拓のフォト日記

写真付きで日記や趣味や日々の出来事等を
自分なりに判断し感想を記載してますので
どうぞお気軽にお越しください。

朝の散歩 8.1~8.5

2024年08月26日 | 日記
8月1日からの朝の散歩!


 7月1日で仕事をリタイヤした、これからフリーの身となり一日24時間拘束
を放たれて自分自身何でも好きなことが思うようにやれるようになった。
 思えば長い年月を働いたものだ。7月1日迄勤めていた職場には有り難くも
51年間働かせて貰った、貧乏な家庭に育った少年時代、中学になった頃から
新聞配達しながら家計を助け働いていたから約70年間働き続けたことになる。
 その間の職場は、思い出せるだけでも15~6ヶ所の職場があるが!倒産して
働けなくなったり、自分が個人事業主の時は数ヶ月分の売上代金が焦げ付き
払って貰えなかったり波乱万丈の人生であった。
 小学校2年の三学期を終え春休みの時だった。突然左の股関節が痛み出して
歩けなくなり父親は背中に負ぶったり自転車に乗せて彼方此方と病院に連れて
行ってくれたが原因が分からず足は益々痛くなるばかりで、最後はリヤカーに
畳や布団を敷きその上に寝かせて4里(16キロ)余りの道をゆっくりゆっくり
と一日かけて歩いて、次に行く予定の病院の近くの母親の実家へ連れて行き、
その日は実家に一泊して翌日又、リヤカーに乗せられて病院へ行ったら直ちに
手術となり!一月余りで入院治療で歩けないまま退院したが、その後は乳母車
やリヤカーに乗せられての通院で、一年近くを学校に行けずに結局は進学でき
ずに一年下級生と一緒の3年生からの再出発となり、その後何とか歩けるよう
にはなったがビッコをひき、学校でも体育時間などは参加できずにただ見てる
だけだった。
 落第生でチンバでオマケに貧乏人で当時の子供たちにとっては虐めの対象物
として事欠かない子供だった。そんな体だったので自転車に乗れるようになる
のも同じ同級生と比べたらかなり遅れて6年生の終わり頃にやっと自転車にも
乗れるようになれた。自転車の乗れるようになったので新聞配達をさせて貰お
うと新聞販売店へ行ったけど小学生はダメと言われて!中学生になって新聞配
達をするようになった。それから現在まで70年間働き詰めであった。
 仕事に行くということはその時間を拘束されて自分の時間を縛られている。
それが70年ぶりに解かれて自由な身となった。働くと言うことは拘束されてい
ると言うことで勤務時間は縛られて自由にできない。
 それが!一日中何でも自分が思うようにできる素晴らしいことだ!
 24時間自分が思うように好きなことができ素晴らしいことだ!
 でも、その自由な時間の使い方が分からなくて戸惑いながら何も進まず無駄
な時間も多く多忙な一日を送っている。
 そんな中で一日の初めの起床した時からのルーティンが大事と思い、先ず
最初に起床して歩くことから始めよう。
 医師からは一日30分程一週間に4~5日歩くのを勧めらている。
 家の近くの道路を一周したら3km程あり自分の遅い足でも4000歩で40分の
 コースを毎日歩こうと決めて7月2日から続けはじめた。
 今回からは8月から散歩中に撮った日の出を中心の画像をアップします。
 同じような風景が続くかと思いますが宜しくお願いします。

【8月1日】 (木)歩数 6236歩
5時32分に東の空から太陽が昇りはじめる。

青空に朝日に照らされたワンルームマンションの壁と青い田んぼ

【8月2日】 (金) 歩数 5278歩
5時31分家々の間から日の出





【8月3日】(土)びわ湖バレイ 歩数 11301歩
5時18分の日の出





【8月4日】 (日) 歩数 5574歩
 5時19分 日の出前の東の空





5時31分に民家の屋根の間から顔を覗かせる


JA選果場の屋根の上からの太陽

早朝から柿の消毒するご夫婦

近所のお家の前の朝顔と百日紅

【8月5日】 (月) 歩数 6319歩
 この日は雲が厚くて太陽が見えない


5時40分過ぎてJA選果場の屋根からぼんやり太陽が顔を覗かせた

長々とお付き合い頂きありがとうございました。
コメント (9)
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