Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

愛する修行

2013-10-07 | 思想
江原啓之さん以来“愛は充電池”“充分愛されれば愛せるようになる”というのが一般的になりまして。
しかし実際には、いくら愛しても愛されないし、いくら愛されても愛せないでしょう。
これが現実。

もちろん、親切で人道的な支配されない環境で育った方が“いい人”にはなるでしょう。
しかし“いい人”と“愛せる人”は違う、というのも実感じゃないですか。
これが分からない男性は“いい人”で一生終わってしまう(笑)

美輪明宏さんはとっても愛してるつもりみたいですが、わたしから見たらあれは鬼子母神の愛も同様。
自分の支持者を、子供のように愛してるだけ。
ああいうのは仏教では“愛欲”といい、煩悩の一種。
支配されてる存在を自分の肉体の一部の如く愛する自己愛。自分可愛さ。

でも、日本人が普通“愛しなさい”と言われたらああすると思うんですね。
ごく一般的な俗物的行動ですが、彼が愛した人たちからブッダに愛される(厳密には慈しまれる)ごとく愛されることはないでしょう…

“愛されれば愛せるようになる”などというのは、愛せない人間に都合のいい言い訳。
“自分は愛されたことのない可哀想な人間なだけなので愛しなさい”ということです。
わたしに言わせれば、境地を上げなければ愛せるようにはなりません。
または修行をしなければ愛せるようにはなりません。

これが分からないと、愛せない人間に都合よいエネルギー供給装置として使われかねない。
いくら愛しても相手は成長もせず、しまいにはナメてきます。
経験からいうと、相手が悪魔の場合百発百中(笑)

じゃあどうすればいいのか?
わたしがごちゃごちゃ説明するより“チベット密教 心の修行”という本を読んでいただくと早いのですが…
厚いハードカバーで少し高めですが、長野の図書館にはないんですよ。
愛せない人間の陰謀?(笑)

あの、チベット密教では“子供を愛する(正確には慈しむ、悲しむ)ように愛しなさい”とは教えてません。
“自分の母親を愛するように愛しなさい”と教えています。

無明の世界で、本当の教えに出会うことなく苦しんでいる母親。
しかし、自らを犠牲にして乳を与えオムツを替え教育を与え育ててくれた母親。
すべての人々が、いつかの前世には自分の母親であったように愛する。これがチベット仏教の愛(正確には慈悲)。

これをイメージトレーニングによって、現実に適用できるようにします。
胸声の人より腹声の人の方が早いでしょうが、別に胸声の人でも構わないと思う。
現実には虐待家庭とかネグレクトで母親をイメージしても愛せない人もいるかもしれませんが、その場合、いつかの前世にはちゃんと育ててくれた母親がいるとイメージしたらいいと思います。

あの、子供を愛するように愛するというのは、支配に変わりやすいのです。
親を愛するのは感謝と敬意ですから。
これなら支配にはならない。

日本人は持統や天武や藤原の子孫で、あまりこうした知識に馴染みがありませんからね…
やはり、ちゃんと読んで知識を身につけて実践するのがベストだと思います。

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