技術構造分析講座ブログ

東工大の科学史・技術史・科学技術社会論・科学方法論研究室のブログです。公式情報、研究の詳細はホームページをご参照下さい。

Dr. Axel Gelfertさんの講演会のお知らせ (くりはら)

2007-04-29 18:37:24 | Weblog
5月15日16:30より,シンガポール国立大学研究員の Dr. Axel Gelfertさんの講演を行います.どなたでも参加できるので,関心のある方はぜひご参加ください.事前登録は必要ありません.

日時: 2007年5月15日(火) 午後4時半から約2時間(火ゼミの第2ラウンドとして行います)
場所: 東京工業大学大岡山キャンパス・西9号館407セミナー室(火ゼミと同じ会場です)
講演者: Dr. Axel Gelfert (Ph. D., Cambridge, England, and Research Fellow, SNU)
演題: "Coherence and indirect confirmation across scientific models: a case study and its epistemological implications"

------(以下,Gelfertさんの紹介)------
講演者のGelfertさんはドイツのご出身で、ベルリンのフンボルト大学で物理学の修士号を取得された後、英国ケンブリッジ大学の科学史・科学哲学科に転じられ、科学哲学を専攻されました。博士号取得時にブダペスト高等研究所ジュニアフェローとなり、昨年よりシンガポール国立大学で研究員をされています。当地でのSTSの立ち上げにも参加されているとのことです。若手の有望な研究者です。

今回の講演では、科学における間接的な証明について、モットの物理モデルを事例にお話されます。理論からの直接的な確証と、応用科学の確証の差異について光を当てられるとのことです。初来日で、日本の関係分野の研究者との交流も希望されております。

なお、ご本人のホームページもご参照ください。http://www.gelfert.net/axel/

映画「善き人のためのためのソナタ」

2007-04-15 04:47:42 | Weblog
「善き人のためのためのソナタ」というドイツ映画(原題Das Leben der Anderen)を見ました。今年のアカデミー賞(外国語映画賞)を受賞したそうです。

1980年代半ばの東ドイツ(東ベルリン)を舞台に、国家保安省(略称シュタージSTASI、秘密警察)の職員が主人公です。東ドイツの有名な作家の盗聴作業をしているうちに、知らず知らずに感情移入して行き、秘密警察の抑圧から作家を守ることになってしまうという物語です。邦題は、活動を国家から禁止されて自殺した演出家が作家に遺した楽譜の題名です。

東ドイツには、シュタージの正規の一般職員が9万人、上級職員が1万人、一般市民の非公式協力者が17万人いて、社会を網の目のように監視していたといいます。その実体を一職員による作家の日常的な盗聴作業を描くことで、見事に伝えています。ジョージ・オーウェルの『1984年』の世界が、現実に実現していたことがわかります。

市民に対する膨大な盗聴記録は「ドイツ的な」綿密さで整理され、皆シュタージの文書館(アルヒーフ)に保管されています。映画では、ドイツ統一後、作家が文書館を訪れて自分の盗聴記録を閲覧する場面が出てきます。そのときに見える文書館の映像は、本物のシュタージの文書館の様子だそうです。撮影後、文書は再整理され多くが電子化されたので、東ドイツ時代の文書の保管状態を示す最後の映像になったそうです。

昨年、旧社会主義圏の首都、ハンガリーのブダベストとリトワニアのヴィリヌスを訪れましたが、ともに旧秘密警察の建物が博物館になっていて、社会主義政権下で市民生活がいかに監視され抑圧・弾圧されていたかを示す詳しい展示がなされていました。ベルリンでも旧シュタージの建物は博物館になっているそうです。ロシアでも、ソ連崩壊後、秘密警察文書もかなり公開されましたが、KGBの建物が博物館になるような時代が来るのはまだ先のことのようです。

東京では、渋谷の「シネマライズ」で4月20日まで上映しています。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail/tyth/id11170/

(梶 雅範@東工大)

