蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

日本の最期(3)─自分の土地を棄てた武士はもはや武士ではない─

2007年04月06日 | 中国の野望─その外交と軍事─
1.自分の地域のために生きてきた日本人の社会の形成
 いまさら言い古された武士を持ち出しても仕方がないし、私自身ももとより武士ではないから、持ち出すのが憚られるが、私たち日本人の祖先の生き方から学ぶ意味で、いくつかの例を出してみたい。
 平安時代から鎌倉時代にかけ武士が誕生した頃、武士は地域を守り、その土地で生きる人々の首長だったと考えられる。
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一所懸命の土地出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 一所懸命の土地 (いっしょけんめいのとち)は、中世日本において各々の在地領主が本拠とした土地であり、命をかけて最後まで守り抜く覚悟を持った土地をいう。その土地の地名を名字として名乗ることが多い。
 古代末期ごろ、在地の富豪層の中から自分で土地を開墾し、その土地に何らかの権利を有する開発領主と呼ばれる階層が出現した。開発領主のうち、国司などとして下向してきた軍事貴族と関係を結び、武装して初期の武士となる者も現れた。こうした武士は特に関東に多く、先祖から受け継いだ土地を自身の命より大切に考え、子孫に伝えようとする傾向が強く見られた。
 やがて中世後期になると、武士たちは戦国大名など領主層の家臣団として組み込まれていき、領地替え・国替えが行われることも、珍しくなくなった。しかし、先祖代々継承してきた土地に強い執着があった武士の一部は、主君の領地替えに隋従せずに武士身分を捨て浪人となり、その土地に農民として土着して残る者も出た。
 特に有力な土着の浪人たちに対しては、近世領主たちは、苗字や帯刀を許可するなど武士に近い一定の特権を認めて、庄屋・名主などの村方三役に任じることが多かった。こうして、一所懸命の土地に対する権利を継承していったのである。
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 身分としての武士ではなくとも、地域と共に生きてきた「紳士」が武士だった。他の身分であっても同じく地域とともに生きる道をたどった有力者は多い。代表は大阪商人、近江商人のような商人階級であろう。その発生を中世以前にまで遡らせた網野善彦の業績から、商人が古来から海を中心に活動してきた階層の人々であることが明らかにされてきたが、武士が土地を第一に考えたのと対照的に、商人はより理念的な理想を持っていた。
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箭内 昇氏:大阪商人道の神髄とは
 大阪商人道で特筆すべき第1は、利益についての考え方だ。
 江戸時代は「日本の富の7分は大阪に」といわれ、大阪は日本経済の中心地だった。堺、伏見のほか、阿波や江州など各地からの商人が入り交じり、とくに問屋、仲買、両替商が力を持っていた。
 そこでの厳しい競争を勝ち抜いたビジネスの成功者たちが培ったものが商人道だ。もっとも有名なものが、住友中興の祖ともいわれる大番頭広瀬宰平(さいへい)が明治15年に制定した有名な住友家法であり、その第2条は次のとおり記している。
 ・ 時勢の変遷理財の得失を計り、弛張興廃(しちょうこうはい)することあるべしといえども、いやしくも浮利にはしり軽進すべからず
 バブルの先導役といわれた住友銀行がイトマン事件でつまずいたとき、マスコミはこぞって「なぜ住友銀行は家法を破って浮利を追ったのか」と厳しく糾弾した。
 大阪は「金のないのは首なしや」といわれるように「カネ本位制」の社会だったが、あぶく銭は身を滅ぼすことを体得していたのだろう。
 第2は「信用」の重要性である。住友家法の第1条はビジネスマンなら誰でも知っているはずだ。
 ・ 信用を重んじ、確実を旨とし、もってその鞏固(きょうこ)隆盛を期すべし
 「カネ本位制」の社会は相互信頼がベースだ。大阪では取引の約束を守らなかったり、借金を返さなかったりすれば「のれん」に傷がつき、商人の世界では「終わり」を意味していた。
