鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

渡嘉敷島

2024年08月10日 | 雑談

高校生と中学生の孫が来て、渡嘉敷島に行って来たとのこと。

 

それって何処? 沖縄だそうです。

きれいな海で、アクララングをつけて潜ったり、海亀も見たよ。

 

何処の空港から行ったかと聞くと、神戸空港だそうだ、 あの小さな空港から沖縄行きが出ているんだ。

尾翼にハートのマークがあって可愛い飛行機だったとか。

 

沖縄は遠いけれど、楽しいと思っているとすぐに着いたんだろうな。

そこから渡嘉敷島は船で行ったそうだ。

 

沖縄本島の横の、慶良間諸島の中に渡嘉敷島があるらしい。

 

慶良間諸島のアップでたくさん島があるんだ。

この一番大きな島が渡嘉敷島。 シブがき島と書いたあたりの入江が阿波連ビーチで、そこに行ったとのこと。

 

入江をアップすると、新垣商店が見えた。 ここに行ったんだ、泊まった宿舎もあると、グーグルってすごいね。ストリートにすれば街並みも見えるし。

 

この海がきれいで、最高やったと大はしゃぎでした。

この子たちの両親は沖縄が好きなので、子供が小さい頃から何度も沖縄に行っている。石垣島なんかも行っている。

そこで、孫に、首里城や万座毛なども行ったことがあるか? と聞くと、そういう所には行かないんだ。

やはり海が良いようです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島市電

2024年08月09日 | 科学、生物

YAHOOニュースで

広島市電が、原爆投下で被曝したが半年ほどで営業運転に復帰し、現在も走っているという記事がありました。

 

記事の内容です。 この記事では電車のことしか書いてありませんが、原爆は600mの上空で爆発しているので、町中焼け野原になって、路線の復旧も大事業だったと思います。

 

書き込みも、褒める言葉が並んでいます。

 

さて、私としては原爆は大反対なのですが、一般の人の放射線についての異常な怖がり方には、少し考えを改めていただきたいと、ホームページ「鉄道模型のある生活」の勉強のページでも述べているのですが、この記事から思ったことを述べたいと思います。

 

原爆投下後、放射線の影響で広島には人が住めないとか、草木も100年は生えないなど言われました。

しかし、草は一週間後に生えてきました。 そして、人々は広島を救えと、たくさん広島に入ってきて、そこに住んで復旧に努力していました。  広島市電も、復旧に携わる人がいなければ、電車はもちろん、軌道や電気設備など復旧するはずはありません。 地面からは残留放射性物質や、放射化された物質からかなりの量の放射線が出ていました。 福島の比ではありません。 原爆が爆発しているのですから。

そこで、人々は放射線によりかなり体を痛めたことと思われますが、怖がって広島から逃げ出したわけではなく、その後も街の復旧に努力されて今の広島があります。

では、このように被曝された方が多いので、平均寿命は短くなったかというと、何年か後に(昭和30年代だったか?)広島市は政令指定都市で一番の長寿の市になっています。 長崎もずいぶん上位です。 もちろん原爆で大量に被曝した人は早く亡くなっているのですが、かなりの放射線の中で暮らしていて他の市よりも寿命が長かったということです。

こういうことを書くのに、いちおうノートを作ってあって、いろいろな本から、広島、チェルノブイリ、世界の原爆実験などの実測値などをメモしてあるので、感情で述べているのではないことをご了承ください。

なぜ、広島市の平均寿命が伸びたかというと、原爆があったので、後の医療体制が充実していた、ということだそうで、放射線被曝の影響はもちろん、他の病気へのフォローもしっかりしていたからだそうです。 

広島、長崎はもちろんですが、全世界で、2400回以上の原爆実験が行われています。 住人を避難させていますが、国によってはそれもいい加減で、大量に被曝した人がいます。 それらの方々の検査で、放射線がどれぐらい当たればどういう影響があるかということは良くわかっています。  しかし、非常に少ない線量で被曝した場合、どういう影響があるかは、ある線量まではわかるのですが、本当に少ない線量では調べようがありません。 他の影響、食べ物や気候、病気、事故などの影響の方が大きいからです。 普通の生活よりもごく低線量であれば被曝の方が影響が少ないということです。 福島はそのレベルです。

