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◆ 原発のない沖縄での「脱原発」報道は? 

2011-11-14 12:12:17 | インポート

6月18日 琉球新報
石原氏「金目」発言 環境相の更迭は免れない

東京電力福島第1原発事故に伴う除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設をめぐり難航している福島県側との交渉について、石原伸晃環境相が16日、記者団に「最後は金目でしょ」と述べた。住民があたかも補償金や賠償金などを目当てに駆け引きをしていると決め付けるような発言だ。原発事故で故郷を追われ、再び戻れないかもしれない人々や貯蔵施設建設に向き合わなければならない住民を侮辱するもので看過できない。
 
石原氏は翌17日午前の閣議後会見で「全くの誤解。私の品を欠く発言で不快な思いをされた方におわびしたい」と陳謝した。誰が誤解しているというのか。国民の多くは札束で頬をたたいてでも従わせるという政府の本音を述べたと感じているのではないか。石原氏はこれまでも耳を疑う発言を繰り返している。野党時代の2012年には原発事故の汚染土壌について「運ぶところは福島第1サティアンしかない」とオウム真理教の施設名を使って発言した。13年には福島市内の会議で中間貯蔵施設建設について「(地元自治体の)皆さんが福島のために自ら行動するという認識を持っていただくことが重要」と述べ、責任転嫁の発言として反発を招いた。
 
米軍普天間飛行場の代替施設建設が計画されている名護市辺野古沿岸海域や大浦湾についても、政府が登録を目指す「奄美・琉球」の世界自然遺産に含めるかを問われた際に「守るべきものがいないところを政治的な問題として後から加えることは考えていない」と答えている。環境省が絶滅の危険性が極めて高い「絶滅危惧種1A類」に指定するジュゴンが生息する海を「守るべきものがいない」と切り捨てる感覚は、環境相として適格性を疑われても仕方ない。
 
中間貯蔵施設の住民説明会は地元などで16回開催されたが、石原氏は一度も出席していない。17日の会見で「被災者に寄り添い、丁寧な説明を続けたい」と釈明したが、全く説得力を欠いた。「お金なんか要らない。古里を元に戻してほしい」。避難生活を送る女性の叫びにまともに答えられるのか。一連の不用意な発言を勘案すれば、もはや石原氏が大臣として不適格なのは明らかだ。安倍晋三首相の任命責任は重い。速やかに石原氏を更迭すべきだ。

6月17日 琉球新報
原発再稼働の方針を明記 13年度版エネルギー白書

政府は17日、2013年度のエネルギー白書を閣議決定した。エネルギー基本計画を踏襲し、原発を「エネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」と位置づけ、「規制基準に適合すると認められた場合には、再稼働を進める」と安倍政権の方針を明記した。白書は、原発停止に伴い、電力の化石燃料への依存度が88%と、1973年の第1次オイルショック時の80%を上回ったと指摘。火力発電の利用拡大や円安の影響で13年の原油や液化天然ガス(LNG)など燃料の輸入費は、東日本大震災前の10年から10兆円増え27兆円になったとした。

6月12日 琉球新報
社説:原子力規制委人事 これでは存在意義はない

なりふり構わぬ原発推進の姿勢は異様だ。公正も中立もかなぐり捨てたありさまは看過できない。原子力規制委員会の委員に田中知東大大学院教授と石渡明東北大教授を充てる政府人事案が参院で可決され、正式承認された。与党が数の力で押し切った格好だ。田中氏は、原発推進派の学者らが集まる利権がらみの「原子力ムラ」の中心人物だ。その人物が原発再稼働の是非を論じるなど、戯画に等しい。日銀総裁や内閣法制局長官にみられるように、安倍政権は、人事権を駆使し、政権の望む結論を出す人を据えるというのが特徴だが、今回もまさにそうだ。自動販売機よろしく政権の望む通りの結論を自動的に出すというなら、原子力規制委員会など組織ごと不要だ。
 
