新興宗教が一般的に、教祖の言葉を絶対視して、
後の検討や新たな見解、進歩を生まず、
硬直化してしまうのは何故だろう。
それは、刻々と進化・深化しようとする人間の存在の、
ありのままの本質にそぐわない。
教祖に疑問を抱いたものは、教団に残れず、
自ら教団を立ち上げることになり、
小粒のカルト系新新宗教は、雨後の筍のように数えきれず発生する。
この無数の団体の中の一体幾つが、
本当に人類の精神性 . . . 本文を読む
アポピスーアメンは、はじまりの混沌の中に生じた、
まだ光になる前の最初の霊質の芯である。
“精妙すぎて認識できない光明”とは、こうした存在による光であり、
光明というよりはむしろ、ほとんど暗闇のように感じられるのである。
皆神山の大日堂、善光寺などにも、こうした光明が感じられる。
(正確には、善光寺にはアメン以外のみ仏も多く祀られており、
光となった光明も感じられるが)
アメンの配偶神である . . . 本文を読む