広島長崎でかなりの量を被曝して今まで生きてこられている方が何人もおられます。 近所の人も長崎で被曝しましたが98歳まで生きておられました。

 

人間はそんなに放射線に弱いものではないということが、広島市電の事例からもわかると思います。 爆心地の側で何年も働いた、そして爆発真下の平和公園にまだ100年も経っていないのに皆んなが行きます。 あまりにも低線量を怖がることで社会的にも自分の身体的にも影響があります。 被曝を怖がってCT検査をしないことなど、自分の命を縮める典型的な悪例です。

それから、広島、長崎の2世に奇形が多いというわけではありません。 他の事例からもわかったのですが、被曝した人の子供に奇形が現れることは無いと、最近国際的にはっきり認識されました。ですから、放射線検査で女性の下腹部に放射線防御をしないのは世界的な流れです。 でも、日本では相変わらず怖がる人が多いので、当分はプロテクターをするでしょう。

ごく低線量の被曝は体を元気にする。 ラジウム温泉に行った方が良いよ! とは本音です。 ラジウム以外、温泉でホッとする効果もあるし。 

三朝温泉です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2002年 ドイツの旅 27  ゴスラー その2

2024年08月08日 | 海外旅行

ゴスラーの街で観光トレインに乗りました。

 

狭い道をトレインが走ります。 

 

店も木組でドイツらしい。

 

横道も雰囲気が良い。 ドアが立派だ。

 

こんな、派手なドアの家もある。

トレインからだと家々を撮影しやすい。 歩いて家の前で撮ると怪しまれそうなので、まあ、観光客なので怪しまれはしないけれど。

 

小さな車が好きなので、ついつい写してしまいますが、シトロエンです。

 

さて、ここまでで皆さん気が付かれましたか? 壁です。 鉄平石のような薄い石の壁が多い。

 

家の横だって石壁です。

 

崩れているところを見つけました。 板の上に鉄平石らしい石を貼っているんです。

 

こういう出窓のある家、とても良い感じです。 そして屋根も石です。

 

立派な窓です。

 

おしゃれな窓、というかおしゃれな建物。

 

家は上にゆくほど幅広になっています。 昔の税金対策です。

 

こうやって、観光トレインに乗っているだけでいろいろな所が見えます。

良い町です。

つづく

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行った模型店、などなど  その5  大阪大丸と京都大丸

2024年08月07日 | 鉄道模型全般

デパートの模型売り場です。

・ 大阪大丸模型売り場

昔、大阪心斎橋の大丸に模型売り場がありました。 初めは本館で後に南館になったと思います。

1983年頃ですが、その売り場にNゲージのミニトリックスのスイス型の電気機関車、Re4/4がありました。 今でもヨーロッパもののNゲージは高価なのですが、当時はびっくりするほど高価でした。 とても買えないので、何度も行ってはショーウインドウのその機関車を指をくわえて眺めていました。

そんな時に、初老の夫婦が売り場にきました。 すると、店員が「**さん、これは気にいると思って取り寄せておきましたよ」とHOの車両を持ってきました。 何だっかよく見ていませんが、多分アメリカかヨーロッパ型の真鍮の製品です。

**十万円だったか、100万円ぐらいだったか忘れたけれど、当時の物価から100万円はないだろうけれど、驚くような金額です。

すると、その夫婦は、良いものが手に入ったと、即購入。 奥さんもニコニコしている。 旦那がこんなものにお金を使っても女につぎ込むよりは良いだろうという感じ。 そして店員が「また手頃なものがあったら取り置いておきます」「じゃあ頼みます」。 金持ちが模型を買うときは、こんなものだろう、とびっくりでした。