田中氏は原発メーカーの日立GEニュークリア・エナジーから計360万円、大間原発の建設を進める電源開発から計300万円の寄付を受領していた。東京電力の関連団体・東電記念財団が助成する研究事業の審査も担当し、計約300万円の報酬も受け取った。自身がトップを務める東大大学院の専攻には東電の寄付講座を設置し、計約9千万円の寄付を受けた。原発の当事者からこれほど金を受け取っておいて、原発再稼働審査の適任者であるとは、いったいどういう理屈か。理解に苦しむ。
 
民主党政権が定めた原子力規制委の人選基準では、同一の原子力事業者から年50万円以上の報酬を受け取った者は認められない。石原伸晃環境相は「基準は民主党政権の政策だ」と適用しない考えを示した。それなら現政権でしっかりした基準を新たに定めるのが筋だ。しかし石原氏は「自民党政権は(新たに基準を)作らない」と述べた。驚くべき非論理性だ。地震や津波に関する審査が厳しいという理由で電力会社や自民党議員が批判していた島崎邦彦委員長代理が再任されず、石渡氏に代わることにも疑問を禁じ得ない。
 
福島第一原発の事故の前、危険性を指摘する声があったのに、電力会社は無視した。原子力安全・保安院が原発推進の経済産業省の中にあるという矛盾が、チェックの行き届かなかった原因とされ、その反省から生まれたのが独立機関である原子力規制委だった。だから当事者からの独立、公正性は組織の生命線であるはずだ。それを放棄するならこの組織に存在意義はない。

6月10日 沖縄タイムス
原発事故3年の記録 福島民報が記事集発行

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福島民報社が発行した記事集「震災 原発事故から3年の記録」

福島民報社は「震災 原発事故から3年の記録」と題した記事集を発行した。東京電力福島第1原発事故の「関連死」が増えている現状や避難区域の復旧など「福島の今」をはじめ、仮設住宅、除染、農漁業を含む17テーマの特集のほか、風評被害や心のケアなどを取り上げた論説も載せた。 冒頭では「再生の芽 育てよう」「福島の力と未来を信じる」と記した。3年間の変化、復興への歩みを写真で紹介している。

メーンの震災3年特集は福島第1原発で汚染水漏れが続く上、高放射線量により廃炉作業が阻まれている様子を図解入りで報じた。被災者が長い仮設住宅暮らしに疲れる中、災害公営住宅建設のための用地確保が進まない現状も伝えた。 一方、自主避難者の帰郷や農漁業再生へ向けた奮闘、再生可能エネルギーの試み、子どもに放射線の知識を正しく伝える授業の模索など復興への希望を多岐にわたり紹介した。論説は20本を掲載。ことし3月11日付は「復興のゴールはまだ遠いが、歩みは日々、力強さを増している」とした。56ページ。税込み500円。問い合わせは福島民報社、電話024(531)4182

八重山毎日子ども新聞「週間やっぴー」

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5月27日の八重山毎日紙面 西表(竹富町)の方より

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5月25日の沖縄タイムス

5月24日 沖縄タイムス
社説:[大飯原発差し止め]再稼働への重い警告だ

原発の再稼働に前のめりな国の政策に対する司法からの重い警告である。 関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを福井県の住民らが求めた訴訟で、福井地裁は定期点検中の2基の再稼働を認めない判決を言い渡した。 2011年3月の東京電力福島第1原発事故の後、原発の差し止めを認める判決は初めてである。

判決では、大飯原発の安全技術や設備を「確たる根拠のない楽観的な見通しの下で成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なもの」と厳しく批判し、地震の際の冷却機能と放射性物質を閉じ込める構造に欠陥があると指摘。原発の250キロ圏内に住む166人の請求を認めた。250キロの根拠は福島原発事故直後に、原子力委員会がまとめた資料だ。 また判決では、国民の生命や生活を守る人格権にも言及し、原発の稼働によってこの人格権が奪われる危険性が万が一でもあれば「差し止めが認められるのは当然だ」と断じている。

