技術構造分析講座ブログ

東工大の科学史・技術史・科学技術社会論・科学方法論研究室のブログです。公式情報、研究の詳細はホームページをご参照下さい。

米国原子力委員会正史の「前書き」を読んでみた (くりはら)

2011-04-23 15:57:39 | Weblog
『火ゼミ通信』第78号(2011年4月22日)に掲載した,私の記事を転載します.このブログの4月16日の記事もご参照下さい.

-----
 米国の核開発を管轄するエネルギー省の前身組織の原子力委員会 (U. S. Atomic Energy Commission) は、3巻の正史 (official history) を出版しています。第1巻のNew World、2巻のAtomic Shield、3巻のAtoms for Peace and Warで構成されており、第二次世界大戦期のマンハッタン計画から、アイゼンハワー政権末までを扱っています※。
 各巻にはそれぞれ2名の執筆者がいます。全巻の執筆に参加しているヒューレット (Richard G. Hewlett) は正史家 (official historian) と呼ばれ、機密文書にアクセスする資格を持っている歴史家です。ヒューレットは戦時中に陸軍航空隊で気象に関する観測機器の開発と運用に参加した後、歴史学で学位を取得しています。戦後はソ連の産業に関する情報を分析する専門家として空軍に勤めた後、原子力委員会に転職し、機密文書を扱って財政に関する報告書を作成する作業に参加していました。この経歴から、ヒューレットは科学や技術と歴史学の素養を持ち、軍と原子力委員会の内情に接する機会を持っていたと言えます.
 各巻の冒頭には「注意書」があって、「ここで表明された著者らの意見や見解は、必ずしも米国政府やその諸機関の意見や見解」ではないと書かれています。つまり、正史といえども、原子力委員会の公式な見解ではないとされています。
 正史の1巻と2巻を編纂しているのは、原子力委員会が設置した歴史諮問委員会 (以下、諮問委員会) という組織で、1巻は6名、2巻は7名の科学者や歴史家などで構成されています。執筆者はこの諮問委員会の委員ではありません。1巻と2巻の前書きには,諮問委員会と執筆者の間の関係について書かれています。
 1巻には、執筆者が安全保障上の問題を除いて自由に執筆したとあります。2巻には、諮問委員会が本書の記述について出典を詳細に検証しておらず、本書についてあらゆる権威を加味しないとあります。また、内容の解釈について執筆者と何度も議論してきたともあります。そして、3巻には、理由がわかりませんが、1、2巻にあった諮問委員会がなくなっています。つまり、諮問委員会と執筆者は、どの程度かわかりませんが相互に独立しており、さらに2巻の編纂中に意見が異なっていたことが示唆されています。
 1巻の諮問委員会には、マンハッタン計画でシカゴ冶金研究所の所長を務め、軍と科学者の双方から信頼されていた物理学者のA. コンプトン (Arthur H. Compton) の名前もあります。1巻と2巻の双方の諮問委員会に名前があるのは、ハーバード大学の政治学者で『政府と科学』(みすず書房、1967年) などの著作で知られているプライス (Don K. Price) だけです。プライスは1945-6年の間に行政府の予算局に勤務し、原子力法や全米科学財団法の起草にも参加していたので、行政府の内部事情に精通していた人物です。目についたのは、2巻の諮問委員会に名前のある物理学者のR. R. ウィルソン (Robert R. Wilson) です。ウィルソンはマンハッタン計画に参加していましたが、戦争が終結すると原子力の国際管理を提唱するロスアラモス科学者協会の設立に参加し、いわゆる「原子科学者」の中心的な役割を果たした人です。戦後設立された批判的な科学者の団体である米国科学者連盟の委員長も務めています。このように、諮問委員会には様々な立場の人がおり、バランスのとれた配置になっていたように見えます。
 正史3部作は、米国の原子力開発の歴史について、きわめて詳細に出典も明記して記述されており、歴史研究をするうえで出発点となる重要な文献です。しかし、すべてのことが書かれているわけではなく、マーシャル諸島などの核実験場でヒバクした人々のこと、戦時中から行われていた放射線人体実験のこと、放射性物質を兵器として使用する放射能戦の研究のように、米国にとってきわめて都合が悪いことについては、ほとんど記述がありません。また、外部の者が史料にアクセスできず、検証できないことも含まれています。
 そのような欠点がありつつも、記述されている内容に限れば今でも信頼されているのは、それなりに工夫と苦労をして編纂・執筆されたからなのだと思います。

※ 3巻の正史は全巻を無料でダウンロードできます。以下のサイトで各巻のID番号を入力下さい。1巻: 4597121, 2巻: 4582828, 3巻: 6150636.
URL: http://www.osti.gov/energycitations

2011年4-7月の火ゼミの予定 (くりはら)

2011-04-16 17:40:54 | Weblog

2011年4-7月の火ゼミのスケジュールが決まりました.関心のある方はぜひご参加ください.事前登録は必要ありません.

