まぁさ、わたしが一番つまんない大人かもしれないですから。
日々こうして、考えたり歩いたり音楽聴いたり本読んで調べものしてるだけですし。
何がつまんない大人で、何がつまんなくない大人かもよく分かんないんですよ。
陽気に夜毎遊んでるのがおもしろい大人かもしんないですけど。
それと、お店のお姉ちゃんに威張ったり自慢したり、店員さん偉そうにアゴで使うのが生き甲斐のおじさんって、紙一重だし…
だからさ、“つまんない大人になりたくない”という子供さんが、なにを求めてるのかな…
良心とか思いやりも、場面場面で適切で頭よくないと、単なる世間知らずで世渡り下手になっちゃうんですよ。
まぁ、わたしも世渡り下手だけど(笑)
***
だからさ、石器時代とか縄文時代とかね。
人間が、一番人工的じゃなくて、本来自然の中で群れとして生きてた頃ね。
まだ、定住する前ね。
今の場所で食べ物とりつくして、食べ物がありそうな次の場所を探してひたすら歩いたりとか。
道具作ったり、食べ物を食べられるように加工するための、ひたすらな単純作業とか。
猟に出て、獲物の手がかりを探したり、仕留めたりするために、静かな精神状態で状況を観察したり。
そういうのは、動物としての人間が、生きていくための群れの成員であるために絶対不可欠なことだったの。
“やだ”“やりたくない”“つまんない”言ってたら、群れから脱落するのね。
だから、群れの一員でありたかったら、生きていたかったら、やるしかなかったの。
なんで、とかなかったの。
人間って動物のライフサイクルには、それが折り込み済みだったと思うの。
現代人はそんなことしなくても生きていけちゃうんだけどさ。
そんでも、おんなじ様な作用があるウォーキングとか単純作業とか瞑想の類いね。
そういうの、“ごちゃごちゃ言わないでやりなさい”って言う人はさ、つまんない大人じゃないんだよ。
いまの子供はさ、基本的に瞑想量なんか足りてないんだから。
単なる自分の欲界心の快不快に、お道徳で理屈こじつけて主張してることも多いよ。
ウォーキング・単純作業みたいな準瞑想も、瞑想も、欲界心にとってはやりたくないことなんだから。
欲界心が嫌なことをやりたくないのは、単なるわがままだからね。
原始時代は、やりたくなくてもやらなきゃ死ぬからやったってだけの事だよ。
それをある程度やって初めて、欲界心コントロールできるようになるんだけどね。
***
文明が生まれて、発達してさ。率いる群れのリーダーが偉くなってね。
その子供とかが甘やかされて、歩いたり単純作業や猟に出たりするのを免除されたりしてね。
そいつらが、アホになったんだと思うのね。
人間として必要な瞑想量が確保できなくなって、人間としての心のレベルに至れなくなったんだと思うわけ。
欲界心の悪心をコントロールできなくなった。
想像だけど。
そういつ奴らがさ、知恵も働かさず体も動かさず、ただ欲界心の欲望を満たすためにね、段々、よその群れを武力で侵略して奴隷化するようになったんだと思うの。
日本人の庶民って、奴隷化した人たちの成れの果て、みたいな人たちが結構いるんだよね。
たとえ奴隷でも、保護してもらえた方がいい。
搾取されながら何も考えずに働くだけの奴隷でいいから、権力に従って理不尽な社会の歯車になる。
そういう大人になりたくない、っていうなら分かるの。
侵略者側タイプにも、奴隷側タイプにも、なりたくない。
でもさ、そしたらどうするか。
奴らより、知恵がまわるようにならなくちゃ。
奴らより賢くなって、勝たなくちゃ。
したら、やっぱり修行なんだよ。
スマサナーラさんの本読んでね、瞑想。日本仏教の歩行禅でもいいけど。
それと勉強。
アビダンマ的な、仕組みを理解する知恵があれば、奴らには負けないと思うよ。
仕事の技術にだって、マーケティングにだって、それが必要だからね。
そのために瞑想とか積み重ねるのはさ、単調だけど、つまんないことじゃないんだよ。