争点となった耐震性について関電が、安全対策の基準となる「基準地震動」の1・8倍までは過酷事故に至らないと主張していることに対し「地震大国日本で、それを超える地震が来ない根拠はない」と退けた。背景に「05年以降、全国四つの原発で5回にわたり想定を超える地震が到来している事実がある」としている。国はこの指摘を重く受け止めるべきだ。福島の事故がなかったかのように、再稼働を進めるのは、国民に対する背信行為ではないか。

これまで原発訴訟は、ほとんどが「手続き上適法」として住民の訴えを退けてきた。同じ3、4号機の差し止めを求めた仮処分の決定で大阪高裁が今月、申し立てを却下している。 だが、今回の判決では「福島原発事故後に、判断を避けることは、裁判所に課せられた最も重要な責務を放棄するに等しい」と言及した。原発をめぐる司法の姿勢が変化している兆しであろうか。

関電側が主張した電力供給の安定性やコスト低減について判決は「多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いを並べて論じることは法的には許されない」と厳しく批判した。原発稼働が二酸化炭素の排出削減に資すると主張したことには「福島の事故はわが国始まって以来最大の環境汚染だ」と一蹴した。被災者の心情をくみ取ったものであり、「脱原発」が根強い国民感情に沿ったものでもある。

国は原発を「重要なベースロード電源」と位置づけたエネルギー基本計画を閣議決定し、新増設にも含みを持たせている。 福島県では今も約13万人が避難生活を強いられている。帰還のめどが立たず、体調を崩したり、家族がばらばらに暮らす人たちも多い。 関西電力は、福井地裁判決を不服として控訴した。安倍政権は規制委の審査を通過した原発の再稼働を進める方針だが、福井地裁判決を踏まえると、なし崩し的な再稼働は許されない。

5月23日 琉球新報
社説:大飯原発差し止め 命を最重視した判決だ

関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを訴えた訴訟で、福井地裁は関西電力に再稼働を認めない判決を言い渡した。安全を軽視し再稼働を優先させた政府と関電の判断を厳しく批判し、原発の安全神話を否定した。原発は「人格権より劣位に置かれるべきだ」と踏み込んだ。生命を最重視する歴史的な判決といえるだろう。
 
最大の争点は、耐震設計の目安となる地震の揺れ(基準地震動)を超える地震が起きた際、重要施設に影響が出るかどうかだった。判決は原発の安全性について司法が独自に判断する姿勢を打ち出し、個人の生命や身体、精神などの人格権を重視する方向性を明確に示した。その上で、基準地震動を超える地震が来ないという関電の主張を、国民の安全を優先せず「確たる根拠のない楽観的な見通し」と断じている。
 
原発の電力供給の安定性、経済性を主張する関電に対し、「多数の人の生存にかかわる権利と電気代の高い低いという問題を並べることは法的に許されない」と批判した。原発停止で多額の貿易赤字が増え国富喪失につながるという主張は、「豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富」だとして退けている。
 
福島原発事故を「わが国最大の環境汚染」と認定し、原発はCO2(二酸化炭素)排出削減につながるとする関電の主張を「甚だしく筋違い」と一蹴した。説得力のある論理構成で関電の主張を全面的に否定した。重く受け止めるべき関電は判決を欠席した。不誠実ではないか。今回の判決は「想定を超える地震が来ないとは限らない」と全国の原発に共通する危険性を指摘している。係争中の裁判に影響を与えるだろう。現在、電力9社の11原発18基が原子力規制委員会の審査中だ。判決に耳を傾け、原発にしがみつく経営と決別すべきだ。
 
今回の判決は、原発再稼働と輸出に前のめりな安倍政権に対する警告である。安倍晋三首相は真摯(しんし)に向き合い、原子力政策を見直すべきだ。原子力規制委員会の第三者機関としての存在意義も問われている。原発事故から3年が過ぎても、約13万人が避難生活を余儀なくされている。判決で指針とされた人格権が侵害され続けていることを忘れてはならない。原発のない社会の実現こそ福島の教訓だ。