長州ファイブ

2007-04-05 15:31:21 | Weblog
 いま、「長州ファイブ」という映画をやっています。
 1863年5月、開国はしても個人の勝手な外国渡航はまだ禁じられていたときに、長州藩からイギリスの非合法に留学した5人の留学生の物語です。5人の中でもっとも有名なのは、伊藤博文(当時は伊藤俊輔)ですが、映画は、工部省・工部大学校創設に大きな役割を果たした山尾庸三が主人公格です(あとの三人は、後の外務大学井上馨(井上聞多)、のちの鉄道頭井上勝(野村弥吉)、大阪造幣局長遠藤謹助)。山尾庸三役は、松田優作(テレビドラマ『太陽にほれろ!』のジーパン刑事を覚えている人がいるかも知れません)の息子の松田龍平が演じています。
 映画のロンドンの場面で、化学史に親しい人なら誰でも知っているウィリアムソンが出てきます。ウィリアムソン合成(エーテル合成)で知られる化学者で、リービヒの弟子で有機構造論の成立にきわめて重要な役割を果たしました。ウィリアムソンは、5人のロンドンでの世話役で、5人が彼の家に寄宿していたという設定です。5人を写した有名なロンドンでの記念写真の撮影の場面も出てきます。ウィリアムソン夫人が写真館で5人にポーズをつけたという設定になっています。
 ちなみに、まだ見たことがありませんが、彼らがまずは世話になったウィリアムソンのいたロンドン大学のUniversity College London(ウィリアムソンは、1855-87に同校の化学教授)にはChoshu fiveの記念碑が建っているそうです。

 監督は、五十嵐匠といいます。東工大(東京高等工業)にも関係する陶芸家板谷波山(いたや・はざん)の生涯を描いた「HASAN」、奄美大島の自然を描いた異色の画家田中一村の生涯を描いた「アダン」の監督ですから、力量ある監督です。この映画もできるかぎり史実を尊重しており、しかも、映画的表現にも成功していると思いました。
 ロンドンの町並みも、ルーマニアの巨大スタジオで再現したものだそうです。山尾庸三は、日本で盲聾唖教育の先駆者の一人だそうですが、イギリスで手話に出会ったことになっています。
 ところで、スコットランドの北の海岸という設定の場所が出てきましたが、真っ白な石灰岩の海岸で実際の撮影はドーバー海峡ではないでしょうか。それともスコットランドの北にもそのような海岸があるのでしょうか。
 5人の留学の事実と彼らのその後はよく知られていますが、5人のイギリス時代の動向の詳細はどのくらい調べられているのでしょうか。映画を見ていて、もう少し本格的に調べてみたくなりました。たとえば、山尾庸三の日記など存在していれば面白いでしょう。映画のラストのタイトルでは、山尾家の子孫がいらっしゃるのですが、どのくらい史料が残っているのでしょうか。知りたいところです。
 なお、上映中の映画館は、http://www.chosyufive-movie.com/に情報があります。東京では、六本木の映画館「シネマート六本木」(電話03-5413-7711)で4月13日まで上映しているそうです(ただし午前11時からの一回のみ)。詳しくは、http://www.cinemart.co.jp/theater/roppongi/index.html をごらんください。
(梶 雅範@東工大)

2007年4-7月の火ゼミのスケジュール (くりはら)

2007-04-04 23:41:37 | Weblog
2007年4月-7月の火ゼミのスケジュールが決まりました.その他,技術者倫理研究会,化学史ゼミも合わせて開催されます.

会場については下記のサイトを参照ください
http://www.histec.me.titech.ac.jp/course/kazemi.htm

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2007年4月-7月の火ゼミのスケジュール

時間: 午後1時20分から
場所: 東京工業大学西9号館4階407号室

4月10日 Laurence Lestel (Centre d'Histoire des Techniques, Conservatoire National des Arts et Metiers, Paris (パリの国立工芸学校の技術史センター)
"Occupational disease in France during the 19th Century: the case of heavy metal diseases (19世紀フランスにおける職業病:重金属疾病について)" ※この回のみ13:30開始

4月17日 中村邦光
江戸の科学:日本科学史の見直し(仮)

4月24日 黒崎 輝
北東アジアの核危機と日本の「非核」政策をめぐる政治力学の考察

5月 1日 (休み)

5月 8日 坂本邦暢
原子に宿る神: ニコラス・ヒルとピエール・ガッサンディ

5月15日 野澤 聡
ヨハン・ベルヌーイの連続体力学研究

5月22日 科学史学会発表練習会

5月29日 科学史学会のため休み

6月 5日 中川純男
個の概念

6月12日 菊池好行
19世紀後半におけるロンドン,マンチェスター,東京の化学教育モデル

6月19日 (技術者倫理研究会)※下記参照

6月26日 栗原岳史
第二次大戦終結後の米国における核開発の歴史―軍の「巻き返し」とAFSWP

7月 3日 小沼通二
ビキニからパグウォッシュへ―日本の科学者のかかわり

7月10日 奥田謙造
冷戦期のアメリカの対日外交政策と日本への技術導入―読売新聞グループと日本のテレビジョン放送及び原子力導入:1945年~1956年

7月17日 住田朋久
生態学者の社会的発信―1970年前後の日本の公害論議のなかで (仮)

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※技術者倫理研究会のお知らせ

6月19日 荒木芳彦
地球環境と資源・エネルギー

新年度以降も,学内外の講師をお呼びして,技術者倫理に関する研究会を継続して開催いたします.詳細は,世話人(菊池重秋)または火ゼミ運営員会までお問い合わせ下さい.

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化学史ゼミのお知らせ

月一回程度の割合で,平日(原則は火曜日)の夕方に東工大で化学史のセミナー・勉強会を開いています.関心のある方はご参加ください.公開のセミナーなのでどなたでも参加できます.2月から新しい本を読み始めました.毎回,一章ずつ読んでいこうと考えています.各章は独立していますので,途中からでも,一回のみでも参加は可能です(本を持っていない参加者には扱う章のコピーを配布します).

Keith J. Laidler, The World of Physical Chemistry, Oxford Univ. Press, ISBN 0-19-855919-4 (paper back), 1995

物理化学史の本ですが,物理化学の教科書の側面もあって,物理化学の内容も記述しながらその歴史をたどる形式で書かれています.新刊書はAmazonなどで入手できすが,古本で半分以下の値段で入手できます.


RDB文書の紹介 (くりはら)

2007-04-01 22:44:33 | Weblog
今年の3月12-19日の間,米国カレッジパークの国立公文書館(いわゆるArchive II)に行ってきました.そこにあるRDB文書について紹介します.

RDBとは,Research and Development Boardの略で,米軍内の研究開発活動を調整するために,1946年に陸軍と海軍が共同で設立した委員会です.設立当初は頭にJoint(統合)の "J" がついてJRDBと称していましたが,1947年の軍の統合で "J" がとれてRDBになりました(以下,RDBに統一します).国防長官直属の委員会だったので,軍内の地位は大変高かったようです.

RDBの初代委員長を務めたのは,あのVannevar Bushです.第二次大戦期の米国の科学動員を統轄した科学研究開発局(OSRD)の局長のBushです.RDBは,直接研究を実施する研究所ではなく,陸海空軍それぞれの下で行われている研究開発活動を調整する機関でした.RDBは,OSRDに非常によく似た性格の組織だったと思います.

RDBの下には,電子機器(レーダー),誘導ミサイル,原子力,近接信管,航空学,医学,生物兵器,燃料,基礎物理科学等,各種委員会が設置されました.ここの原子力委員会の委員長を務めたのは,あのJames B. Conantです.Bushとコンビで科学動員や原爆開発を指揮した,ハーバード大学学長のConantです.(RDBの原子力委員会はAtomic Energy "Committee" でCAEと略称されます.いわゆるAECの方の原子力委員会と混同しないよう注意してください)

このRDB文書を使って書かれたのが,スミソニアン博物館のAllan A. Needell氏の, Science, Cold War and the American State: Lloyd V. Berkner and the Balance of Professional Ideals (2000)です.私はこの本でRDB文書の存在を知りました.

RDB文書は,Record Group 330のRecords of the Office of the Secretary of Defenseの中にあります.国防長官の文書ですから,当然その量は膨大です.どうやってアクセスするのかと思ったら,公文書館2FにあるReference RoomのRG330のファイルが置かれた棚の中に,表紙に "RG 330 Records of the Research and Development Board" と書かれた3冊のファイルがありました.これがRDB文書の目録です.そのファイルを見ると,Box#とその中のfolder名,さらに中身の文書のタイトルが書かれていました.おまけにIndexもついているので,目的の文書へのアクセスが非常に容易です.目的の文書を手にするまで,アーキビストとの相談が最小限ですみました(笑).

RDBは,軍内部の研究開発活動を調整する高位の委員会でしたから,戦後の米国の兵器開発の歴史を調査するうえで重要な組織のように思えます.なんといっても,あのBushとConantが深く関わった組織です.しかし,まだ十分に歴史的に調べられていないようです(私が不勉強なだけかもしれませんが).Needell氏の研究も,RDBのセキュレタリーを務めたBerknerとレーダー開発が中心のようで,RDBの下にあった各種委員会の活動についてはあまり触れられていません.Conantが委員長を務めたCAEの方の原子力委員会とAECとの関係はどうだったのかなど,興味深い研究ができるように思えます.

「そんなこと当然知っているよ」など,何か情報をお持ちの方は,私まで連絡して頂けたら,たいへんうれしいです.(email: t-kuri(アットマーク)me.titech.ac.jp)