは、会社を辞めてからみるみる生気を失ってきていたこと。

3 文京の古いマンションの周辺では、飛びおり自殺や事故があいついできるとのうわさ
でも、そのような話は新聞にも一切出ないし、日常化してしまったとの印象。
 でも、昨日、文京区小石川3町目で生じた、印刷関係の製本業の社長による、一家心中には改めてがく然。7人を刺して3人が実質死亡とのこと。
 妻の友人たちがたくさん住み地域でもあり、当初の新聞記事では名前が分からず、とても心配していました。
 直観として、倒産を連想した。昨日の朝日新聞等で名前もわかり、事情もわかったが、そこには救いようのない現実ばかりが浮かび上がってきてしまっている。
 こちらは「なりわい(生業)」の会社であり、とても厳しい現実の一端。



谷中七福神へ詣でてきました。

2008-01-14 22:20:44 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2008-1-14
 本日午前から、上野不忍池を起点として、谷中七福神巡りをしてきました。とても寒い、空はどんよりと曇って、この冬最低温度の日です。これで雨が降れば間違いなく雪となるね…。
 新年の神社を詣でる方々も少なく、ゆっくりと歩きながら待たされることなく、午後3時には、最後の「田端東覚寺」に詣でて無事終わりました。
 でも、40年以上文京区本駒込に住んでいながら、「谷中七福神」巡りをしたのは今回初めて。一度でもお参りしたことのある寺は、弁財天と最後の東覚寺だけで、ほかの5個所は初めての訪問でした。とてもゆったりとした、歩く距離としても最適で、来年再度めぐってみようと考えています。
 
 いただいたしおりには、「七 福 神 の お 話」として

 江戸時代から、正月に七福神詣でといって、不忍池弁才天・上野護国院の大黒天・谷中天王寺の昆沙門天・谷中長妥寺の寿老人・日暮里修性院の布袋和尚・日暮里青雲寺の恵比須・田端東覚寺の福禄寿の七福神に詣でることが盛んに行われ、別に山の手七福神・向島七福神へ詣でることも行われるようになったとのことです。
 天海僧正が、初めて家康公と会見されたとき、公は後に天下を治め給う福徳を具えた吉相をお持ちだと申し上げ、果してその予言はは適中し征夷大将軍の栄職に就かれました。
 その後後年、天海僧正は家康公に「公の御生涯は全く長寿・富財・人望・正直・愛敬・威光・大量の七福を具え給うにより、困難な天下統一の大業を完成され、平和な国土を築かれたが、これは神様で申し上げると丁度寿老人の長寿・大黒天の富財・福禄寿の人望・恵比須の正直・弁才天の愛敬・毘沙門天の威光、布袋の大量の御徳を表わしたものと云うべきである。」と申し上げ、家康公は大層お悦びになり、早速狩野法眼を召されて七福神の絵を画かれ、これが七福神誕生の起源とのこと。
 探幽画の七福神は忽ち評判となり、全国に模写して宣伝され、芽出度い宝船に乗った縁起のよい七福神は世人の最も喜ぶところとなって、絵画は勿論彫刻や陶器に至るまで作られ普及されるようになりました。宝船に一緒に集めたのは私どもの一身の上に七徳が具わることを現したものでありましょぅ。社会の荒波がいかに狂うても、七福の徳を具備すれば愉快に此の世を渡り、目的地に進むこ とが出来るのです。
 印度で信仰された大黒天・弁才天・毘沙門天に中国の寿名人、福禄寿や布袋和尚も加わり日本の恵比須神も共に組合わされて七福神として、この七徳は人生に欠くことの出来ない要素であるのでご利益を願うこととあって、七福神がそれぞれお持ちの七福徳を一身に具え、明るい楽しい生活を送りましょう。
 とありました。ちなみに谷中七福神とは、以下7か所です
①弁才天(愛敬)上野不忍池
②大黒天(富財)上野護国院
③毘沙門天(威光)谷中天王寺
④寿老人(長寿)谷中長安寺
⑤布袋尊(大量)日暮里修性院
⑥恵比須(正直)日暮里青雲寺
⑦福禄寿(人望)田端東覚寺



 

秋葉原での買物が続けられるのか(2)

