中村彝のテーヌ訳稿表紙の謎は、誰が<(中村彝訳)>と<(鈴木良三筆写)>という文字列をペンで書き加え、さらにその後<(鈴木良三筆写)>を鉛筆で覆い消したかということであった。
この謎は解けそうもなかったし、解いたところでさしたる意味もなかろうということで、私は、この問題をしばらく放擲し、忘れていた。
しかし、その後、先の記事で書いているように、チェンニーニ訳稿(下図)が実は、真筆ではないということがわかってきた。
チェンニーニの訳稿は、茨城県近代美術館に実物がなかったし、刊行されたその訳本に掲載されていた古びて不鮮明な写真の方も200字詰原稿用紙2枚分だけだったので、彝の文字研究の材料には最初からならなかった。しかし、これが真筆でないとは誰も全く思いもよらずにいたし、誰にも検討もされず、そのままとなっていた。
今、この真筆ではないチェンニーニの訳稿がどこにあるのかは分からない。
が、写真原稿のすべてのひらがな、カタカナ、漢字、数字、句読点の原稿用紙上の位置などを鈴木良三氏の肉筆と比較照合したところ、氏の文字であることに間違いないだろうという結論を得た。
実際、たとえば、「ルノアール」などという文字は、まさにそっくりそのままであった。もちろん、カタカナは画数が単純だから偶然に似るということもあるが、他の漢字も、ひらがなも、時代によっての多少の違いを考慮すれば、良三氏の特徴がすべてに見られたのである。
こうして、チェンニーニ翻訳刊行本の写真原稿が彝の真筆ではないことが明らかになった。
なぜ、私が最初に良三氏の文字かも知れないと思うに至ったかと言えば、もちろん、それは、テーヌの訳稿の謎がその答えを自ずから語っていたからである。
つまり、テーヌの訳稿に<(中村彝訳)>と<(鈴木良三筆写)>という文字列を書き加えたのも良三氏であるし、後に<(鈴木良三筆写)>を鉛筆で、覆い消したのも良三氏である。
このように考えればすべてがうまく説明される、そう気づいたからである。
実際、テーヌ訳稿表紙の<(中村彝訳)>と<(鈴木良三筆写)>の文字は、鈴木氏本人の肉筆に間違いなかった。「中村彝」も本人の名前も、良三氏の書いた多数の葉書や書簡からいくらでもその文字を拾って裏付けることができる。
良三氏はある時、自分が筆写したことがあるチェンニーニの『芸術の書』の訳稿と、テーヌの『芸術の哲学』の訳稿をうっかり取り違え、テーヌ訳稿の方に<(鈴木良三筆写)>と書いてしまったのではないか。だから、これに気づいた氏は、鉛筆で覆い消したのである。
以上のように2つをリンクして考えれば、すべてが説明でき、2つの謎も同時に解ける。
そして実際に、問題の2つの訳稿の文字そのものも、まさしく良三氏の文字に合致したのである。
この謎は解けそうもなかったし、解いたところでさしたる意味もなかろうということで、私は、この問題をしばらく放擲し、忘れていた。
しかし、その後、先の記事で書いているように、チェンニーニ訳稿(下図)が実は、真筆ではないということがわかってきた。
チェンニーニの訳稿は、茨城県近代美術館に実物がなかったし、刊行されたその訳本に掲載されていた古びて不鮮明な写真の方も200字詰原稿用紙2枚分だけだったので、彝の文字研究の材料には最初からならなかった。しかし、これが真筆でないとは誰も全く思いもよらずにいたし、誰にも検討もされず、そのままとなっていた。
今、この真筆ではないチェンニーニの訳稿がどこにあるのかは分からない。
が、写真原稿のすべてのひらがな、カタカナ、漢字、数字、句読点の原稿用紙上の位置などを鈴木良三氏の肉筆と比較照合したところ、氏の文字であることに間違いないだろうという結論を得た。
実際、たとえば、「ルノアール」などという文字は、まさにそっくりそのままであった。もちろん、カタカナは画数が単純だから偶然に似るということもあるが、他の漢字も、ひらがなも、時代によっての多少の違いを考慮すれば、良三氏の特徴がすべてに見られたのである。
こうして、チェンニーニ翻訳刊行本の写真原稿が彝の真筆ではないことが明らかになった。
なぜ、私が最初に良三氏の文字かも知れないと思うに至ったかと言えば、もちろん、それは、テーヌの訳稿の謎がその答えを自ずから語っていたからである。
つまり、テーヌの訳稿に<(中村彝訳)>と<(鈴木良三筆写)>という文字列を書き加えたのも良三氏であるし、後に<(鈴木良三筆写)>を鉛筆で、覆い消したのも良三氏である。
このように考えればすべてがうまく説明される、そう気づいたからである。
実際、テーヌ訳稿表紙の<(中村彝訳)>と<(鈴木良三筆写)>の文字は、鈴木氏本人の肉筆に間違いなかった。「中村彝」も本人の名前も、良三氏の書いた多数の葉書や書簡からいくらでもその文字を拾って裏付けることができる。
良三氏はある時、自分が筆写したことがあるチェンニーニの『芸術の書』の訳稿と、テーヌの『芸術の哲学』の訳稿をうっかり取り違え、テーヌ訳稿の方に<(鈴木良三筆写)>と書いてしまったのではないか。だから、これに気づいた氏は、鉛筆で覆い消したのである。
以上のように2つをリンクして考えれば、すべてが説明でき、2つの謎も同時に解ける。
そして実際に、問題の2つの訳稿の文字そのものも、まさしく良三氏の文字に合致したのである。