5月21日 沖縄タイムス
大飯原発再稼働認めず、福井地裁 福島事故後、初判決

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電子号外

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大飯原発3、4号機の運転差し止めを求めた訴訟の判決で、「差し止め 認める」などと書かれた垂れ幕を掲げる弁護士ら=21日午後、福井地裁前

東京電力福島第1原発事故後、安全性の保証をせずに大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県の住民らが関西電力に運転差し止めを求めた訴訟で、福井地裁(樋口英明裁判長)は21日、現在定期検査中の2基を「運転してはならない」と命じ、再稼働を認めない判決を言い渡した。福島事故後、原発の差し止めを認める判決は初めて。

運転再開を決定した当時の民主党政権の判断が否定されるとともに、その後に事実上追認した原子力規制委員会の姿勢も問われる。関電が再稼働を目指し規制委で審査中の2基だけでなく、各原発の審査にも影響を与えそうだ。

産経は「風評被害を生まないような配慮が必要」と、編集部が謝罪したかのような記事を全面に掲載。連載は当面休止(以前から決まっていた?)。

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5月17日の産経

5月16日 沖縄タイムス
美味しんぼ「批判受け止める」 編集部が最新号で見解

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「美味しんぼ」の5月19日発売号(左)と4月28日発売号。19日発売の最新号では特集記事や「編集部の見解」を掲載した

東京電力福島第1原発事故による健康影響の描写が議論を呼んだ漫画「美味しんぼ」を連載する小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」の最新号が、「批判を真摯に受け止め、表現のあり方について今一度見直す」とする編集部の見解を掲載していることが16日、分かった。福島県の自治体や有識者の賛否両論を載せた特集も組んだ。

19日発売の最新号では「編集部の見解」を表明し、残留放射性物質や低線量被ばくの影響についてあらためて問題提起するために作品を掲載したと説明した。さらに放射線の専門家や地元自治体などの批判や識者の意見などを、特集記事として10ページにわたって載せた。

5月15日 沖縄タイムス
大弦小弦:「今の福島に住んでは

「今の福島に住んではいけない」。故郷を愛しているはずの福島県双葉町の前町長、井戸川克隆さんは、どんな思いで発言したのだろうか 。30年連載が続く人気漫画「美味しんぼ」の福島第1原発事故をめぐる表現が波紋を広げている。主人公が原発訪問後、鼻血を出す描写に続いて、井戸川さんが「福島では同じ症状の人が大勢いますよ」と明かす場面などがあるからだ

これに地元の福島県や双葉町だけでなく、環境相らが「風評被害を助長する」などと抗議した。掲載した小学館側は鼻血と放射線の因果関係を断定しているものではないとの見解を示し、19日発売号で特集記事を掲載する。

事故後、沖縄へ避難してきた女性も鼻血が出たと訴え、放射線を疑っていた。原因は置いても、こうした症状の訴えはある。放射線医学の専門家は、関連性を「科学的にあり得ない」と否定している。しかし、東京にいる為政者たちがこぞって批判するほどに、放射線への不安を抱えながら地元にとどまり、日々子育てに懸命な父母はどんな思いでいるのだろうか、と胸がふさがる。

双葉町は、今なお7千人が故郷を離れたままだ。町長だった人が住めないと公言する現実はあまりに悲しい。原発事故の一番の被害者である地元の人たちを、外側から騒動に巻き込んでいるように思えてならない。

事実を表現しているのに、 産経は「風評被害を助長」と、まさに「マッチポンプ」の役割を担い、呼応した右翼」は出版社を攻撃。

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5月12日 沖縄タイムス
福島県「容認できず」 美味しんぼ鼻血描写

小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」の漫画「美味おいしんぼ」で、主人公らが東京電力福島第1原発を訪問後に鼻血を出すなどの描写をめぐり、福島県は12日、「風評被害を助長するもので断固容認できず、極めて遺憾」とホームページにコメントを出した。

