宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

ふたご座

2011年02月28日 21時33分53秒 | 

冬の星座の代表格オリオンの左上に、仲の良い双子が寄り添っている。この二人は大神ゼウスの息子なのに、なぜか兄カストルは人間、弟ポルックスは神として生を受けた。仲の良い二人だが、人間として寿命を持つカストルは、やがて不老不死の神ポルックスと死別する事になる。これを悲しんだポルックスは父ゼウスに、自分の寿命の半分を兄に与えてほしいと頼んだ。ゼウスはこれを受け入れ、二人は今でも足を冬の天の川に浸しながら仲好く肩を組んでいる。 
美しい兄弟愛。でも待て。ポルックスは不老不死のはずだ。無限大の寿命の半分はやっぱり無限大ではないか。ポルックスも考えたものだ。それともゼウスはこれを知っていて願いを聞き入れたのだろうか。

まあギリシャの神の話はともかく、この双子の周りにはやたら散開星団が多い。肉眼でも雲のように見えるプレセペは前に写真を撮ったが、そのちょうど反対側、カストルの足元には満月ほども大きさの有る散開星団M35が存在を誇示している。ふたご座は僕が中学校の頃から好きな星座の一つで、前から撮って置きたいと思っていた。望遠鏡からカメラをはずしてズームレンズを付け、焦点距離を28、絞りを5.6にセットして撮影を始めた。もっと長く露出して天の川をはっきり写し取る予定だったが、西のほうから流れてきた雲に阻まれてやむなく100秒ほどで露出を中断、竹取庵の屋根を閉めた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪華な散開星団

2011年02月27日 21時20分46秒 | 

冬の大三角のうち、おおいぬ座のシリウスと小犬座のプロキオンを結ぶ線のほぼ中間あたりに、双眼鏡でもぼんやりと見える光の固まりが有る。いっかくじゅう座の散開星団M50だ。地球からの距離は3300光年。望遠鏡で見ると、満月の半分くらいの領域に無数の光の粒が輝いて美しい。
望遠鏡の口径が大きくなればなるほどその星の数が増して豪華だと、昔の天文学者たちは絶賛した。確かにそうなのだが、写真に撮ってみると星団そのものが天の川に埋もれてはっきりと分からない。また、今夜のように空全体が薄いベールを掛けたようだと、奥に有る薄ぼんやりとした星の群れが、画像処理の段階で埋もれてしまう。アルビレオもそうだったが、カメラの中に光を蓄積することで浮き出てくる淡い星雲と違って形のはっきりした星団や惑星などは、やはり「眼視」と呼ぶ肉眼観測のほうがより良く見えるのかも知れない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星は死して殻を残す

2011年02月26日 23時49分33秒 | 宇宙

最後に星を撮影してもう1カ月が経ってしまった。ようやく訪れた撮影日和。この天気、夕方まで持つかなと半信半疑で上がったみかんの丘はもう春の匂いがしていた。日が落ちるまで大工仕事をして、天気はどうかなと外に出てみると薄もやながら久々の星空だ。これはいけるかなと竹取庵の屋根を開ける。まだ明るさの残る空に冬の星座が鮮やかだった。
東の空には早くも春の星々が顔をのぞけている。これはまずい。実はこの冬こそ撮ろうと思っていた星雲があった。雄牛の右の角の先、メシエカタログの1番「カニ星雲」だ。今まで何度も狙いながら思うような画像が撮れず、ずっと宿題となっていたのだが、このままではまた撮れず終いになってしまう。望遠鏡にカメラを取り付けて感度を2500にセット。この星雲は結構明るい。この感度で撮れるはずだ。ただ20センチでどこまで出るのだろうか。露出を2分、3分、5分と撮っていく。その3枚を画像処理して重ね合わせたのがこれ。大望遠鏡のようにフィラメントと呼ばれる光の筋をそれほどはっきり写し取ることは無理だったが、まあ何とか良い事にしよう。望遠鏡の改造が功を奏したようだ。

この星雲は今から1000年近く前に大きな星が大爆発を起こした名残りだ。超新星爆発という名は、何も無い様に思われていた場所に、いきなり明るい星が現れるということからきている。この星は地球から7000光年とかなり離れてはいたが、爆発の輝きは夜の地上を煌々と照らしたという。見てみたい。どんな情景なのだろうか。ほとんどの星は最後を迎える時大なり小なり爆発を起こす。それは大きい星になればなるほど激しい。爆発のシステム自体が小さい星と異なるのだ。星は死して爆発の名残りの殻を残す。そしてその殻は今でも膨らみ続けている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空の通り道

2011年02月02日 05時55分43秒 | Weblog

ただの愚痴になるが、このみかんの丘で写真を撮っているといつも思う。飛行機というものは利用するには便利が良いが、星の写真を撮る時には極めて不都合な存在だ。これまでにも何度か書いてきた通り、星雲の写真を撮ろうとして一番気になるのが飛行機だ。何しろ、みかんの丘では夕方から午後10時ごろにかけて、ジェット機のエンジン音がひっきりなしに聞こえている。
この前の日曜日に冬の星座を撮った時も、多い時は見回すと同じ空に6つ以上の機影が確認できた。撮影に使っているのは画角の広いワイドレンズだ。だから写り込む確率が高い。カメラのファインダーの中に飛行機の明かりが有ると、そいつが居なくなるまで5分でも10分でも冷たい北風の中をじっと待っていなくてはならない。よし消えたとシャッターを開いたとたん空に光が瞬き始める事もある。

わずか20秒露出している間にこんな賑やかな写真が撮れてしまうことさえ珍しくない。まして10分も露出していると上の写真のように航跡の乱舞を記録する事になってしまう。言い訳になるかも知れないが、これでもシャッタを開いた時は機影など見えなかったのだ。

普通は失敗作としてボツる写真だが眺めていてふとアップする気になった。アップしたとたん、これも作品に見えてくる。不思議なものだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする