拓のフォト日記

写真付きで日記や趣味や日々の出来事等を
自分なりに判断し感想を記載してますので
どうぞお気軽にお越しください。

地下タンク撤去

2024年07月16日 | 日記
5月20日地下タンク撤去始まる

会社廃業に伴い1月~2月にかけて先ず社員に辞めてもらい
続いて所有する建設機械(重機)や車両の整理を始め
次々と手放していく中で地下タンクも撤去することに決定



会社の事務所の横の敷地内のブロックで囲まれた片隅


ガソリンスタンドのような古い計量器があります。
起業してダンプカーや重機が増えるに従って
大量の燃料が消費されるようになって
一般のガソリンスタンドでの給油は支障をきたし
40年程前に自社の敷地内に地下タンクを埋設された。


その時に危険物の取扱の免除を取得し
危険物自家給油取扱所の保安監督者として
私の名前も消防署にも届け済で事業廃止と共に
危険物取扱所の廃止届も消防署に届けなくてはならない
その場合危険物を使用できないようにタンク内から油を抜き取り
洗浄した後にタンクを廃棄処分するか水とかを注入して
使用できないような処置をしなくてはならない。
何れも消防署の担当者の立ち合いが必要!

事業が廃止となった現在この跡地で利用するにも
危険物の大きな地下タンクが埋設されてたら
何をするにも困るだろう?と言うことで
地下タンクを撤去することになる。





危険物の軽油等残っていた油を全て抜き取り
専門業者にタンク内を洗浄して貰って
廃止届を消防署に提出する


後は土間を破砕し地下タンクを掘り出し撤去処分!
今まで自社でやってた工事の一部だけど!
重機を運転するオペレータは辞めてもらった現在
私一人では悔しいけど何も出来ないので
近くの取引業者と契約して工事を請け負ってもらう

奇しくもその業者は我社に以前勤められていて
退職後に起業された人の会社です。

その会社はユンボが不足し日立に注文されていたのが
工事が始まるのに合わせたように本日新車が納入されて来た。



そのユンボにブレーカを取り付けて土間の斫り






斫りが終わってガラを取り出したら油の配管が剥き出し



配管を取り除き更に掘削をはじめると!



一つ目のタンクが見えてきた 
容量10,000ℓ(ドラム缶500本分)入りタンク



続いて二つ目のタンク



更に掘削が進むと三つ目のタンクで合計30000ℓを貯蔵



そんなに燃料を使用するのかと思われかも知れませんが?
一日に1000ℓ以上使用する重機もあります。
因みに前回紹介したWA800の燃料タンクは1430ℓです。



取り出したタンクの一つ



作業中に傷んだ足場の土間や





タンクの下の基礎も破砕して取り出し




ダンプに積込んで排出し



土砂を入れて埋め戻し



傷んだ土間は締固めをして



コンクリート舗装する。



工事が終わり養生シート用に組み立てられてたビディの取外し



6月11日地下タンク撤去工事が終了して
全ての私の任務も終了しました。

忙しい時は100名近くの社員を雇用していましたが!不況で
元請け業者からの受取手形の不渡り多く資金繰りが厳しくて
数十億の負債で倒産に追い込まれた時期もありました。
その時は72名の社員が働いていました。

数日後倒産と決まった時にハローワークに出かけ所長に面会し
「営業不振でやむを得ず倒産となり事業を廃止で72名の全従業員
を解雇しますので宜しくお願いします。」と伝えたら
「それは困ります。地方の小さいハローワークで72名の解雇とは
とんでもないことです。思いとどまって下さい。」と言われたが!
どうすることも出来なく会社は倒産し社員は全員解雇となりました。

厳しい経営の中でも協力会社からの仕事の受注も多くあったので
社長は別会社を立ち上げ「ついて来る者だけでもう一度頑張ろう」
辞めて去った者もありましたが!残された者全員で頑張りました。

今回は倒産してどなた様にも迷惑かけた訳でもなく
綺麗に解散出来て廃業となりました。

そんな関係で厳しい時代も共に乗り越えてきた
社員の一人ひとりに多くの想い出があり
辞めていくのがとても愛しいです。
重機の一台一台も社員と同じで愛しくて別れが辛い
社長は私以上に辛い思いをされたと思います。

会社を立ち上げ起業する時は多くの夢や希望がある
会社を閉じ廃業する時は夢も希望も無くなってしまう。
でも!廃業は起業する時より数倍も難しい
一歩判断を間違えたら全てが無くなる
それも高齢になってからでやり直しが出来ない。

そんなことを考え失礼ながら廃業を社長に勧めた。

長々とお付き合い戴きありがとうございました。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
思い出に! (いろはに踊る)
2024-07-19 07:12:48
 長い間の活躍お疲れ様でした。締めもしっかりされて人生それぞれに頑張って先を見ています!
 様々なことが去来されていることと思います。時が経てばいい思い出になることでしょう。お疲れ様でした。
返信する
お疲れさまでした (P)
2024-07-19 08:13:00
私には見聞できない様子が印象的でした、
そして何気なく暮らせていたのは、
このような仕様が地下にあったからだったのですね?
と、おとなになった私が今更でぉ恥ずかしい処ですけど、
なかなか知り得ない話題ですのでとても勉強になりました、
そして拓さんの几帳面な、責任感の強い仕上げに感嘆!
やはりぉ人柄が感じられました、
私も少しはこれから真面目に、人生の仕上げを考えようと、
母の家の片づけがありますので、
これが先ずは私には大仕事です、
勇気が湧いてきました、見せて頂きありがとう、
暑くなりました、ご自愛の上お過ごしを、またね。
返信する
拓さま (1948of)
2024-07-19 10:27:14
凄いお仕事、無事終えられてほっとされたと思います。お疲れ様でした。
人生を振り返られて感慨深いものがあったと思います。お体を大切にお過ごし下さいね。色々な写真を撮って見せて頂けるのを楽しみにしています。
返信する
Unknown (taku)
2024-07-21 15:42:59
いろはに踊る さん こんにちは。

 早々にお越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
 早々にコメント頂きながらお礼遅くなって誠に申し訳ございませんでした。
 九州の義弟(妹の旦那)が亡くなり19日の早朝から熊本へ帰郷していました。
 19日に通夜で20日に葬儀を済ませて昨夜遅くに帰宅しましたが?
 ブログの皆様方への訪問もままならずお礼の言葉も遅くなってしまいました。
 仰るように長年ともに働いた社員と共に重機も別れは感慨深いものがあります。
 この後数年経って思い出すこともあるだろうと思いまして
 このようにブログにUPして残すことになりました。
 嬉しいお言葉頂戴しありがとうございました。
返信する
Unknown (taku)
2024-07-21 16:48:49
P さん こんにちは。

 早々にお越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
 前のお方にも同じような文面をお書きしましたが?
 早々にコメント頂きながらお礼遅くなって誠に申し訳ございませんでした。
 九州の義弟(妹の旦那)が亡くなり19日の早朝から熊本へ帰郷していました。
 19日に通夜で20日に葬儀を済ませて昨夜遅くに帰宅しましたが?
 ブログの皆様方への訪問もままならずお礼の言葉も遅くなってしまいました。
 
 会社を廃業することを決めても進行中の受注した仕事もあり、
 一斉に全員の方を辞めてもらうことも出来ずに1月から2月にかけて辞めて頂き
 重機関係整理はオークション方式で販売したら3月頃には全て終了すると思っていましたが?
 イスラエルとパレスチナ情勢も悪化して船賃の高騰や船便の現象とか
 中間業者には思わぬ事態が発生し重機の値段の交渉も高額のため
 折り合いが厳しく交渉が長引いてしまい
 更に地下タンク問題もあったが綺麗に整理して廃業することとなりました。
 僕に「スリランカへ来て下さいご案内しますから」と勧めるスリランカの人は
 母国には二つの言語がありそれに英語や日本語や更に二つの言語を話せると云っていましたが?
 その人が日本に来て何故成功したか?聞いたら?
 「何事もチャレンジ!チャレンジです。」と言っていました。
 何事も勇気をもってチャレンジすることが大切と学びました。

 Pさんにはお母さまのお家の方づけをしなくてはならないそうですが?
 方づけも想い出が残っているので中々難しいですね。
 僕も19年前に家内を亡くしました!
 その家内の着物もそのまま手も付けずに残されています。
 昔社員の仲人を時々頼まれていたので結納式用に訪問着を誂え
 結婚式には黒留袖を誂えたり着物が好きだったのでそのような着物が沢山ありますが?
 整理しようと思いながらも中々できません。
 断捨離するのも勇気が要って難しいものですね。