2007-12-14 18:15:37 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007/12/13
 考えてみたら、当社でも仕入れて売るという行為をほとんど必要ない仕事になってしまっています。
 まず、パソコン関連がそうです。DELLでほとんど全てが買い。そろえられます。
今回の故障したメモリーの如く、一つのものが3つの価格があるような時は、まさに秋葉原で、現物と価格を調べ、でも購入は全ての面で、すでにWEB上で購入する事が当たり前になってしまっています。
 たまたまサーバー用のやや古いメモリーで、あきはばらでも現物がない状態。そこでWEB上では、たちまち見だせて、翌日には宅配業者が代引きで届けてくれた。

 スカパーでも同じ。TV本体はドンドン値引くのでこちらがやや呆れていたが、スカパー申込みを念を押されるので、なんでかと聞くと、正直に、TVでは儲からないが、スカパーを採用いただければ、そちらからマージンが入るという話し。
 
 パラポラアンテナの組み付け費用と、機器費用はすべて割り戻されるので無料ですよという、わけのわからない話もあって、まるでゼロエンで購入できる携帯電話の話と同じ状態。いったいこの業界はどこで収益を上げようとしているのでしょうか? よく分かりません

 でも、ハッキリとしたことは秋葉原の電気街でも、ものすごいひとが出ていますが買い物をする場ではなく、ショールーム化してしまったのだなと言うことです。
 さんざパソコン関連の買い物先として利用させていただいたラオックスが、
コンピュータ館を中心に再展開に入っています。
 商売を行っている方々には、とてもむづかしい時代に入ったなとの実感です。

秋葉原でのお買い物が、果たして続くのか(1)

2007-12-14 17:36:59 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007/12/13
秋葉原の電気街でSONYの40インチTVを購入した。その顛末。
秋葉原の家電量販店のトップ店では、ありとあらゆるTVが何十台も並び、結構多数の来店客で賑わっていた。商談中に何と、スカパーと、必須なパラポラアンテナ設置のことで意見交換中に購入予定品が目の前で売れてしまって、数万円高い買い物に。そして、割賦契約の話になったとたん、家電メーカの割賦子会社のここに詰めていた担当者が登場。即審査そして許諾にて契約が完了。
 翌日に都内の自宅に現物が届けられた。しかも物流業者が2人で来て、即組み立て、画面検証、操作説明で1時間で帰ってしまった。翌日パラポラアンテナも、1人で来て組み立てから説明までで丁度2時間。
 
 同時にサーバーのメモリーがパリティエラーを起こし、買い直しを行った。
DELLから4年前に購入したサーバーであり、DELL側はメモリーコストを\64,000.
ところが秋葉原の専門店で\14,600.-で取り寄せ
 そこで自宅に戻ってWEBで検索しましたら、\9,800。-
HP上で注文を行い、翌々日に入荷。設置しましたが問題なし。
 典型的な1物3価格です。

 そう言えば、広大なTVショールームでも多数の方々が、色々と見て歩いてましたが、そう言えばTV等を実際に買っているひとは殆どいない印象でした。


 

高尾山での超過密登山が生じたわけ。

2007-11-24 15:44:34 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007-11-24
 昨日、ブログに書きましたが、高尾山で、とんでもない目にあってしまいました。経験したことがないくらいの混雑で、まさに芋の子を洗う状況。
 原因として、ミシュランの日本紹介で、なぜか? 高尾山を三つ星として指定されたそうです。
 どうりで若者がとっても多く、外国人が異常な比率で合った理由のひとつがわかった気になりました。
 でも、これだけではない筈です。 

新社長を同行してのあいさつ回り(1)

2007-11-23 22:01:13 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007-11-22
 社長となった息子と2人で、都内の複数の顧客先に挨拶にまわった。
A社では、歓迎されながらも、息子がこれからどのような生き方を考えているのかを質され、「自然情報収集システム」のさらなる構築を主にと言いましたら、
 考え方としたNPOや行政を支援するとしては最高に立派。しかしビジネスとしてはお金の匂いがしない。どうするのかとの質問。いつもこの社長にはこの角度からお叱りをいただいてきただけに、やっぱりそうか。でも新社長がいろいろある中で、「自然情報収集システム」開発重視をまっ先に言ってくれたことは大変ありがたい。
 でも、この会社の社長らしく、早速自社の最新の製品を(Windows環境のミドルウエア)。改めてデモしてくれて、さらに取り扱えとの要望。承りました。また、共通の顧客先との今後のビジネスの在り方、最近の市場動向など意見交換