また大阪市と大阪府は、12日発売の同誌で、震災がれきを受け入れた大阪市内の焼却場近くの住民が鼻血を出したり、目やのどに不快な症状を訴えたりしていると表現されたのは事実無根として同日、小学館に抗議文を出した。

5月7日 琉球新報
原発ゼロへ一般社団法人設立 小泉・細川元首相 

小泉純一郎、細川護熙両元首相は7日、原発ゼロに向けて自然エネルギーの普及を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」の設立総会を東京都内で開いた。原発再稼働を進める方針の安倍晋三首相を批判し、今年秋の福島県知事選や来年春の統一地方選で、原発ゼロを訴える候補への支援も検討する。両氏は共闘して2月の都知事選に臨んだが落選した。どこまで世論に浸透できるかが課題となる。代表理事には細川氏が就任。設立総会で「原発ゼロへの戦いは今日がスタートだ。再稼働に反対し、放射能の心配のない社会にしないといけない」と強調した。

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5月10日の産経

4月29日 沖縄タイムス
人気漫画に鼻血「風評被害」批判 「美味しんぼ」

小学館の漫画誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」の28日発売号に掲載された人気漫画「美味しんぼ」の中に、東京電力福島第1原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す場面があり、同誌編集部に「風評被害を助長する内容ではないか」などとする批判が相次いで寄せられていることが29日までに分かった。編集部は「鼻血や疲労感が放射線の影響によるものと断定する意図はありません」などとするコメントを同誌のホームページで発表した。

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4月30日の産経

4月15日 沖縄タイムス
社説:[エネルギー計画]フクシマを忘れたのか

東京電力福島第1原発事故から3年がすぎたのに、いまだに約14万人が故郷に帰れず、困難な避難生活を強いられている。事故は収束するどころか、現在進行形である。政府は過酷な現実から目をそらし、原発事故をなかったことにでもしたいのだろうか。 政府は国の中長期的な指針となる「エネルギー基本計画」を閣議決定した。原発を「重要なベースロード電源」と位置付け、再稼働を進める。

原発事故後、民主党政権が掲げた「2030年代に原発ゼロ」とする方針を破棄、事故前に完全に戻った。 基本計画は原発依存度を可能な限り低減させるとしながら、将来の電源比率を示さず、原発について「確保していく規模を見極める」と、新増設に含みを持たせている。 原発事故後、初めて決定する基本計画から見えるのは、経済を最優先し反省しない安倍内閣のあからさまな原発回帰の姿である。原発へ前のめりの姿勢は与党協議の中で当初、基本計画の序文から「深い反省を一時たりとも放念してはならない」との表現が削除された経緯からも分かる。

使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルを維持する。約1兆円を投じながらトラブル続きで実用化のめどが立たない高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県)は核燃料サイクルを担うが、すでに破綻しているといっていい。だが、高レベル放射性廃棄物の量を減らすための「国際的な研究拠点」として存続させるという。「トイレなきマンション」といわれる「核のごみ」への対処も示さない。無責任の極みである。

民意をくみ取り、基本計画に取り入れようとする政府の姿勢が見られない。 意見公募(パブリックコメント)でどのような意見が多かったかを明らかにしないことからもうかがえる。閣議決定に至る過程で、どのような議論がなされたのか、透明性に著しく欠ける。「原発活用」の結論ありき、なのである。そんな基本計画に正当性があるだろうか。

原発の再稼働について共同通信社が3月下旬に実施した全国電話世論調査では、反対が56・6%を占め、賛成は36・2%にとどまった。 同じく3月初旬に本社加盟の日本世論調査会が実施した全国面接世論調査で、全電力に占める原発の望ましい比率について「即時ゼロ」「段階的に減らし、将来はゼロ」を合わせた脱原発が69%を占め、原発容認・推進は29%にすぎなかった。

