2013/12/25、109シネマズ木場。スクリーン3。
岡田准一、三浦春馬、吹石一恵、夏八木勲、井上真央、風吹ジュン、平幹二郎、浜田岳。
*
祖母、松乃の死、葬儀で泣き崩れる祖父、賢一郎(夏八木勲)。
控室で健太郎(三浦春馬)は母、清子(風吹ジュン)と姉、慶子(吹石一恵)から
祖父は祖母の再婚相手で、実の祖父は宮部久蔵で特攻で戦死したと聞かされてびっくりする。
健太郎は慶子とともにの宮部久蔵について調べ始める。
慶子はあらかじめ宮部久蔵を知る人物に連絡し、返事をいくつも貰っていた。
最初に会った男、長谷川(平幹二郎)は宮部を臆病者と罵る。
腕は立つのに空中戦に関わらない卑怯者、死にたくないと逃げ回る臆病者、
聞こえてくるのは悪い話ばかり。
しかし、何人目かに会ったやくざの親分と思われる景浦(田中泯)は、
宮部が臆病者だったのかと聞く健太郎に激怒し追い返してしまう。
病床にある井崎(橋爪功)は、自分が宮部の小隊にいたときの話を語り、
宮部が臆病者ではなく、国に残した妻と子のために絶対に生きて帰ると考えていたことを語る。
一体、誰の話が本当なのか。
どうしても生きて帰りたいと言っていた宮部が特攻隊に志願したのはなぜか。
そしてついにその最後を知る人物に出会う。
*
現代に生きる人たちの戦闘機乗りの時代をつなぎ合わせて構成。
宮部久蔵(岡田准一)の小隊の部下、井崎(浜田岳=>橋詰功)
宮部教官時代の武田(三浦貴大=>山本学)
特攻隊支援部隊での景浦(新井浩文=>田中泯)と大石(染谷将太=>夏八木勲)
それはそれでいいが、細かいエピソードのつぎはぎになってしまっているのは残念。
*
百田尚樹による同名小説の映画化だが、脚本が「謎解き」を重視するあまり、
全体を台無しにしている。
映画では姉の慶子が実の祖父、宮部久蔵のことを調べ始めるきっかけも緩いが、
何より多くの生き残り隊員からの連絡を貰って会いに行くのに、
彼らが宮部に対しどういう感情を抱いているのかが会って初めて分かると言うお粗末さ。
もらった手紙を読んでないのか。
姉弟がいろいろ調べて、無理やり話を聞いたらぼろくそに言われた、のなら判るが、
話しをしますと言ってきた相手が祖父とどういう関係でどういう気持ちを持っているのか、
手紙を読めば、あらかたわかりそうなものだ。
そして最後に祖父が突然、ベラベラ喋るのは合点がいかない。
「いつか話そうと思っていた」のはいいとして、あれだけ思い入れのある人物について
「お前たちの本当のおじいさんは本当にすごい人だった」と言って聞かせていて然るべき。
最初に調べると言った時にぜひ調べてほしいと言っていたのに、
なぜ自分の持つ情報を一切与えなかったのか。
意外性を際立たせるため最後まで隠したのは製作者の意図だと思うが、
それはないよ感で一杯だった。
また、わかりやすくするためだろうが、謎解きを時系列に追い過ぎる。
エンディングの街中を飛ぶシーン、インタビューなどの回想シーンは
なぜあそこに持ってきたのか意図不明。
*
空母の航行シーンで若干違和感のある所があった。
ゼロ戦の造形はさすがというか、しっかりしている。
当初は21型、最後の方は52型も出てくる。
どこまでが実物大で、どこからがミニチュア、あるいはCGなのか見分けがつかない。
とある映画でエンディング近くに大量のゼロ戦が飛ぶシーンがあるがあれよりはずっと実機に近い。
映画については戦争美化、特攻賛美ともいわれるが必ずしもそうは思わなかった。
岡田准一、三浦春馬、吹石一恵、夏八木勲、井上真央、風吹ジュン、平幹二郎、浜田岳。
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祖母、松乃の死、葬儀で泣き崩れる祖父、賢一郎(夏八木勲)。
控室で健太郎(三浦春馬)は母、清子(風吹ジュン)と姉、慶子(吹石一恵)から
祖父は祖母の再婚相手で、実の祖父は宮部久蔵で特攻で戦死したと聞かされてびっくりする。
健太郎は慶子とともにの宮部久蔵について調べ始める。
慶子はあらかじめ宮部久蔵を知る人物に連絡し、返事をいくつも貰っていた。
最初に会った男、長谷川(平幹二郎)は宮部を臆病者と罵る。
腕は立つのに空中戦に関わらない卑怯者、死にたくないと逃げ回る臆病者、