 今後の自由な立場から考えて、自分の仕事に使えそうと判断。許諾を頂いて借り出し、自分が使ってみる方針を決めた。その上で将来当社顧客先に提案も考えてみることに
 
 浜松町の駅に近い30年以上前から時々使っている「出雲そば」の老舗に入って昼食とする。東京でも最も早い時期に進出したこの老舗の店を、新社長(息子)に教えたことに。そう言われれば一緒の行動は殆どなかったということに気がついた

 午後からB社へ、社長と活発な話し合いが始まり、近々要望に沿った仕様のプロトタイプを作成して、ご覧いただくことで合意。かってWordがらみで開発済み要素技術があり、その機能が使えそうだと、新社長が具体的な提案。それで。
 改めていままで、老齢化した当方では、話合いにならなかった案件が、社長交代で一気に話が進みだす気配。 やはり考えた通りかなと納得

 近隣のC社へ、当社としては大きなプロジエクトを、先週納品したところ。
四方山話がとてもはずんで、すんなりと検収OKを頂けた。ほっとする。今後の開発案件に関しても、話が出そう。

 最後にD社へ。
 社長とは40年以上の付き合いがある、ここの同年配の社長とは先月来話しあってきた。そこでいま年が40前で取締役である若いご子息と、担当部長を交じえて、今後のビジネス構築に関して話し合いを行った。早速若い2人がとても一生懸命お互いに考え方をぶつけ合いが始まって、当方は聞き役に徹した。
 おたがいに良いパートナーとして育ってもらえれば幸いだと実感した。

 とても大変だったが、実り多い1日であったと認識しています。
はやく、会社の再構築をさらに進めて、アルバイトでもよいから新人を育てられる環境を、新社長のために準備することが、当方の堅い務めと、改めて実感した。
 来週以降も重要先から順次訪問して、挨拶と紹介と業務引き継ぎをかわしていく予定となっている。
 夜になって
1 会社で、自然保護関連任意団体の情報部会部長としてのレポートをまとめて、メールで送付。確認を頂けた。今後、100名ほどのメンバーと情報交換の方法を2年がかりで組み立てる。まさに予算ゼロの企画なので慎重にと

2 自然情報収集システムを検討いただいているX県あてに、見積もり原案をメールで送信する。大学とのパートナー開発会社として5年以上、新たなビジネスモデルを立ち上げるべき企画が成立するか、一つの絶好の機会になりそう。
 開発開始が7年前、今になってようやっと具体的な案件が軌道に乗り出したところ。どうなるか分からないが、新社長と2人で楽しみながら、いろんな事にチャレンジできれば幸いだなと、強く感じるこのごろです。
 


東京都下高尾山に”もみじがり”。その顛末と危惧すべきこと

2007-11-23 21:07:07 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007-11-23
本日は休日ということで、妻と長男と3人で、東京都下高尾山に行ってきました。天候は抜けるような秋晴れ。でも風はとても冷たく、コートを羽織って行きました。
 京王で終点の高尾山口で下車して驚きました。ものすごい人出です。デパート内の特売所と間違えるような人の群れ。トイレに入るだけで女性は20分程度を要するくらい。あまりにも野放図な人の数でした。当然山頂へもケーブルカーもエコリフトも1時間以上の待ちということで、話し合いのうえ、妻と歩調を合わせてゆっくりゆっくりと歩いて、ケーブル駅前を経由して高尾山頂へ向かいました。
(1) 今回は外国の方々が異常なほど多くて、ほぼ1/3程度でしょうか。中国系の方々(ほとんど団体の客)、そしてインド系の方が目立ちました。あちらでもこちらでも、日本語でない会話が大氾濫。大声で離されるので目立ちました。
(2) 乳母車での登山客がとても目立ちました。当然ですが若い親たちは大変な目に逢っていました。どうしてこんなに乳母車での幼児連れが急に増えたのでしょうか? 高尾山といってもとても急な山道の部分も多く、私ども老人たちの常識では乳母車で来る様な場所とは考えにくいのですが。
(3) 尾根沿いに山頂を目指しましたが、途中高尾山薬王院を抜けるところの階段では、とても狭く、きつい階段で押し合いへしあいとなってしまって、とても怖く
危険を感じました。誰も監視者も不在な状況となっていましたので、不測の事態が起こらなければ良いが危惧しました。
(4) さらにこの人込みではトイレの不足が致命的でした。山頂周辺では長い列です。
 高尾山頂でも休めるところもなく、早々と帰宅の途につき、山を迂回してケーブル駅に至れる4号路を選びましたので、混乱を回避でき、比較的静かな山道でした。エコリフト駅では1時間以上のまちということで、結果、やはり歩いて下山をしました。麓まで30分で降りられてビックリです。往路では1時間以上かかりましたが、帰路は若者も年寄りもなく同一歩調でどんどんおりられましたのでとても楽でした。道路はとても急でしたが、階段がなく膝にふたんがかからなかったのはとても幸いでした。妻はひざを痛めていて、何とか頂上まで頑張りました。帰路が
心配でしたが、頂上からの下りはとてもスムースに言って、本人もほっとしていました。
 ところで帰路、山を下りながら往路の階段の危険さを妻と息子と話していましたら
 途中、下から救急隊員がオートバイで2人、隊員を満載した軽自動車タイプで6台、登山口には救急車や消防車が何台も置かれ、さらに次々と駆けつけていましたので、先ほどの薬王院上の急な階段等で"しょうぎたおし”でもおきて、怪我人でも発生したのでは危惧しています。

