みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

スサノヲ尊と大国主命

2018年10月17日 | 俳句日記

スサノオ尊

スサノオ尊は天孫族である。
御生れは高天ヶ原(日高見国)である。
大国主命は、呉の末裔かも知れない。
御生れは出雲である、出雲族としよう。

スサノオ尊は奇稲田姫を妻にして娘が生
れた、名をスセリヒメと言う。
大国主命がスサノオ尊を頼り根の堅洲国
に行った際に恋に落ち、駆け落ちした。

つまり、大国主命はスサノオ尊の一人娘
を奪ったのだった。
それが論より証拠、天孫族と大国主命に
血の繋がりはない。

但し、その子である事代主命には母方の
天孫族の血が流れている。
事代主命の長女は神武天皇の后となり、
次女は第2代綏靖(すいぜい)天皇の后だ。

姉妹で初代、2代の天皇の后となった。
如何に大国主命が大和朝廷の成立に貢献
したかが分かろうと言うものだ。
これには訳があった。

[古事記]では大国主はスサノオから七代
目の子孫となっているがそれは違う。
しかも八十神と言われる兄弟神の末っ子
だったとされていた。

大国主命

その末っ子が兄神達を差し置いて、因幡
の評判の美女、ヤガミヒメを妻にする。
兄達は嫉妬で怒り狂った。
二度殺されかけるが母神に助けられる。

まだ危ないと言う事で、母神はスサノオ
を頼れと大国主命を逃してくれた。
命はまず「紀の国」(紀伊?)へ逃れ、次
に堅洲国へと向かうとなっている。

出雲の人は「根の堅洲国」を島根県雲南
市としているが確証は無い。
私は、スサノオが海運を任されていた事
から伊勢ではないかと思っている。

というのは、三重県津市にある物部神社
には、スサノオが堅洲国へ向かう途中、
当地に一泊したとの伝承がある。
しかも尊は紀伊の熊野本宮に祀られる。

「紀伊」とは「紀の国」と「伊勢国」を
合わせた名称だ。
また、伊勢・志摩は海の民の土地だ。
そこに熊野本宮とくれば、ほぼ決まり。

大国主は「根の堅洲国」で、スサノオか
ら様々な薫陶を受けて成長する。
そして、宝剣と弓と娘まで奪って出雲に
戻り、八十神をやっつける。

二人が逃げる時、スサノオが投げつけた
言葉が[古事記]に残っている。

「俺の太刀と弓で兄達をこらしめ、大国
主となり、娘を正妻として立派な宮殿を
建てるのだ! 是の奴‼️」

やはり尊は、大国主に目を掛けていた。
この時の言葉から大国主命と呼ばれる事
になるのである。
命はスサノオに大きな借りが出来たので
あった。

(…つづく)


10月17日〔水〕曇り
ここ数年数値の改ざんが続く。
それも日本を代表する大企業に多い。
技術大国の奢りか?企業内テロか?
はたまた利益優先主義の蔓延か?

霞ヶ関も信用を失った。
指導監督どころではないのであろう。
この国は、あと何年もつのだろうか?

〈秋陰の 朝に吐息の 紙開き〉放浪子
季語・秋陰(秋)









が[日本書紀]では
その子である、とされている。




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