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宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

今年の桜

2013年04月06日 22時49分00秒 | Weblog

とても忙しい。過去にないくらい忙しい。仕事もプライベートも。だからみかんの丘になかなか上がれない。
そんなこんなで時が過ぎ、桜の季節が巡って来た。そうだ、きっと咲いている。今上がらなければ今年の桜は見る事が出来ない。そう思って上がった昨日のみかんの丘は春の風情を見せていた。おととし植えた枝垂桜も満開なら、周りの山桜も満開。先日の嵐にも耐えていた。

みかんの丘はさくらの丘でもある。と書いたのは去年のブログだった。そう。今まさにここはさくらの丘だ。

パンスターズ彗星は結局明るくならなかった。あのヘールボップを眺め、百武彗星を撮影し、ルーリン彗星の動画を捉えた僕にとって、目で見えないほうき星はやはり魅力に乏しい。秋にやって来ると言うもう一つのほうき星に期待することにした。その頃には暇になっている事だろう。多分。

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黄砂な夕暮れ

2013年03月10日 09時32分20秒 | Weblog

大きなほうき星がやって来る。3月10日が太陽最接近。これは何としてもカメラに納めなくてはならないと思った。

彗星は汚れた雪だるまに例えられるように、宇宙の塵と氷を混ぜてギュッと固めたような構造だ。だから太陽に近づくと温められて氷が融け、それがイオンになって周囲の塵と共に宇宙空間に出てゆく。そして太陽からの光と粒子に吹き飛ばされて尾になる。

見えるだろうか。そんな思いでみかんの丘に上がったが、折悪しく中国大陸からの黄砂の塊が西日本に到達していた。はっきりしない空はそのままはっきりしない夕暮れに変わってゆく。それでもせっかく来たのだからと、日没前からしばらく彗星が居るはずのあたりを写してみたが、やはり分厚い黄砂に阻まれて何も見えなかった。

なにしろ昼過ぎから島影はおろか手前の岬まですっかり霞んでいる。この中にPM2.5とかいう汚染物質が混じっていると思うと気が重くなってしまう。ただ、黄砂の予報を見るとこれをピークにここしばらくは山が来ない。少し追いかけてみるかな。平日は仕事だから丘には来られないけれども、職場から見られるなら写真も撮れるだろう。

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まだら模様の夕暮れ

2013年02月09日 22時02分02秒 | Weblog

久しぶりだった。本当に久しぶりだった。挨拶に行ったらおばさんに、
「あんた病気にでもなったんか思うて今日来られんかったら電話しょう思うとったんよ。」と言われた。いや、病気になどなる暇は無かった。それに、今年92歳になるおばさんに体の心配を掛けるようでは申し訳ない。事情を説明した後しばらく世間話をして竹取庵に入った。

そう、少しは仕事もしなければ。竹取庵は北側に寝室の建て増しをもくろんでいる。そこで、上手からの雨と土砂の流れ込みを食い止める役割りも兼ねた地業をブロックで作る。春までにこれが出来れば、材木を買ってきて上屋を建てられるのだが。今日のみかんの丘は気温がまだ低いものの陽射しはうらうらとしていた。少し霞んでいるが島影もはっきりと分かった。

今夜はどうだろう、天気予報は晴れとはなってはいるが、一般の感覚の晴れと僕らの晴れはまた違う。そう思いながら作業を進めるうちに日が西の丘に沈む。暮れなずむ空はまだらだった。

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長い間放置していたら…

2013年02月05日 19時57分21秒 | Weblog

ある日ブログを開いたらテンプレートが居なくなっていた。
そうか、60日以上アップしないとこうなるんだ。

これって、「見せしめ」

でも悪いのは僕だから何も言えない。ただ、本当に忙しかった。これほど長期にわたって何も出来ない日が続いたのは初めてかも知れない。それでも今月30日にやっと一区切りついて、今は残務処理。もちろん次のしごとは目白押しだけれど。
今週末には丘に上がろう。もうかなり前から僕が僕で無くなっている。

今まで何をしていたか。上の写真に関係がある。これはトルコ中央高原にあるキュルテペという遺跡。4000年前に栄えた古代都市だ。ここから出土した一通のラブレター。それが僕を暇無しにした。手紙の主は「イナ・スエン」どんな人なんだろう。妄想だけが膨らむ。
今週末竹取庵の星空がきっとその妄想を払ってくれる。

