技術構造分析講座ブログ

東工大の科学史・技術史・科学技術社会論・科学方法論研究室のブログです。公式情報、研究の詳細はホームページをご参照下さい。

第9回東アジアSTS会議 9th East Asian STS Network Conference

2009-04-21 15:44:24 | Weblog
 2009年4月16-17日に、台湾の台南市にある成功大学で、東アジアSTSネットワーク第9回の会議が開かれました。写真は、ネットワークの会議の風景です。17-18日には、台湾のSTS学会の発足式があり、17日には二つの会議合同で会議の引き継ぎが行われました。
 韓国にも小さいながら学会があり、中国は自然弁証法の研究会の分科会としてSTSの部門があり、日本のSTS学会は本年で8周年(会員数ほぼ600名)。ということで、東アジアの各地に学会が出そろいました。来年には、日本の学会とアメリカ中心の4Sの合同の国際会議が開催され、東アジアにおけるSTSもいっそう盛り上がっていく予定です。

 なお、成功大学は植民地期には台南高等工業だったところで、当時の実験機器の立派なコレクションが大学博物館で展示されています。特に、島津の実験機器のコレクションはみごとです。

 中島秀人

転載: 冷戦初期の加速器の軍事利用計画 (くりはら)

2009-04-08 08:21:36 | Weblog
以下,『火ゼミ通信』第72号(2009年4月7日)に掲載した私の記事を転載します.

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1969年に開催された米国議会の公聴会の席で、新しく建設される加速器が、国防のためにどのように役に立つのかと問われたフェルミ研究所の所長のウィルソンは、この加速器は我が国を守るに値する国にする、という趣旨のことを答えたそうです。この発言の前提には、加速器が軍事目的には直接役に立たない純粋科学のための装置だという理解があったのでしょう。しかし、1952年の末には、加速器を国防のために直接利用しようというアイデアがあったようです。今、私は、米国の国防省の研究開発委員会(RDB)の文書(注1)を中心に調べているのですが、その中に、加速器を防空用の装置として利用する研究開発計画に関する文書があったので紹介します。

1952年12月1日付で、AFSWP(注2)チーフのHerbert B. Loper陸軍少将が、RDB委員長宛に「高エネルギー加速器を防空目的で使用することの実現可能性を決定する研究開発計画」というタイトルのメモを送付しています。このメモの中でLoperは、「加速器を使用して高エネルギーのガンマ線もしくは中性子線を、組み立て途中の兵器(weapon)に照射して、pre-initiation を引き起こして爆発力を弱める」と書いています。おそらく、航空機によって運ばれている核爆弾の核物質に中性子を吸収させて連鎖反応ではない核分裂反応などを起こさせるのだと思います。このメモには、この年の10 月3 日に原子力委員会(AEC)の後援で開催された会議で、加速器をそのように使用できる可能性があると結論されたとありました。つまり、このアイデアは軍単独のものではなく、AECとも事前に話しあったことのようです。そしてLoper少将は、この計画の実現可能性を決めるための研究開発計画として、1953会計年度に国防長官の緊急資金から60 万ドルを支出することを要求しています。

このメモを受けたRDB委員長のWhitman博士は、12月6日付でLoper 少将に返答し、12月17日に開催されるRDB の下部組織の一つである原子力小委員会(CAE)(注3)の会議の議題にこの課題を含ませるよう要請した、とあります。その日に開催された第30回CAE会議の議事録には、この問題について、「委員会はこの研究の6ヶ月後の評価に関心を持った」とだけ記されており、この研究予算が承認されたのか、もしくは研究が実行されたのかどうか、現時点で私にはわかりません。

なお、この年の10月22-23日に開催されたCAE第29 回会議の議事録には、「粒子加速器が防衛や検出の装置としての応用可能性をもつことが、ベーテ(Bethe)によって述べられた。委員会は、このワークが進展中であることと、1年以内に再検討するべきと記した」とあります。おそらく、10月3日に開催されたという、上記のAEC 後援の会議を受けてのことだと思います。ベーテとは、マンハッタン計画にも水爆開発にも深く関わっており、ノーベル物理学賞(1967年)も受賞した著名な物理学者のHans Betheのことです。

地上から、おそらく高度 1 万メートルの高度までの大気中に中性子ビームを飛ばすなんて、荒唐無稽なアイデアのように思えますが、ベーテが関わっていたということは、この計画がまじめに議論されていたのでしょうか? それとも、加速器の建設を正当化するための単なる方便だったのでしょうか? いずれにせよ、何でも軍事に結びつけられていた冷戦期のパラノイアを象徴する出来事だったように思えます。

注 1. Research and Development Board. 国防長官の直属で、民間科学者と軍代表で構成された委員会。軍の内部で行われる研究開発計画を調整することを任務とした。初代委員長はVennevar Bush(1948 年まで)。米国立公文書館のレコードグループ(RG)は330 で、Entry番号は341.

注 2. Armed Forces Special Weapons Project. 軍内部の原子力に関する責任を担う軍の組織。初代チーフはマンハッタン管区で司令官をつとめたLeslie R. Groves(1948 年まで).

注3. Committee on Atomic Energy. RDBの下部組織で、民間科学者と軍人で構成された委員会。初代の委員長はJames B. Conantで、委員にはRobert Oppenheimerもいた。
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ここで紹介した文書は,私が米国立公文書館で入手してきた文書にたまたま紛れ込んでいたものです(全部で数枚しかありません).おそらく,まだまだたくさんの関連文書が眠っていると思います.