 江戸っ子が「焼くなり煮るなり勝手にしてくれ」と開き直り、「のれん」より自分の「顔」をつぶされることを嫌うのとはかなり異なるようだ。
 わが国ではバブル崩壊後、借入金の「踏み倒し」と「棒引き」が日常化している。「借りた金は返すな」という本が売れる時代だ。
 大銀行も大企業も不祥事のオンパレードでオオカミ少年化している。筆者はこの信用軽視やモラルハザードこそが、わが国の経済回復を遅らせ、国際競争力をそいでいる最大の要因だと確信している。
 第3は「始末」の心得だ。井原西鶴は商人の心得として算用、才覚、始末という3つをあげている。このうちの「始末」について、筆者は単なる節約、倹約と理解していた。菊田一夫の「がめつい奴」や上方落語の「始末の極意」で「関西人はドケチ」という印象だけが頭に刷り込まれていたのかもしれない。
 だが、その本質は「無駄を省いて生きたカネを使え」ということであり、さらには始めと終わりをはっきりさせるということで「けじめをつける」ということだという。
 バブル時代、多くの大企業は贅(ぜい)をきわめた豪華な本社ビルや厚生施設を建て、実態も把握せずに海外のリゾートや企業を買い漁(あさ)って天文学的な大金をどぶに捨てた。
 しかも、バブル崩壊後は不良債権処理を遅らせ「始末」をつけなかったため、「失われた10年」という不毛の時代をもたらした。「始末」の精神はすっかり陰を潜めていたのである
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 商人は武士の”土地”の概念を昇華させて、「地域関係」「人間関係」として把握したまさに近代的なコミュニティー論の先駆者とも言える。商人も含め地域の中核で責任を果たして生きてきた人々の思想は、「町人道」とも言われる。薩長藩閥明治政府の時代はもとよりそれを受け継いだ昭和・平成国家も”江戸時代”を”封建、暗黒”の一語で消去しようとしてきたが、実態は現在よりさらに市民社会的だった。
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西島 孜哉
氏:作品中の基本的キーワード

 西鶴の浮世草子で律儀の用例は49例ある。
身を捨恋にあきはて明けくれ律儀かまへ勤けるほどに(五人女1の2)
何事かと心元なし。律儀千万なる顔つきして(一代女1の3)
其律儀さ後生大事とかまへて(諸艶大鑑2の3)
年ひさしく律儀に役儀をつとめ、夕風に火用心を(盛衰記3の3)
唐土人は律儀に云約束のたがはず、絹物に奥口(永代蔵4の2)
 どれもほぼ似たようなもので、まじめで融通がきかない人物として描かれる。馬鹿正直というような意味合いが強いのである。少し揶揄するような使い方が見受けられるが、その人物のあり方を否定してしまうのではなさそうである。一つの典型的な人物像としているようにみえる。そのような典型を町人道の基本的な条件に取り上げているところに、西鶴の現実への鋭い眼があるといえそうである。
 正直についても同様である。用例は42例ある。
相生よく仕合よく夫は正直のかうべをかたふけ(五人女2の4)
はるばる正直にくだる心ざし、咄しの種に(諸国ばなし5の7)
渡世を大事に、正直の頭をわらして、暫時も只居(永代蔵4の1)
是町人の鑑ぞかし。殊更正直を本としてすゑすゑ目出度は(織留2の2)
 律儀同様に典型的な生き方としているようである。娯楽的で慰み草である浮世草子にとっておもしろさという点からすると、なかなか主人公にはなりえない人物像である。彼らの生き方は、波乱万丈ではいないが、地道にそれなりの人生を全うしている。西鶴はそんな人物像に注目しているのである。『永代蔵』の巻頭章の主人公が律儀で正直な男であったことは、その端的なあらわれであったと思う。
 始末、堅固、家職はどうであろう。
 始末の用例は83例と多い。好色物から町人物などすべての作品に見られる。
此世悴、親にまさりて、始末を第一にして(永代蔵1の2)
正月の着物もせず、年中始末に身をかため、慰には観世紙縷を(永代蔵2の2)
総じて人の始末は、正月の事なり。まだ堪忍の(永代蔵4の5)
あそび事にも始末第一、気のつまるせんさく也(胸算用2の1)
是をおもへば、万事に始末すべし。銀子を借て、利銀(織留2の1)
 なかでも『永代蔵』17例、『世間胸算用』9例、『織留』7例と町人物といわれる作品に多くみられる。好色物では「始末過ぎて見苦し」(椀久一世2の3)などと用いられる例もみられるが、それらの大半は肯定的に用いられているのである。