原発回帰は与党の自民、公明両党の公約にも反している。自民党は政権を取り戻した12年の衆院選の公約で「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」と、将来的な「脱原発依存」をうたった。公明党も「可能な限り速やかに原発ゼロを目指す」とし「『もんじゅは廃止』」と明記した。 民意にも、公約にも背を向けた基本計画である。 過酷事故に見舞われ、塗炭の苦しみが続く福島のことをもう忘れてしまったのか。原発政策を「3・11」前に戻すことは認められない。

4月12日 琉球新報
メディア時評・政府批判の自由 異なる見解、抑え込む 「公正中立」理由に圧力 

それぞれの事象に関連性はないかもしれない。しかしその「一連」の出来事に、ある種の気持ち悪さを感じる人がいるとすれば、それは今の世の中の表現の自由をめぐる「空気」を表すとも言えるだろう。

環境省の「反論」
今年の3月11日は、新聞やテレビで多くの東日本大震災特集報道がなされた。その一つに、テレビ朝日の「報道ステーション」があった。約40分の特集企画で、福島県内の子ども(事故当時18歳未満)の甲状腺がんを扱った番組だった。
 
福島県が行った「県民健康管理調査」の実態を検証し、委託先の県立医大が発表した「(現在までに分かっているがん患者33人について)被曝(ばく)の影響とは考えにくい」との結論に疑問を呈した。
 ここで問題とするのは、その番組後の政府の対応である。1週間以上が経過し、突然ウェブサイト上で環境省の「反論」が公表されたからだ。今回の原発事故をめぐる健康被害については「公害」として扱うことで環境省の管轄となっているが、同省総合環境政策局環境保健部は3月20日ごろからウェブ上で「最近の甲状腺検査をめぐる報道について」を掲出している(日付が入っていないので日時の特定はできない)。また伝えられるところでは、環境省は同文を該当社にファクスと手紙で届けたほか、環境省担当の記者を通じて直接手渡してもいるようだ。
 
文書の冒頭で、番組名を特定したうえで「事実関係に誤解を生ずるおそれもあるので、環境省としての見解を以下のようにお示しいたします」とし、甲状腺がんの発症と福島原発事故との因果関係や事故後の被曝線量についての環境省の考え方を説明するものとなっている。本文中には「お示しした理由のいくつかについては、本報道でも何人かの識者のコメントとして取り上げられており、報道内容全体をご覧いただけるとご理解いただけると思います」とも記されている。

強い心理的圧力
確かに明らかな事実誤認があった場合などに、当事者としての政府機関が訂正を求める申し入れを行うことはあり得るだろう。それが意図的な悪意をもって故意でなされた可能性があると明白に判断できる場合や、事前に誤りを指摘しているにもかかわらず繰り返し報道がなされた際には、抗議をすることがあってもよいと思われる。しかし、見解が異なるとしてわざわざ個別番組に対して事実上の抗議を行うことが許されるかは別問題だ。
 
番組では様々(さまざま)な専門家の見解を紹介し、現時点では因果関係が「わからない」ことを伝えることで、政府が強く「ない」ことを方向づけることにくぎを刺す内容となっている。そういう意味で政府の政策批判であることには違いないが、その批判が意図的に一方に偏ったものではないことは、先にふれたとおり同省の文面からも明らかで「報道全体からわかること」である。にもかかわらず番組を問題視するということは、一切の政府批判は許されないと言うに等しいことにならないか。
 
もともと放射能汚染や被曝健康被害の問題は、当該地域や住民へ大きな心理的物理的影響を与えかねないことから、報道機関も細心の注意を払って報道している領域である。時としてそうした対応は、真実を伝えていないとして、メディア批判の対象にすらなってきた(もちろん、そうした批判が当てはまる事例があることもまた事実である)。そうしたなかで、公権力が被曝問題については政府見解以外の見方を報道するなと言わんばかりの態度を示すことは、報道機関全体に大きな影を落とすことになるであろう。
 