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今年もみかん色

2012年11月25日 11時24分08秒 | Weblog

2回の完全徹夜を含む2週間の激務がなんとか終わって僕にとっての2連休。最初の休みは一日中寝て過ごし、翌日、何をすると言う事もないがみかんの丘に上がった。時刻はもう夕刻が近い。丘はすっかりみかん色になっていた。ああ、今年もこの季節がやってきたんだ。

夜には晴れるという予報が出ていた。晴れていたら月の拡大撮影に再度挑戦したいと思っていたが、体が思うように動かない。体が動かないと気力も出ない。気力が無いと、あのかぐや姫を操って拡大撮影をしてみても良い事にならないのは分かっていた。
少しずつ雲の量が減ってゆく空を見ながら少し残念に思う。まあ、みかん色の風景も見られたし、良いか。やってきた丘の番犬太郎としばらくお話をして丘を降りた。

その夜、食事をして外に出ると、予報通り月齢10の月が煌々と輝いていた。風もあまりない。お月様に言う。また今度ね。

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やっぱり曇り

2012年11月07日 00時15分49秒 | Weblog

撮影をあきらめて帰る途中で気が付いた。あ、植えたみかんに水を遣っていない。これではせっかくの苗が枯れてしまう。よし、明日も丘に上がろう。

と言う訳でやってきた翌日、丘は予報通りの曇り空だった。まあいい。同じ店でまた苗を仕入れていた。今度は2本だ。昨日は遅くて挨拶できなかったが、今日はおばさんの家に寄る。今年90歳。足は悪いが相変わらず元気そうだった。なかなか手入れが出来なくて、せっかくの丘のみかんが大きい木から枯れると詫びると、みかんが枯れるのは、私と同じで寿命が有るからだと笑う。大丈夫、また苗を仕入れたから今日も植える。おばさんも後20年頑張って欲しいとお願いして竹取庵に戻った。
昨日植えた苗の近くに続けて植える。元気に育てと祈りを込めて。明日は雨だ。水遣りは少しで良い。

真ん中を横に通る帯は娘さんたちが残している水遣りの為のビニールホース。このおかげで今年の渇水期もミカンは枯れずに済んだ。皆さんに感謝。そして今年も頑張って実を付けているみかんたちに有難う。来週と再来週は確実に来られない。丘を降りるのが名残惜しい。

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大失敗…見誤ってしまった設定

2012年11月06日 00時30分48秒 | Weblog

せっかく調整した赤道儀だ。星雲が撮りたい。もやの中でも撮影できる星雲は無いだろうか。そう思った時、西に傾きかけたはくちょう座に目が行った。そうだ、北アメリカ星雲を撮ってみよう。この星雲ならそこそこ明るい。ただ見た目の大きさが月の4倍も有る星雲だ。20センチ反射ではとても全体を写す事は出来ない。太陽用に使っていた12センチアクロマート屈折に取り換えて撮影してみたがやっぱり全体は写らなかった。
こうなったらと、望遠鏡からカメラを外してズームレンズを取り付けた。そしてズームいっぱいの135mmにしてテープで固定。赤道儀に載っている2本の望遠鏡の片方の筒の上にカメラを固定した。カメラ感度3200。絞りは解放で5.6。露出はいくらにしよう。赤くて淡い星雲だし、欲張って15分にしてみようか。

結果は画面真っ白。もやを忘れていた。そして、木立に阻まれて気付かなかったが、東の空から月が昇って来ていた。月の無い夜の設定を、この明るい空に当てはめてしまった。しかも、急に重いカメラをおかしなところに載せたために赤道儀のバランスが大きく崩れて星が流れている。大失敗。今からバランスを取り直しても、明るくなった空ではもう諦めるしかなかった。
家に帰って何とか画像処理して星雲を出したが、色成分が飛んでしまってほぼモノクロ。こんなものはアップできないと思ったが、リベンジへの道標。ここに載せておかなくては決心が鈍る。次はちゃんと撮ろう。

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新しい命を

2012年11月04日 01時00分59秒 | Weblog

仕事疲れと家の用事で今日はみかんの丘はやめようと思っていた。しかし、天気図を見ると今日しかない。明日は曇る。ひょっとすると雨かも知れない。と言う訳で重い腰を上げて出発。途中電材を買うためにホームセンターに寄ったら、まだみかんの苗を売っていた。かなり遅いけれども植えようか。そう思い立って手にしたのは宮川早生。丘の半分はこの品種だ。皮が薄くて甘い。

丘に到着したのはもう5時前だった。竹取庵の少し上に穴を掘り、おばさんの娘さんたちがもらってきた牛糞と一緒に植え込む。実はこの丘の西、少し離れたところに牛舎が有る。昔おじさんに教わった。鶏糞はみかんを酸っぱくする。牛糞は甘くする。堆肥だけではだめだそうだ。面白い話だ。