 堅固35例(達者の13例を含める)にも同様の傾向が見られる。
正直の頭をよごし、身をけんごにはたらき、世わたりにわたくしなく(新可笑記2の1)
第一、人間堅固なるが、身を過る元なり。(永代蔵2の1)
一切の人間、無事堅固になくては、世に住る甲斐は(織留4の2)
鬼のごとく達者になし給ひ、此手柄かくれなし(永代蔵6の3)
 家職についての用例は少ないが、17例みられる。
昔見し人、其家職かはらず、此前、日用取は其姿(永代蔵4の3)
うき世なれば、定まりし家職に油断なく(胸算用3の4)
総じて親より仕つづきたる家職のほかに、商売を替て(胸算用5の2)
 家職は替えないほうがよく、たとえ分散にあってもまた再び同じ家職をするものだといっているのは特徴的である。家職が家代々の仕つづけたものであり、個人的なものではないことを強調しているのであろう。
  もう一方の付随的キーワード
 西鶴の浮世草子には、「仕出し」の語は139例あった。また「知恵」は84例、「才覚」は121例、「利発」も66例見られる。この用例数からすると、律儀や正直などの着実なあり方よりも、新しい創造性が重んじられているかのように見える。しかし、仕出しや知恵才覚などの用例を吟味すると、それは家職にかかわって発揮されているのである。
 『永代蔵』巻1の3「昔は掛算今は当座銀」の主人公三井九郎衛門(実際は八郎右衛門)についてみてみる。延宝期の江戸の商業経済状況は武家財政の行き詰まりから、従来の掛売りの商法では営業が成り立たなくなっていた。西鶴はその状況を的確に描き、三井の「万現銀売りに掛値なし」の新商法を紹介する。諸種の織物の分担・分業制、切売り自由、即座の仕立など、呉服のデパートといえるような商法によって、
家栄え、毎日金子百五十両づつ、ならしに商売しけるとなり。世の重宝これぞかし。この亭主を見るに、目鼻手足あつて外に人にかはつた所もなく、家職にかはつてかしこし。大商人の手本なるべし。
となるのである。三井九郎衛門の成功は、知恵才覚によるものなのであるが、それは家職の延長上にあった。
 それは『永代蔵』巻4の1「祈る印の神の折敷」においても同様である。桔梗屋という染物屋の夫婦は「渡世を大事に正直の頭をわらして、暫時も只居せずかせげども」一向に埒があかない。そこで貧乏神を祭ったところ、「柳はみどり花は紅」のお告げをうけ、それより「明暮れ工夫を仕出し、蘇枋木の下染、その上を酢にてむしかへし、本紅の色にかはらぬ事を思ひ付き」となるのである。ここでも染物屋という家職のなかでの仕出しであった。ました桔梗屋の夫婦は正直で、暫時も只居しない働き者であったのである。
 西鶴が単なる思い付きの知恵才覚を重視していないのは明白であろう。
 『永代蔵』は巻4までが初稿であったと考えられる。それぞれの巻頭章の主人公は、西鶴が全体の基本的なトーンを考えて配置していると思う。巻1の1には律儀な江戸の船問屋、巻2の1にはこれも実直な藤屋市兵衛、巻3の1は長者丸を訓えられた律儀な四十男、巻4の1にはやはり実直な桔梗屋夫婦が取り上げられていたのである。それぞれ成功譚であるが、知恵才覚を教訓する話ではなかった。律儀と正直の話しであった。それこそが西鶴の最もいいたかったことではなかろうか。限られたエリートのみを対象とせず、普遍的な町人道をめざす、それが西鶴の描いた上方の人間文化であった。
 以上、律儀や正直と知恵や才覚などの用例をみてきた。西鶴の長者丸の処方や巻頭章に強調された語句は、町人道を示すキーワードであったと思う。そこから人間文化形成のモチベーションの構成要素として、最も基本的な地道とか着実性といったものが策定できると考える。もちろん知恵や才覚も町人道のキーワードであるには違いない。そこからはモチベーションの構成要素の一つとして創造性が策定しうるが、着実性と同じに論じることはできない。いわば基本的条件に対して付随的条件とでも位置づけるべきであろうか。
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 江戸時代の日本人市民の基本的モラルとして正直さ、実直さと生業での知恵才覚があったことが、井原西鶴の作品から浮かんでくる。それは地域社会を守り育てるものの義務だった。

2.自らの土地と社会を誰が守るのか?