聞こえてくるのは悪い話ばかり。
しかし、何人目かに会ったやくざの親分と思われる景浦(田中泯)は、
宮部が臆病者だったのかと聞く健太郎に激怒し追い返してしまう。
病床にある井崎(橋爪功)は、自分が宮部の小隊にいたときの話を語り、
宮部が臆病者ではなく、国に残した妻と子のために絶対に生きて帰ると考えていたことを語る。
一体、誰の話が本当なのか。
どうしても生きて帰りたいと言っていた宮部が特攻隊に志願したのはなぜか。
そしてついにその最後を知る人物に出会う。
*
現代に生きる人たちの戦闘機乗りの時代をつなぎ合わせて構成。
宮部久蔵(岡田准一)の小隊の部下、井崎(浜田岳=>橋詰功)
宮部教官時代の武田(三浦貴大=>山本学)
特攻隊支援部隊での景浦(新井浩文=>田中泯)と大石(染谷将太=>夏八木勲)
それはそれでいいが、細かいエピソードのつぎはぎになってしまっているのは残念。
*
百田尚樹による同名小説の映画化だが、脚本が「謎解き」を重視するあまり、
全体を台無しにしている。
映画では姉の慶子が実の祖父、宮部久蔵のことを調べ始めるきっかけも緩いが、
何より多くの生き残り隊員からの連絡を貰って会いに行くのに、
彼らが宮部に対しどういう感情を抱いているのかが会って初めて分かると言うお粗末さ。
もらった手紙を読んでないのか。
姉弟がいろいろ調べて、無理やり話を聞いたらぼろくそに言われた、のなら判るが、
話しをしますと言ってきた相手が祖父とどういう関係でどういう気持ちを持っているのか、
手紙を読めば、あらかたわかりそうなものだ。
そして最後に祖父が突然、ベラベラ喋るのは合点がいかない。
「いつか話そうと思っていた」のはいいとして、あれだけ思い入れのある人物について
「お前たちの本当のおじいさんは本当にすごい人だった」と言って聞かせていて然るべき。
最初に調べると言った時にぜひ調べてほしいと言っていたのに、
なぜ自分の持つ情報を一切与えなかったのか。
意外性を際立たせるため最後まで隠したのは製作者の意図だと思うが、
それはないよ感で一杯だった。
また、わかりやすくするためだろうが、謎解きを時系列に追い過ぎる。
エンディングの街中を飛ぶシーン、インタビューなどの回想シーンは
なぜあそこに持ってきたのか意図不明。
*
空母の航行シーンで若干違和感のある所があった。
ゼロ戦の造形はさすがというか、しっかりしている。
当初は21型、最後の方は52型も出てくる。
どこまでが実物大で、どこからがミニチュア、あるいはCGなのか見分けがつかない。
とある映画でエンディング近くに大量のゼロ戦が飛ぶシーンがあるがあれよりはずっと実機に近い。
映画については戦争美化、特攻賛美ともいわれるが必ずしもそうは思わなかった。
「脚本が「謎解き」を重視するあまり、全体を台無しにしている」点についてはまったく同感です。
ただ、そうなったことの依ってきたるところは原作の構成自体にもあることは、拙ブログへの貴コメントに対する拙回答で触れておりますので、お読みいただければ幸いです。
なお、「もらった手紙を読んでないのか」という点に関しては、原作によれば、どうやら健太郎たちは、80過ぎの老人らの書いた手紙が達筆で書かれていたりして、満足に読めなかったようなのです。
ちょっとがっかりです。
手紙が満足に読めなかったのはわかりました。
でもそれで片づけるのはちょっと軽い。
映画は時間(尺)の問題があるから端折るのはしょうがないとしても、小説でそれは安直です。
私は原作未読だったせいか、あまり違和感がなかったのですが、確かに祖父が初めに言うべきですよね。
冒頭の火葬場での号泣シーンを際立たせたかったのかな。
是非調べてほしいという言葉の間に違和感がありました。
いかにも白々しい感がありました。
映画では難しいのかもしれませんが、
時系列を追わず、断片的に年代を行きつ戻りつしながら
最後にすべてがつながる構成の方が感動的でした。
構成にちょっと難あり、という所なんでしょうか。
そしてその遺志を継いで、松乃に対する敬愛の強さを思うと、
冒頭の健太郎や慶子との経緯の部分は矛盾というか不自然です。
今作は、「謎解き」に重きを置くあまり、物語の展開上
賢一郎の行動をそのままにしたのではないでしょうか。