 肝心の景観は、おすなおすなのなかで、まだ色づき出したところで、これからという感じでした。ひどいほこりで、さわにはほとんど水がなく山全体がからからの感じでした。
 2度と、このような時期に高尾山などに「紅葉を見に行く」などと考えてはいけない。と理解した次第です。


小石川植物園 ツマグロヒョウモンの群棲する木が出現。

2007-10-08 17:05:43 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007-10-7
 文京区・小石川にあります小石川植物園に参りました。
入口から坂を登りきった台地上に、とても広々とした正に植物園としての設備と広大な桜並木があります。その奥まった一帯が「野草園」となっています。
 あちこちでたくさんのツマグロヒョウモンを観察できましたが、この一角になんと20匹いじょうが群がった、一本の園芸用の木がありました。
 びっくりです。たまたま野草園に見学にきた方々も一様に驚いて、しかもここ5年ほど急激に増えた蝶だと話しますと、温暖化とからんで考え込んでいました。

 この木は、和名 フサフジウツギで、園芸家では、通常ブットレア、蝶の木と呼ばれる園芸種だそうです。原産地 中国で学名は「Buddleja davidil Franch」
生垣などに使われることが多く、沢山の蝶が集まってしまうので、好き嫌いされる園芸種だと、その場で見学にきた老婦人に教えていただきました。

 その他 ヒメアカタテハ×1、モンシロチョウ×3 とても小さい個体できになります。アゲハチョウ×1、不明小型のガ×1(よく飛び回って蜜を吸う)
 同時に20引きもの観察です。また、まったく手でつまめるような状態で、ツマグロヒョウモンが群がっていました。
ほとんど、しかも新鮮な雄がほとんど。ペアとなっている個体もあり、地上では斃死した雌の個体の周りを5羽ほどもたかってもいました。
 大きな「オオスズメバチ」が2匹。ぶんぶんしていましたので、その被害者かもしれません。

 小石川植物園も、すでに秋の風情です。園内最奥の沼周辺では
コサギ×1、カルガモ×2(PEA)、モズの高い鳴き声、キジバト×2(番い)
アキアカネ×30程度 多くはない、オーシンツクツク×1、ヤマトシジミ×異常なほどの数、アカタテハ、キタテハを観察できず、です。

本駒込の自宅から、文京区六義園を散策してきました

2007-09-21 17:52:39 | 東京の街角からモニタリングでわかること
 六義園の明るい園内での動き
園内での蝶の観察記録です
カラスアゲハ(1)、ゴマダラチョウ(1)、ツマグロヒョウモン(1)、クロアゲハ(4)、アオスジアゲハ(20+)、アゲハチョウ(10+)、ヤマトシジミ、ルリシジミ、モンシロチョウを観察。
 強烈な照り付けを感じる
 老木を淘汰し、園内には光が一杯になっている。樹木更新の真っ最中
 すでの5年ほど前の箇所は、折角の天井が緑に覆われて暗くなりかけている。
 まだ、渡り鳥たちは渡来していない
 カルガモもいない。どうしたか カメはたくさん、

 往復の自宅近辺で、ツマグロヒョウモンを2匹観察しています。結果本日だけで3匹観察しました。かって普通に見られたアカタテハやキタテハ等、ここ本駒込では目撃したことがありません。