 岡崎久彦氏は、日本を守るための外交的知恵を様々に提言していらっしゃるが、氏はフィナンシャル・タイムズの論説を重視していらっしゃる。その最近の論説に以下のものがあった。
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日本の軍隊、役割拡大に備える─フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース2007年4月4日(水)12:04 デビッド・ピリング
 日本の安倍晋三首相は3月、防衛大学校の卒業式に出席し、日本は今まさに転換期にあり、卒業生諸君はその中で「軍」(訳注・原文の"military"をそのまま訳出)に入ろうとしているのだと、強調した。
 卒業生を前に安倍首相は、北朝鮮の核開発から「大量破壊兵器の拡散」に至る「様々な課題」が、立ちはだかっていると述べた。日本がもっと意思をはっきりと主張し、国際情勢に積極的に関与するとなれば、これまで以上に世界各地の紛争地に、自衛隊の部隊や装備を派遣することを否応なく意味する。
 安倍氏の主張としては新しいものではない。これまでの論調を踏襲した発言だ。昨年秋に首相就任して以来、安倍氏はもっと積極的な外交の展開を主張し、防衛庁を防衛省へと格上げした。そして日本政府はまさに今、防衛費の割り当てを必要とする様々な施策を次々と打ち出しているところだ。
 日米両政府がまとめた在日米軍再編案という大規模なプランに基づき、日本政府は約1兆円を負担する。その一環として政府は、ミサイル防衛システムの配備を急いでいる。3月末には、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)が東京北部の航空自衛隊入間基地(埼玉県)に配備された。PAC3はすでに、在日米軍約5万人に大半が駐留する沖縄の嘉手納空軍基地には、20基以上が配備されている。
 PAC3は、日本へ向かって打ち込まれる弾道弾ミサイルを迎撃するよう設計されたもので、日本のイージス艦に搭載されている海対空ミサイルとセットで機能する。
 「省」に昇格したばかりの防衛省を率いる久間章生防衛大臣は、そもそも2011年完成予定のミサイル防衛システムを、前倒しで配備するよう主張。「国民の不安を取り除く必要がある」からだと述べている。
 日本政府はこのミサイル防衛システム以外にも、巨額の防衛費を払わなくてはならない。たとえば、老朽化した戦闘機約300機を次世代機と入れ替える必要がある。いま現役の戦闘機の中には、1971年に就役したものさえある。次期機には、1機あたり2億ドル(約240億円)の米国製か、1機あたり6500万ポンド(約155億円)のユーロファイターのどちらかが選ばれる見通しだ。
 さらに日本は、在日米軍再編の一環として、在沖縄海兵隊のグアム移転費60億ドルを負担しなくてはならない。
 こうして米軍再編に資金を出し、自衛隊の役割も拡充しようとする一方で、日本政府は防衛費を国民総生産(GNP)比1%以下に抑えるといういわゆる「1%枠」を守ろうとしており、現に防衛費を削減している。
 多くの人が、この矛盾に注目している。たとえば、トマス・シーファー駐日米国大使がそのひとりだ。シーファー大使はこのほど報道陣に対し、日本は米政府に便乗しているという考えを示した。「米国はGDPの4%以上を防衛費に費やしている。このお金はアメリカを守るためだけではなく、日本とアジア太平洋地域を守るためにも使われている」
 大使はさらに「(防衛分野で)日本にできることがたくさんあると気づいてもらいたい。その多くは、『GDP1%以下』という非公式の枠内には収まりきらないものだということにも、気づいてもらいたい」と述べた。
 「将来的には様々なことが予想され、日本がこのまま現状レベルの防衛費を維持するのはきわめて困難になるだろう。米政府は、日本が防衛費を増やすことを期待している」
 昨年12月末にまとめられた予算案では、今年度の防衛費は5年連続で削減され、前年度比0.3%減の400億ドル(4兆8016億円)と決まった。
 防衛関係者や防衛族は、予算増を求めていた。しかし財務省は削減を強く求め、冷戦中に想定されていた陸上攻撃に対抗するための装備を廃棄することで、予算削減は可能だと主張した。
