Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

湯福神社・付け足し

2012-01-24 | 寺社と歴史、私論
えぇと。
崇神派残党の天武と蘇我の娘・持統が権力を掌握した、とは書きましたが…
天武は結局、熱田の剣の祟りで亡くなりましたし。
皇室の系図を見てもらえば分かりますが、天武系の血筋も結局滅んでるんですね。
自分で。
その後、皇位は結局、天智系に戻ってるわけです。
勝手に。

平安時代は仏教の時代で、記紀はさほど重視されませんでした。
また、清和天皇(源氏の祖とされる)の時代には京都の岩清水八幡宮が創祀された。
それは急速に社格をあげ、伊勢に次ぐ皇室第二の宗廟にまでなっています。
ここからも、おそらく天智が、応神天皇の血筋の人だったことが想像されるんじゃないでしょうか?

平安体制が行き詰まり、鎌倉幕府が成立してからも、八幡は源の氏神であり、幕府の守護神でした。
幕府が入れ替わっても、それが変わることはありませんでした。

つまり、日本は別に、天武の国として歴史を刻んできた訳ではありません。
決して。

…以前、書いたとは思いますが。
しつこくてすいません。

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