 帰路に、都内の商店街としては著名な、田端銀座を久しぶりに歩きましたが、ここも商店街としては瀕死の状態の、典型例です。
 ほとんどシャッターが下りたままで、一通りも少なく、零細ななりわい(生業)商工業者の塗炭の苦しみを感じます。
 

都内のタクシー事情から

2007-07-19 18:25:24 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007/7/19
 本日所用で利用したタクシーの運転主との会話

○景気は→とても悪いよ。タクシーの台数が増えて、めちゃめちゃだ
○値上げするようだけど → 早くしてほしい
○ロンドンのように初乗りをやめて、リアルな距離だけで生産する方法がとれないの。また、JRの共通カードなどの利用ができないのか?
 たとえばJR田端駅から自宅までロンドン方式で計算すれば440円で済む。
とても使いやすくなるので毎日利用できるのだが‥。実際JRカードがバスにそのまま利用できるようなって、使ったこともほとんどなかったバス利用が毎日になった。
 → タクシー会社の方針で、カードや設備費用はほとんど運転手もちとなってしまってます。カード利用はその設備と8%もとられるカード手数料があるので、何もできません、とのこと。
 遠距離での高速利用も、帰りは運転手負担であるなどなど
 これでは、中小タクシー会社の経営者が一気に入れ変わらない限り、経営の混迷が結果として現場の方々にそのまま負担される仕組みでは、いかんともいがたい状況というべきでしょう。タクシー会社とはどんな仕組みなのでしょうか
 自家用車を捨てた立場からは、代わりに公共交通手段として、経営者側からのグッドなアイデアでの斬新なサービスを期待したいのですが。利用しやすい環境形成を期待しています

本駒込で、今年はじめてのツマグロヒョウモンチョウを観察

2007-07-19 18:07:02 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007/7/16
大型台風の通過した直後、うす曇りの中で、本駒込の自宅からJR田端駅に向かう路地の、とある住宅の路地先の植え込みで、今年初めて「ツマグロヒョウモン」の雄を発見しました。9ケ月振りかもしれません。
 相変わらず不用心で、手でつまめるような状態で吸蜜をしていました。
台風通過後の一時に、羽化したごとく新鮮な個体でした。今年もたくさん観察することになりそうです。その他としてはモンシロチョウが2羽ほど、これも久しぶりです。
 でも、キタテハやセセリ、ヤマトシジミやベニシジミ等のありふれた種類の蝶たちをまるで見ることができなくなっています。どうしたのでしょうか

ディズニーランドで、リピータの多い理由が、納得できました

2007-07-04 00:40:31 | 東京の街角からモニタリングでわかること
 6月の末に、次男夫婦が孫2人(4才と2才の女の子)を連れて1年半ぶりくらいに東京へ、自宅に泊って行きました。
 夫婦と、長男の3人で迎え、久しぶりに一緒に生活しましたが、心底疲れました。初日は秋田から直接浦安市のデイズニーシー前のホテルに荷物を降ろして見学、そして泊まり、翌日は早朝からデイズニーランドで5人+2人の孫の組み合わせで遊びました。 孫のエネルギーのすごさに圧倒され、親も子もない、おじいさんもない平らな人間関係を改めて実感。
 中では、1日に何回もパレードが行われています。乳母車がどっさりと並び、若い夫婦と赤ちゃん連れが、とても多いのですが、改めて生のパレードの面白さにほれ込みました。追っかけもさせられました。若いえりすぐりのダンサーがたくさん参加していて、その素晴らしい表現力と訓練ぶりがすごい。というか、ゴミを拾って歩くスタッフも、誘導係も。運転手も全員が心から感謝して手を振ってくれるさまに、本当の気持ちがにじみ出ていて、気が晴れてくるのです。これは実感です。
 だからこそ、その真のおもてなしに感動してリピーターが生まれるのだなと心から納得した次第です。良くもここまで教育(?)されたものだとの実感です
 孫の年齢から遊園地めぐりとなっていますので、乳母車も納得ですが
 さらに、食堂も最大で980円程度、で味はとてもおいしい味付けでした。
食堂でも、注文をして、その後の素早さは驚嘆しました。たった30秒程度です。
どのような仕組みと訓練によって可能になったのか、近々再度調査にいってこようっと考えています。大人の女性陣の買い物熱心さには脱帽し、その間、孫の後を追っかけるので手一杯。夜まで会場におりましたので、パレードの追っかけなど、孫が暗闇で迷子になるのではないか、その点がとても心配でした。