 東京のテンプル大学で防衛問題を専門とするロバート・ドジャリック氏は、シーファー大使が日本の防衛費増を求めたのは、米政府の意向を反映したもので、安倍政権にとってプラス材料になるかもしれないと話す。「日本の保守層にとっては、『もっと防衛に金を使ってくれ』と米国大使に言われるのは、いいことなのだろう」
 しかしドジャリック氏の意見では、防衛費増大を受け入れる用意が日本国民にはまだない。戦後を通じて日本は、国家防衛のほとんどを米国に外注していたからだ。「アメリカが、頼りになる傘を掲げてくれているのだから、どうしてもっと払わなくてはならない? そういう考えだ。防衛費を増やせという有権者からの圧力は全くない」
 防衛大の卒業式で安倍首相は、日本の「安全保障基盤の着実な整備を図るとともに、日米同盟を一層強化していく必要がある」と強調した。
 しかしドジャリック氏によると、「1%枠」を超えても防衛費を増やすよう日本の世論が求めるようになるには、本当にアメリカは本気で日本を守ってくれるのだろうかという疑問が、もっと高まる必要がある。しかし日本国内ではこのところ、米国への信頼が揺らぎつつあると同氏は言う。6者協議で米政府が、北朝鮮との合意を急ぎすぎたという批判的な見方が、あちこちで浮上しているというのだ。
 米政府が北朝鮮との合意を受け入れたのは、中東で頭がいっぱいだからで、米国は北東アジアの諸問題に真剣に取り組んでいない――。日本の保守層の一部は、こう解釈した。
 アメリカは日本を守ってくれない、そういう不信感が広まれば、防衛費1%枠の撤廃を求める世論の高まりにつながるかもしれない。しかし、日本政府が防衛費増を目指しているという兆候が表面化すれば、日本国内だけでなく中韓からの強い反発を招くことになるだろう。「政治的に、実現可能なことかどうかは分からない」とドジャリック氏は言う。
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 今の日本の状況は退廃的だった第一次大戦後のフランスに似ているかもしれない。ナチスの台頭の前に分裂・混乱するフランスをアンドレ・モロワが回想している。
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葛西 敏之氏:米軍再編 国運かけた選択
 ここでもう一度歴史に立ち返りたい。フランスの作家アンドレ・モロワは著書「フランス敗れたり」の中で、大戦前の独仏関係について次のような思いを語っている。
 急速に軍備を拡大するナチス・ドイツに対し、フランスの「民意」は割れていた。資本家たちはフランスの安全よりも己の利益に専心し、ロシア革命に希望を見出していた労働者階級は、独ソ不可侵条約の締結以降はドイツに好意的だった。インテリ自由主義者は「平和のためには一方的軍縮を」と叫び、政治家たちはお互い同士の政争に忙しくドイツと戦う暇はなかった。
 このような分裂状態のなかで祖国が滅亡するのを見て、前線に立っていたフランスの将校や、兵たちは激しい絶望感に襲われながらも、心のどこかではそれぞれが身勝手なことばかりやっていたフランスは、当然の報いを受けただけだという思いに付きまとわれていた。このような有り様から祖国を救うには、どうした良かったのか。
 カナダに亡命する戦中でモロワが手持ちのバルザックの小説の表紙に書き付けたのは次のようなことだった。「世論を指導すること。指導者は民に行くべき道を示す者で、民に従うものではない」。「国の統一を保つこと。政治家と言うものは同じ船に乗り合わせた客である。船が難破すれば全員が死ぬのだ」。「祖国の統一を攪乱しようとする思想から青年を守ること。祖国を守るために努力しない国民は自殺するのに等しい」。いずれも民意の行方にゆれる今の日本にそのまま当てはまることのように感じられる。
 歴史の教訓を要約するとこうなるだろう。「民意」は尊重されなければならない。しかし一部の利益が過剰に主張されたとき、それはブーメランのように自分に戻ってきて、自らを傷つける凶器となる。
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 滅びるものは滅びるべくして亡ぶ。その最たるものは、孫子を借りて言えば”己を忘れ敵を不知は・・・”であろう。


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