時間: 15:00 開始 (13:20に開始する日もあります)

場所: 東京工業大学大岡山西9号館4階407号室(ゼミ室)

変更があった場合,下記のサイトで連絡します.
http://www.histec.me.titech.ac.jp/course/kazemi.htm

4月
  5日 休み
12日 休み
19日 休み
26日 中村邦光「江戸時代後期(幕末)の東日本における畑作中心地域(養蚕地域)の農民の特性と和算文化」

5月
  3日 *この日は13:20より開始
       山田俊弘「日本地学史のいくつかの課題―「日本地質科学史案内」の作成にたずさわって」
10日 奥田謙造「コールダーホール型原子炉導入と日英関係」
17日 平野琢「日本における技術者倫理の活動の様相と課題―日本の原子力技術分野を中心にした考察」
24日 喜多川進「ドイツ容器包装廃棄物政策史1970-1991: 環境政策史と環境史の比較をふまえて」
31日 野津憲治「日本へ地球化学を導入した柴田雄次は新元素発見を目指したのか?」

6月
  7日 *この日は13:20より開始
       山本啓二「占星術の歴史研究について」
14日 柴田和宏「フランシス・ベイコンの物質理論」
21日 休み
28日 *この日は13:20より開始
       前半: 舘野淳「技術面から見た福島原発炉心損傷事故」
       後半: 牧野淳一郎「福島原発で起こったこと --- シミュレーションから考える」

7月
  5日 山中千尋「日本近代における学術振興の展開」


米国原子力委員会の正史3部作 (くりはら)

2011-04-13 23:22:13 | Weblog

福島第一原発の事故はまだ続いています.

私たちの講座は,科学や技術の歴史を研究するところです.この事態について,歴史研究者として何をするべきか,講座の内外でさまざまな議論がなされています.その一つとして,日本の原子力開発の「正史(official history)」を作成しようというアイデアも出ています.

どうなるのかは,まだまだ議論中ですが,参考になるのが,米国の原子力委員会(AEC)が出版した正史の3部作です.第1巻のNew World, 第2巻のAtomic Shield, 第3巻のAtoms for Peace and War です.

この正史3部作には,米国にとってきわめて都合の悪いようなこと―――放射線人体実験,マーシャル諸島などの核実験場の被害,放射性物質を利用した兵器開発など―――は,ほとんど記述されていないという欠点があります.

とはいえ,マンハッタン計画から1961年までの米国の原子力開発の歴史をについて,政府の内部文書を駆使して,決して自画自賛ではなく,政府内部の混乱や批判的意見やメディアを含む一般の批判的議論などを含めて,きわめて詳細に,出典を明記して記述されています.今でも,米国原子力開発に関する歴史研究の出発点になる重要な文献です.

歴史研究者として,このような正史の日本版を,日本でもつくることが重要だと思います.さまざまな議論がなされる分野ですが,正史があれば,議論の土台というか,出発点をつくることができると思います.

もちろん,正史を作成するとき,自由に歴史を記述するという保障が必要でしょう.政府や行政機関や,関連企業や団体にとって都合のいいことだけを書き,都合の悪いことを書かないということであれば,単なる「御用学者」になってしまいます.そのような歴史書なんて,誰も見向きもしないでしょうし,そもそも作成する意味がないです.どうやって自由を保障するべきか,これが問題でしょう.

何はともあれ,米国AECの正史3部作が,重要な先行事例になると思います.今では,これらをPDFファイルで無料でダウンロードできます.ご関心のある方はどうぞ.3巻のAtoms for Peace には,紙版にあるForewordがありませんのでご注意下さい.

New World (1964)

Atomic Shield (1969)

Atoms for Peace and War (1989)

 

 


福島県いわき市の現状(こばやし)

2011-04-09 08:12:49 | Weblog

研究室でもこの震災については大きな関心となっています.

福島県は福島第一原発の事故のために,かつてないほど「福島」が報道されています.しかし,いわき市などの他の浜通り地方,中通り地方はあまり報道されていません.

東京から見ると福島は点にしか見えないようですが,面積は岩手県に次いで2番目に大きい県です.とうぜん,場所によって被害の状況が異なります.

いわき市の状況について記事がありました.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110405-00000548-san-soci

私の友人の話では,中通りでも土砂崩れを伴う住宅の倒壊があるようですが,ニュースではほとんど見たことがありません.

風評被害を防ぐためにも,政府とマスコミにはもっときめ細かい報道(地理的関係も含めて)を期待したいです.