明治33年(1900年)は世紀の変わり目だが、この年に描かれたとても大きな作品が茨城県近代美術館にある。下村観山の「大原之露」がそれである。
直接の典拠かどうかは別にしても、『平家物語』の「灌頂巻(かんじょうのまき)」に見られる<大原御幸>から題材をとった作品。描かれている二人の女性は、建礼門院とお供の女房。
建礼門院は安徳天皇の母、平清盛の娘で、壇の浦で入水したが助けられ、出家して大原の寂光院に住んでいた。
そうしたある日、たまたまうしろの山に花摘みに出かけているとき、後白河法皇が訪ねてくる(大原御幸)。陰暦四月の二十日あまりのころ。
平家追討の命を下した法皇が、思いもよらないところに訪ねてくるのであるから、このとき、女院の心はさぞかし揺れたであろう。
であるから、女院と女房とが「法皇の到着を待っている場面」では決してないのである。
二人は、まだ山中にあり、建礼門院は花筐(はながたみ)、すなわち花かごとともに表現され、もうひとりは「爪木(つまぎ)に蕨(わらび)折添へていだきたる」姿で描かれている。
女院はまだ坐っておいでだが、お供の女房は、何やらざわついているのを感じてか、立ち上がって下方を見つめている。
そうした、いわば心理的な揺らめきがこれから起こるであろう場面を描いているのであり、私には、女院の表情も心なしか不安げに見えるのである。
この頃の観山の仕事は、仏画、大和絵、狩野派などのほか、洋画、<朦朧体>などの画風を総合していったと言われている。この作品においても、<朦朧体>は特に顕著に認められる。なお、観山は明治41年にも「大原御幸」1巻も別に描いており、この場面に似た情景が出てくるが、先ずはこの茨城県の大きな作品をご覧あれ。
ただしこの作品は、頻繁には展示されていないので、事前に情報を得てから来館することが必要だ。