表土の少し下は風化した岩盤。もろいけれども掘るのには苦労する。植え終わった苗木に夕日が当たっていた。今夜は晴れ。ただ、少し靄が有りそうだ。写真が撮れるだろうか。

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久々のみかんの丘

2012年10月08日 01時31分50秒 | Weblog

追い立てられるように働くうち、夏は飛ぶように過ぎ、9月もいつの間にか終わっていた。やがてこの秋二度目の連休が来る。ここで丘に上がらなければ次に何時上がれるか分からない。そう思って二つのカメラの電池を充電し、何を撮影しようかと案を練った。しかし迎えた初日はベタ曇り。こうなったら2日目には何が何でも上がらなければ。 と言う訳でやってきたみかんの丘の空は一面雲に覆われていた。


今年は忙しくてみかんの実を間引くことが出来なかった。このため表作も手伝って、どの木もたくさんの実を付けている。あれだけあった雑草も雑木も、おばさんの娘さんたちが綺麗に片づけて、枯れていたみかんの古木も処理されていた。ああ、この隙間にまた苗木を植えなければ。本当は2年物の苗木は今頃植えるのだが、今年は苗を仕入れる時間が無い。

大工仕事をするでもなく、漫然と過ごしているうちに雲が西のほうから消えて行き、日暮れを迎える頃には青空が広がっていた。

あれ、この分なら夜は晴れるぞ。あわてて観測デッキに上がり、屋根を開けて懸案だったかぐや姫のメンテナンスに掛かる。鏡を洗い、ずれた光軸を直す。それはポツポツと星が現れる頃ようやく終わった。

 

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心去り難く

2012年08月30日 00時35分51秒 | Weblog

雲は東から西に流れていた。時計の針も11時近くを指している。帰らなければ。でも、観測デッキは月明りで足元がはっきり見えるほど明るい。もう少し居たら。月の神がそうささやいているようだ。

観測デッキ。竹取庵の屋根が出来たときここをそう名付けた。それから3年。ここは僕にとって特別な場所ではなく、居て当たり前のスペースになるはずだった。なのに、今年に入って特に、忙しくてなかなか来ることが出来ない。そう。「ここに来る」と言っている間は、竹取庵はまだ身近とは言えないのかも知れない。「丘に帰る。」「デッキに戻る」そう言って良い日はいつになるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながらこの光景に見とれていた。

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月夜に浮かれて

2012年08月27日 00時08分03秒 | Weblog

今日の日曜日、朝から頑張って仕事をした。だから日暮れ頃には、何とかひと成果上がったぞ、多分。と自分に言い聞かせてそそくさと帰宅。実は昨日寝る前に今夜の月齢を調べてみた。9.0だ。と言う事は、ちょうどコペルニクスが欠けた部分と昼の部分との境目に来るはずだ。これは撮らなければ。と適当に理由を付け、いつも通り大小二つのカメラを車に積んで家を出発する。

竹取庵に着く頃には心配した雲もほとんど消え、月の光が煌々と丘を照らしていた。それなのに月の周りの星座がはっきりと分かる。秋が来たんだと嬉しくなった。月の真下に横たわる大サソリ。その心臓を射抜こうと矢をつがえる射手座。本当にはっきりと見える。やっぱりみかんの丘だ。よし、まずこの光景をワイド画面に収めようと小さいカメラを出して気付いた。メモリーをパソコンに残してきたのだ。これでは撮れない。ああ、またやってしまった。あわてて大きいほうのカメラのメモリーカードをチェック。あ、こっちは入っている。やれやれ。

見事な月影につい浮かれてしまった自分が情けなく思えた。

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ふたたび幽月

2012年08月26日 09時54分47秒 | Weblog

おととい自宅の窓の下でコオロギの鳴く声を聞いた。いくら残暑が厳しくても秋はきちんとやって来る。荷物の片づけがあって上がった竹取庵にも秋の気配が漂っていた。忙しくて除草もろくに出来ていない丘はまだ夏草が茂っていたが、澄んだ空気を通して島影がくっきりと浮かび上がっていた。そう言えばあれほど喧しかった蝉が声を潜めている。本来なら写真を撮る季節と言いたいが、今年は忙しくてそれが出来るかどうか分からなかった。

竹取庵の上には上弦を少し回った月が昇っている。こうした昼間の月を『幽月』と名付けて2年を超える時が経っていた。この言葉を気に入ってくれる人の思い掛けない登場で、再びカメラを月に向けてみる。

