宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

細々と行われてきた撮影

2008年08月25日 21時02分11秒 | Weblog
望遠鏡を通して見た感動を記録に残しておきたい。それは星の道に入ったときからの思いだった。
かぐや姫の製作費は毎月の小遣いの中から捻出する。そのため、星野撮影に多くの費用は掛けられないが、それでも少しずつ写真は撮り貯められていった。
当時デジ一眼などと言う便利な物は無い。冷却CCDは高価過ぎて買う金も無い。15センチF5の反射鏡にカメラボディーを取り付けて、アイピースの視野に浮かぶ薄赤いリングの中のガイド星をひたすら追いかけた。
このプレアデスはその中の1枚だ。ISO800のフィルムに15分ずつ露出した3枚のフィルムをコンポジットしてある。街外れの道端ではこの露出が精一杯だった。
それでも、生まれてわずか数千万年と言う青い星の、ガス雲のゆりかごに包まれた姿をわずかに見る事が出来る。
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望遠鏡の名は『かぐや姫』

2008年08月24日 19時15分10秒 | Weblog
一人で作っているとは言え、部材の調達や塗装の乾燥待ちの都合で、望遠鏡は上部と下部別々に進行している。間もなく上部構造も完成する段階まで来た。そこで必要になってきたのが、この望遠鏡の名前とエンブレムだ。数ヶ月悩みぬいた末、名前は『かぐや姫』と決まった。エンブレムにはまだ幼い姫の姿を描き込んだ。月に群雲の着物、ウサギの打ち掛け、背景は竹林とした。
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望遠鏡の下部が完成

2008年08月24日 18時56分50秒 | Weblog
主鏡を支える18個のスタビライザーと鏡の周囲を均等に押さえるベルト。それとセンターリングをつなぐトラス。すべてがマンションの台所で組み上げられた。
鏡は早い段階で届いていたが、それを支える構造はホームセンターで入手できる部材を手にしてから設計に入る。完成が何時になるか分からないため、主鏡には鏡面の錆止めと保護のために透明アクリルの円盤が載せられている。
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宇宙(そら)をめざして

2008年08月24日 00時36分54秒 | Weblog
見たい。空のかなたを…
彗星の巣、カイパーベルトは無理でも、せめて近場の惑星を、小宇宙を、よりくっきりと。
そんな思いで始まった望遠鏡作り。
口径45センチの反射鏡はアメリカのメーカーに研磨を依頼した。F値は5.5。望遠鏡の焦点距離は長いほうがいろんな点で有利だ。しかし、自作での強度を考えるとあまり長くは出来ない。2メートル47センチはぎりぎりの長さだった。
設計から始まって部品を一つ一つ手作りし、組み上げていく。工房は小さなマンションの一室。建物は幸い、多少の音が漏れても迷惑の掛からない構造だったが、それでも深夜に思わぬ音が出ると気が引ける。
そんなこんなで2年の歳月が流れた。
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巨大彗星の接近

2008年08月23日 20時33分37秒 | Weblog
僕だけではないと思う。この彗星に揺り動かされたのは。
僕らの太陽系には、水金地火木というよく知られた惑星の外側に、惑星になりきれなかった星屑の吹き溜まりが有るという。
エッジワース・カイパーベルト。ゆっくりと太陽の周りを回るこの星屑たちが、お互いの重力や側を通過する小惑星の影響で軌道を変えられ、周りにある氷の粒や土くれをかき集めて太陽系の中心に向けて落ちてくる。それが彗星、ほうき星の正体だ。汚れた雪だるまとも言われるほうき星は、時に地球のすぐ近くを通る事がある。
ヘール・ボップ彗星、百武彗星、一度離れかけていた宇宙(そら)への道に、僕を引き戻したのはこの二つのほうき星だった。
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望遠鏡の威力

2008年08月23日 09時58分23秒 | Weblog
望遠鏡を発明したのはイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイだと言われている。彼が最初に手にしたのは口径たった3センチ倍率10倍の屈折式望遠鏡だった。それは、当時普及し始めていた眼鏡の凸レンズと凹レンズを一枚ずつ流用したものに過ぎない。
しかし、そのささやかな観測機器が人類にもたらしたものは大きかった。完全無欠の球体と言われていた月の表面を覆うクレーター。乳の流れと思われていた天の川を形作る無数の星々。そして、彼に地動説を確信させた木星の衛星たち。ガリレオがそれを目にした時、人類にとっての宇宙(そら)は明らかに役割りを変えた。
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宇宙(そら)について思うこと

2008年08月23日 05時33分21秒 | Weblog
晴れた夜、少し郊外に出れば空に見える星の数はびっくりするほど多くなる。しかし、その星々をつないで星座を作り、そこに物語を添えた人があることを知ったのは、むかし母が買ってくれた童話全集のギリシャ神話だった。
やがて父の与えてくれた小さな望遠鏡が星の世界の扉を叩き、ほうき星の接近が不思議の世界への道を照らした。
宇宙とは、なにも僕らの住む現実の世界から遠くかけ離れた場所ではない。ただ、その大きさも、繰り広げられている営みも、すべて桁違いのスケールだ。その、とてつもなく広大な光の砂漠の中の、たった一粒の砂。その砂粒のわずかな表面が僕らに与えられたフィールド。だからこそ、そのささやかなフィールドを大切にしたい。そこでめぐり合えた多くの仲間も猫もみんな宇宙のかけらであり珠玉の存在だと思う。
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