当時私は、Nゲージのスイスのレイアウト、ゴルナグラートバーンを作っていました。 日本の景色に飽きた頃でヨーロッパに憧れていたのでした。 そこで、スイス型のRe4/4は欲しい。 ということで、悩むこと半年、売れてしまう前に購入しました。

手前がRe4/4 客車は中古なども含めて適当に購入したスイスの客車。

この、ミニトリックスの機関車の走りのスムーズなこと。 低速から高速まで、気持ちよく走るし、接触不良もない。 ドイツ製の模型の実力を見せつけられました。 当時の日本のNゲージではとても敵いませんでした。 高価だけれど買って良かった。

 

ゴルナグラートバーンで、自作の客車を牽いて、霧の湖面を渡るSBBのRe4/4。 客車はSBBじゃなくてRhBです。

心斎橋大丸の模型売り場もいつの間にか無くなりました。

 

・京都大丸 模型売り場

京都の大丸にも鉄道模型売り場があった、たしか京都模型が入っていたと思う。

デパートに行くのに、模型売り場がない高島屋などには行かない。 洋服など買う時には(滅多に買わないが)大丸に行く。

日本型もあるがヨーロッパ型も置いてあった。 行くたびに貨車程度は買ったりしていたのだけれど、こんな客車セットもここで買った。

 

客車の4両セットだ。 これはオリエント急行なのです。 昔のオリエント急行ではなく、現在(当時の)のオリエント急行で、私はハンガリーのブタペストからウイーンまで乗ったことがある。

この列車はブタペスト発のパリ行きなので、ハンガリー、オーストリア、スイス、フランスを通る長距離列車だ。

だからいろいろな国の客車を繋いでいる。 ハンガリー、オーストリア、フランスの客車の編成だ。

メルクリン製だけれど、車輪は直流2線式の絶縁車輪がついているので、普通のHO車両だ。  手前に見えるチケットは実際のオリエント急行のチケットで、私が乗った時も同じチケットだったが、それがついている。 いろいろな国の車両があって、チケットまでついている憎い演出だ。 

レイアウト上で、ハンガリーの電気機関車に牽かせたオリエント急行。 3両なのは駅のホームが短いから。

ちなみに、架線があって、パンタグラフが擦れているので、パンタが上下しながら走っています。

さて、京都大丸にすごい客がいました。 当時は知らなかったのですが、ひょんなことからその方K氏のレイアウト作りを手伝うことになって、レイアウトルームに一年近く通ってレイアウトを完成させました。 製作どきにはほとんどの車両は仕舞ってあったのですが、その後車両を出した時に、伺いました。

 

K氏のレイアウトです。 たくさん車両があります。 ターンテーブルと扇形車庫に注目。 国鉄型の蒸気機関車がほぼ全形式あります。 これって、すべて天賞堂の真鍮製品です。

後ろの棚に編成が並べてあります。 実物通りの編成です。 全て真鍮製で、ほとんどが天賞堂で、天賞堂にない製品は他のメーカーもあります。 横にも棚があるし、もちろん、レイアウトの上の車両も全て真鍮製で、天賞堂でしょう。

この全てを京都大丸で購入しているのです。 いや〜 上得意だったでしょう。 ん百万円じゃあ、きかないでしょう。

後日談があって、この方、断捨離でこの車両を全て手放したとのこと。 入れ替え用のジーゼル一両だけを残して。

東京の業者に頼んで全て処理してくれと頼んだそうです。 中古価格で一体いくらになったのかと、ゲスな考えが頭に浮かびます。 そこで、電話で聞くと、めんどくさいからタダでみんな持って帰ってくれと言ったそうです。 え〜 タダ!!!

業者は箱詰めのためなど何度かレイアウトルームに来たそうですが、まさかタダという訳には行かないでしょうから、どうなったのかは知りませんが、今は入れ替え機一両と貨車数量しかない。 私が作ったレイアウトの電気系や信号などはまだ、きっちり動作しているそうですのでほっとしています。

 

京都大丸の模型売り場もなくなりました。 それから京都大丸には行かなくなりました。

 

模型店 つづく

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギターコンクールに出場した!!