機材は前撮ったものと同じ、観測デッキから取って来た8センチの屈折と小さいほうのカメラだ。前撮った時よりも空が明るいせいか月はより幽(かそ)けく写る。この月を気に入ってくれた人が前にもいた。時の経つのは早い。あと何度この月にカメラを向けるのだろうか。

とぼんやり考えていたら携帯が鳴った。そうだ、今夜は少し離れた街の天文施設で観望会だ。訳有ってお手伝いに行かなければならない。せっかくのいい空なのに。ごめんね。望遠鏡たちにお詫びをして丘を下った。

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夢の扉

2012年08月21日 00時25分49秒 | Weblog

かぐや姫の館「竹取庵」そのドアをどんなデザインにしようか。それは建物を作り始めた時からの課題だった。姫の館が姿を顕わし、内装の工事も次第に進む中、今年に入ってようやくドアの設計と施工に手を付ける時がやって来た。ところが、それと同時に過去に無いほどの量の仕事が押し寄せていた。忙しさの予感の中で、ドアにステンドグラスを入れること、そのデザインはかぐや姫に因んだものにすることという二つだけを決めたところで工事は足踏み状態となった。そこへ会社の大先輩がステンドグラスの制作を買って出てくれたのだ。
思いも掛けない助っ人。申し訳無いと恐縮ながらも、デザインを本気で考え始める。一番大きな窓に雲間の月を置き、下の窓には斜に切った竹を、また上の窓には兎をあしらった。一番下の小窓は空だ。パソコンのモニターに現れたドアは、まるで子供の漫画に出て来る様な幼稚なデザインに思えた。しかしまあ、これが僕の頭の中なのだ。居直って型紙を作り、先輩に渡したのが一月中旬。程無く使うガラスの見本を見せてくれ、やがて「出来たよ」というメールに、専用のケースを作ってもらいに行ったのが四月の末だった。それからドアが完成し、グラスが入るまでになんと3ヶ月半も掛かってしまった。

まあいいか。先輩夫婦も喜んでくれているし、でも色合いがやっぱり派手な気がする。これでは、ドアをノックするとうさぎがひょいと顔を出しそうではないか。うさぎか。良いな。そうだ、ドアの外に兎のウェルカムボードを置こう。
みかんの丘の竹取庵。入口でうさぎ達が歓迎してくれる。そう、このドアは僕にとって「夢の扉」なのだ。

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雲のチェッカーフラッグ

2012年05月10日 20時31分49秒 | Weblog

まだらな雲が西から東へかなりの速度で流れていた。この写真は露出がわずか2秒半。なのに下の景色に比べてずいぶん雲が流れて写っている。それほど上空の気流は速いのだ。黄砂はいつまでたっても少なくならないし、明日から仕事だ。雲を散りばめた空がチェッカーフラッグに見えてきた。そろそろ帰らなくては。

屋根を閉めて竹取庵に鍵を掛け、車に回ったところでみかんの丘の番犬太郎に逢う。ごめんねもう帰るよ。おばさんによろしく。手を振って丘を後にした。

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ゴールデンウィーク最終日

2012年05月07日 00時39分20秒 | Weblog

今年のゴールデンウィークは久々にこよみ通りのお休みをもらった。4月28日からの三連休と5月3日からの四連休だ。とりあえずドアを完成させるという命題が有ったため、この間昨日までに3回も丘に上がって来た。もちろん毎回カメラは車に積んではいたが、来客が有ったり天候が悪かったりと、星を撮る機会にはどうしても恵まれない。
このままではせっかくの大型連休を星無しで過ごすことになるではないか。いやだ。心の健康のためにそれだけは避けたい。と言うわけで、今日は何が何でも星を撮るつもりでやって来た。天気予報は雨のち晴れ。
晴れ。そう、確かに晴れなのだが、あたり一面春霞のようなベールに包まれている。島影もはっきりとしない。

まあいいさ、星雲や星団を撮影しなければいいのだ。3週間前に最接近したばかりの土星を写そう。そう決めていつも通り大工仕事に掛かる。ノミで玄関ドアの蝶番を埋め込む切込みを付けながらふと考えた。僕はいつまでここで大工さんをするんだろう。竹取庵を作り始めた時、完成は4年後と決めていた。なのにもう12年。まだ作り続けている。僕は何をやっているんだろう。どこまで作ってもまだ先が有る。なんだか自分がだまし絵の中の人物に思えてきた。

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