とりわけ放送局は放送法上の規定で、事実報道や政治的公平さが義務付けされ、紙メディアに比してより強い心理的圧力を受けることになりかねない。こうした影響の可能性を考えず、行政機関が見解を発表したとなれば、あまりに現行法制度や原発をめぐる報道状況に無頓着に過ぎ、行政機関としても目配りが決定的に欠けていると言わざるを得ない。一方でもし、すべてを理解したうえで行った行為であるとすれば、まさに政府の強い「意思」があると判断せざるを得ないことになる。

究極の弱点
それは、政府の最重要課題については一歩も譲らない、批判は許さず徹底的に制約するとの強い意思である。そして今回の事例はまさに原発政策の根幹にかかわる問題であり、原発再稼働方針を是(ぜ)とした場合、原発被害が広範に発生する可能性があることはどうしても認めたくない「不都合な真実」ということになるのであろう。その意味で、報道ステーションは「虎の尾を踏んだ」ことになる。
 
こうした政府の究極の弱点に触れた場合、なりふり構わずその報道を抑え込むさまは、沖縄密約をめぐる外務省公電を報じた毎日新聞記者を裁判を通じて報道界から追放し、その後の沖縄返還、今に続く在日米軍基地への手厚いサポートを実現した45年前の状況と全く変わらないと言える。まさに政府とりわけ自民党政権にとって日米同盟関係や原発政策は、政権の根幹をなす中核的事項と言えるのであって、だからこそ死守する必要がある報道対象と言えるのであろう。
 
そうした視点で考えるならば、自衛隊配備問題をめぐる琉球新報(2月23日付朝刊)の報道に対し「過剰」に反応した防衛省の行動もまったく同じであることが分かる。政府の批判のポイントは、沖縄メディアが政府の辺野古移設方針に反対し「偏向」しているということであって、その内実は政府に批判的な言説が報道や意見の大半を占める新聞は問題である、ということに尽きるからである。

本旨は公権力監視
こうした傾向は自民党が政権復帰し、普天間県内移設・辺野古新基地建設を具体的に推進させようとしてきたここ1年あまり強まっている。元首相や大臣経験者を含む複数の政治家が名指しで媒体を批判したり、保守系論客がたびたび沖縄で講演会を開催し不買運動を呼びかける動きがみられる。これらに呼応するかのように、一部の民族系市民団体が政府方針に反対する政治家や市民に罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を浴びせ、ネット上の嫌がらせをするに及んでいる。
 
メディアの報道原則として「客観報道」が謳(うた)われることがあり、日本でも戦後米国の影響を受け、報道原則の一つとしてその趣旨が新聞倫理綱領の1項目に採用されてきた。しかし注意が必要なのは、ジャーナリズムの本旨は公権力監視であり、その存在自体が常に政府の言動に批判的な立場をとることを当然に求められているほか、記者や編集者が主観的にニュースを取捨選択し、紙面や番組を作ることもまた当たり前のことである。
 
その点からすればある事項に関し、政府の政策が誤っていると判断した場合、それに対し批判的な番組や紙面を制作することは批判の対象とならないばかりか、メディアとして当然の行為と言える。もし形式的な客観報道批判が成立するとすれば、オスプレイ配備や基地移設に反対する県民大会、度重なる米軍犯罪・事故を取り上げない在京の新聞紙面に対してこそ、問題ありと言ってしかるべきである。しかし、政府方針に抗(あらが)う立場の媒体のみを批判するところに、政府が公正中立を理由として政府批判に対する圧力をかけたいという意思が表れていると言わざるを得ない。本来であればむしろ選挙の結果とともに、県民の声を伝える地元メディアの紙面や番組を十分に政策に反映させることが求められているのであって、中央の意向に与(くみ)しない意見を抑え込もうとする対応は、民主主義のありようにも反する。
 
琉球新報の記事に対し、異例の抗議を行った防衛省の対応は、こうした政府の行為を如実に示したものであるとともに、より一段と報道規制色を強めた措置であって看過できない。こうした動きが重なることで、まずは在京のメディアが批判を躊(ちゅう)躇(ちょ)するように