日々こうして、考えたり歩いたり音楽聴いたり本読んで調べものしてるだけですし。
何がつまんない大人で、何がつまんなくない大人かもよく分かんないんですよ。
陽気に夜毎遊んでるのがおもしろい大人かもしんないですけど。
それと、お店のお姉ちゃんに威張ったり自慢したり、店員さん偉そうにアゴで使うのが生き甲斐のおじさんって、紙一重だし…
だからさ、“つまんない大人になりたくない”という子供さんが、なにを求めてるのかな…
良心とか思いやりも、場面場面で適切で頭よくないと、単なる世間知らずで世渡り下手になっちゃうんですよ。
まぁ、わたしも世渡り下手だけど(笑)
***
だからさ、石器時代とか縄文時代とかね。
人間が、一番人工的じゃなくて、本来自然の中で群れとして生きてた頃ね。
まだ、定住する前ね。
今の場所で食べ物とりつくして、食べ物がありそうな次の場所を探してひたすら歩いたりとか。
道具作ったり、食べ物を食べられるように加工するための、ひたすらな単純作業とか。
猟に出て、獲物の手がかりを探したり、仕留めたりするために、静かな精神状態で状況を観察したり。
そういうのは、動物としての人間が、生きていくための群れの成員であるために絶対不可欠なことだったの。
“やだ”“やりたくない”“つまんない”言ってたら、群れから脱落するのね。
だから、群れの一員でありたかったら、生きていたかったら、やるしかなかったの。
なんで、とかなかったの。
人間って動物のライフサイクルには、それが折り込み済みだったと思うの。
現代人はそんなことしなくても生きていけちゃうんだけどさ。
そんでも、おんなじ様な作用があるウォーキングとか単純作業とか瞑想の類いね。
そういうの、“ごちゃごちゃ言わないでやりなさい”って言う人はさ、つまんない大人じゃないんだよ。
いまの子供はさ、基本的に瞑想量なんか足りてないんだから。
単なる自分の欲界心の快不快に、お道徳で理屈こじつけて主張してることも多いよ。
ウォーキング・単純作業みたいな準瞑想も、瞑想も、欲界心にとってはやりたくないことなんだから。
欲界心が嫌なことをやりたくないのは、単なるわがままだからね。
原始時代は、やりたくなくてもやらなきゃ死ぬからやったってだけの事だよ。
それをある程度やって初めて、欲界心コントロールできるようになるんだけどね。
***
文明が生まれて、発達してさ。率いる群れのリーダーが偉くなってね。
その子供とかが甘やかされて、歩いたり単純作業や猟に出たりするのを免除されたりしてね。
そいつらが、アホになったんだと思うのね。
人間として必要な瞑想量が確保できなくなって、人間としての心のレベルに至れなくなったんだと思うわけ。
欲界心の悪心をコントロールできなくなった。
想像だけど。
そういつ奴らがさ、知恵も働かさず体も動かさず、ただ欲界心の欲望を満たすためにね、段々、よその群れを武力で侵略して奴隷化するようになったんだと思うの。
日本人の庶民って、奴隷化した人たちの成れの果て、みたいな人たちが結構いるんだよね。
たとえ奴隷でも、保護してもらえた方がいい。
搾取されながら何も考えずに働くだけの奴隷でいいから、権力に従って理不尽な社会の歯車になる。
そういう大人になりたくない、っていうなら分かるの。
侵略者側タイプにも、奴隷側タイプにも、なりたくない。
でもさ、そしたらどうするか。
奴らより、知恵がまわるようにならなくちゃ。
奴らより賢くなって、勝たなくちゃ。
したら、やっぱり修行なんだよ。
スマサナーラさんの本読んでね、瞑想。日本仏教の歩行禅でもいいけど。
それと勉強。
アビダンマ的な、仕組みを理解する知恵があれば、奴らには負けないと思うよ。
仕事の技術にだって、マーケティングにだって、それが必要だからね。
そのために瞑想とか積み重ねるのはさ、単調だけど、つまんないことじゃないんだよ。