 色々とお気持ち書いて下さりありがとうございました。

 
 
 

 
返信する
Unknown (taku)
2024-07-21 17:29:58
1948of さん こんにちは。

 早々にお越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。

 前のお方にも同じような文面をお書きしましたが?
 早々にコメント頂きながらお礼遅くなって誠に申し訳ございませんでした。
 九州の義弟(妹の旦那)が亡くなり19日の早朝から熊本へ帰郷していました。
 19日に通夜で20日に葬儀を済ませて昨夜遅くに帰宅しましたが?
 ブログの皆様方への訪問もままならずお礼の言葉も遅くなってしまいました。

 仰るように無事に役目を終えてホッとしています。
 2月26日付けで退職でその後にハローワークにも出かけて
 雇用保険の「高年齢受給資格者失業認定申告書」を提出して
 その後認定日に再びハローワークへ出かけて
 「高年齢求職者給付金」を50日分を後日振込まれました。
 だから形としては僕は社員ではありませんが?
 この様な地下タンクの撤去とかの整理や
 重機の引取りとかの立会などの責任がある限り勤めていました。
 65歳以上は雇用保険は貰えなくなって「高齢者求職者給付金」制度が
 あることは存じていましたが?
 80歳を過ぎてまさか貰えるとは思っていませんでしたのでラッキーでした。
 それと共にまだ若い65歳の人も同じ50日分の給付とはチョット可笑しいなぁ~?
 64歳で失業したら普通に失業保険を貰えるのに65歳になった途端に
 「高年齢求職者給付金」となって50日分給付とはチョット厳しいですねぇ~?
 煩わしいことを長々と書いて申し訳ございませんでした。

 これをもって職場の話は終わりとして次から
 本来の拙いフォト日記をアップさせて貰います。
 ありがとうございました。
返信する
Unknown (なおとも)
2024-07-22 13:53:59
こんにちは!

重機と別れを告げながら、最後の仕上げ、本当にお疲れ様でした。大変だったと思います。人とのお別れ、愛する仕事で役立ってくれた道具とのお別れ、想像出来ないほど感慨無量の事だったと思います。我が息子や孫がトミカの働く自動車が大好きで、沢山の重機のミニカーを買った事が懐かしいです。色々な思いで私も拝読致しました。
大変読み応えのある内容で感動しました。
コメント中にご親戚のお葬式もおありだったとの事、くれぐれも休養され、ご自愛下さいませ。
有り難うございました! なおとも
返信する
Unknown (taku)
2024-07-22 22:33:06
なおとも さん こんばんは。

 お越し頂き嬉しいコメントありがとうございます。
 いつも素晴らしいブログを拝見し感動させて貰いながら
 コメント書かせて貰えない私のブログに優しいお言葉頂き恐縮しています。
 仰るように人とのお別れ、愛する仕事に役立ってくれた道具との別れ
 想像出来ないほど感慨深いことですね。
 私は若い頃父親を亡くし我が家に母も一緒に同居していましたが?
 その母より先に家内が亡くなってしまいました。
 勤めに行き乍ら母の面倒も看なくてはいけないこともありました。
 今回亡くなったのは私の妹の旦那です。
 妹は聾唖者です。結婚した相手も聾唖者でした。
 耳が聞こえない妹が不憫でした。その妹が同じ聾唖者と一緒になったので
 生活やって行けるのかと心配していました。
 現在と違って当時はまだ世間も厳しかった。
 夫婦だけでなく子供が出来たらどうするのか?
 日常生活に子供の教育と厳しい世界への旅立ちと思っていましたが?
 3人の子に5人の孫がいますが?その子や孫たちは立派に成長して
 我が家の子や孫より立派に育っています。
 娘の結婚式にはグァムに連れて行ったり孫は社会人になって
 両親を札幌の雪まつりに連れて行ったりと親孝行しています。
 今回のお葬式で他の妹たち(三姉妹)との会話の中で
 末の妹が「耳が聴こえなくて子供の頃は不憫と思っていたが?」
 「お姉ちゃんが一番幸せな生活していたなぁ~」と言っていました。
 人生は中々分からないものですねぇ~

 話が飛んでって関係ないことまで長々と書いて申し訳ございませんでした。
 お付き合い戴きありがとうございました。
返信する

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