全国的に赤とんぼの数が激減との報告から、その原因の推測②

2007-07-04 00:13:40 | 東京の街角からモニタリングでわかること
かって、戦後の高度経済成長の始まりと前後して日本の多くの湖沼で、底泥に生じる水草が
一気に衰退してしまう事態が生じてしまったことがあります。
 それまで、モク取りと称して、湖沼からの水草捕りは地域での大きな収入源であったと聞いています。
印旛沼、手賀沼でも同様でした。
 この原因は、いま言えることは、戦後の一時期全国で一斉に始まった、除草剤を大量荷ばらまいたことに
その原因があることがはっきりとしてきています。
 原因は初期の除草剤には不純物が多く、大量のダイオキシンが含まれていたこととされています。

 これはダイオキシンは半減期が異常に長くて、40年以上経過した現在でも底泥中ではほとんど減っていないようです。
戦後の農政の原罪のごとく位置付けされざるを得ません。

 それだけに、第2の除草剤?と考えて、慎重に考えていく必要性が高いのではないかと考える次第です。

 ㈱トータルメディア研究所
荒尾稔 minoruarao@tml.co.jp

創業140年 どら焼きが評判 日本橋小舟町の清寿軒

2007-05-18 21:37:40 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007-5-18
 5月12日に、神田祭の山車の列のうしろを見学して、歩きながら文字通り発見した老舗です。
 
 店頭では休みの日らしく、訪ねるととても親切に相対を頂きました。
家族3人分として、どら焼きを3ヶ購入しましたが、540円でした。
後ほど、休憩地の公園で、頂きましたが、私どもの知っているどら焼きとはまったく異なり、大きな1枚の生地にあんこをたっぷりとのせて、そのまま2つ折りにした感じのどら焼きです。
 しっとりと薄味で、小豆の味がとても強く感じられ美味しいの一言です。
昔ながらの味を、ともかく一生懸命守って今に至った感じの老舗でした。
 派手な売り方をせず、1日の製造数が売り切れたらお仕舞いという商法なのでしょうか。
 殆どこのどら焼だけで商売をされているのでしょうか。
頂いたパンフレットでは、文久元年創業。江戸から伝わる手法と感性が生きる……
「1861年現場所で創業。初代店主・澤村清造の味と技術を継承し、140年以上にわたり多くの方々にしたしあmれてきました。現在は7代目が引き継いでいます
 昔ながらの手間暇をかけて作りあげる、手作りの当店の和菓子は機械では作り出せない繊細な風味を引き出しています。
 とあります

 写真は「神田祭」の一こま。武者行進と、小さくしっかりとかまえている清寿軒

 
 清寿軒 東京都中央区日本橋小舟町9-16 03-3661-0940 fax 03-3661-0930
 



あんみつ、くず餅の素材を店頭で製造・販売する福尾商店

2007-05-18 21:11:18 | 東京の街角からモニタリングでわかること
2007-5-18
 東京・JR神田駅直ぐそばにある福尾商店は、60年以上の歴史ある食品製造・卸・小売店です。
 5-17夕方に誓うに行きましたので、よらせて頂き、家族3人分の抹茶あんみつを購入しました。この”抹茶あんみつ”少ししか作れず、運がよいと別のお客から
推奨されたものです
 持ち帰って早速食しましたが、昔と変わらずとても柔らかく甘すぎもせず、しっかりと味が出ていて、おいしく安心して食べることが出来ました。

 かって55年以上前、ここの娘さんとは近くの神田小学校で同級生でしたので、どうされたかと聞きましたが、ピカ一美人とあって、今は浦和の方で静かに住まっているとのことで、残念ながらお会い出来ませんでした。ご兄弟の息子さんとのこと
 この神田須田町1丁目付近は、戦災で焼けなかった地区でしたので、この福尾さんのところを含めて、戦争直後の、あるいは戦前の建物がそのまま現在も使われている希有な箇所でもあります。
 当方の自宅は戦災で丸焼けに、ちなみに大正12年の震災でも焼いています。
 神田も久しぶりで、あちこちと廻りながら帰宅しました。


  有限会社 福尾商店 あんみつ ところてん くず餅 製造・卸・小売り
 千代田区神田須田町1-34 03-3251-1635(Tel & Fax)