2024年08月06日 | 音楽 ギター

第51回 日本ギターコンクールに出場しました。

昨年、コンクールを聴きに行ったのですが、シルバー部門(70歳以上)は予選もなくエントリーすればステージに上がれる。 そして上手な人もいるけれど、へぼくても手を叩いてもらえるし、来年はもう指が動かなくなりそうなので、思い切ってエントリーしました。 先日送ってきた名簿では、シルバー部門19名で、結構多い。 そしてよく見ると毎年出ている猛者連が何人かいる。

暑い、ギターを担いて荷物と舞台衣装(ベストとネクタイだけだけれど)、を持つと重い。 会場までは電車の駅からタクシーで行くほどではないがけっこうある、途中に喫茶店があるのを見つけて休憩。コーヒータイム。気分を落ち着かせよう。

 

会場は梅田新道のザ・フェニックスホール。 この左が国道1号線の終点で、この後ろから国道2号線になる重要地点。 ギターとは関係ないけれど。

 

エレベーターの鏡で自撮りしたけれど、結構の荷物で、ヘトヘト。

 

部門はたくさんあって、最高の部門はオヌール部門で、プロの人が出ています。 ここで勝って本当のプロ活動に入るのだろう。

私は、シルバー部門なんだけれど、70歳以上の人は60歳以上のシニア部門にも出られるし、中級や上級部門にも出られる。

だから、3つの部門に出ている人もいて、名簿を見てそんな強者もいるんだとびっくり。 部門が違っているので同じ曲でも良いので、それぞれの本番が練習にもなる。 しかも昨年も出ているし。

さて、受付をすませて、控室に。 何人か練習している。 

ここにテレビがあったので会場の様子を見ると

こんな感じで演奏するのです。 でもここは撮影、録画、録音禁止です。 ですから、自分の演奏している写真を撮ってもらうことができない。 後から主催者からもくれない。 教室の発表会ではなくてコンクールですから、真剣勝負の場です。

ほんとうは、コンクールで勝ちたいという気持ちはなくて、こんな舞台で弾いている写真を撮って欲しいと思って、エントリーしたのですが、それは無理。

そこで、目の前で練習していた人に控室で撮ってもらいました。

 

今回はベストを着ることにしました。 一応、ドレスコードがあって、あまりラフな格好では失格にしますと書いてあったのですが、Yシャツだけでも大丈夫ですが、上着は暑苦しいのでベストにしたのですが、家で試しに着たら暑いのなんの。 ズボンも3つ揃いなので夏用ではなく、あいのものなので少し厚い。 でも会場では快適でした。

ちょうどオリンピックをやっているので、選手たちは試合前にはものすごく緊張しているんだろうなと思ってそれよりはずっとストレスはマシだとは思っているんですが、勝つつもりはなくても緊張してきます。

そこで、精神安定剤を服用、 内科の先生にあがらない薬を頼んだら出してくれたもので、20年ほど前から何度か服用していますが、この薬は眠れない時や、なんとなくしんどい時など、何かにつけ出してくれる薬で、万能薬のようですが、あまり効いた感じはしない。 神経の昂りを抑える作用があるのですが、その前にコーヒーを飲んでいるので、プラスマイナスゼロか。

 

こんなことをしていると練習する時間がなくなってきた。 練習しすぎてもいけないのですが、やはり、指慣らしや体慣らしもしておかないと、急に100m競争を走れるわけもなく、それと同じで準備練習は必要なのですが、気分が落ち着かない。

やがて、名前を呼ばれて、最終の控室に案内されました。

数人が入れる狭い部屋で、今練習している人はとても上手で、前述の強者の一人です。 勝つつもりで練習しています。

ギターのケースがハードケースでいかにもベテランらしい。 私のケースは布なので貫禄がないが、少しは軽い。 でも、やはりハードケースを買おうかなど、余計なことを考える。

 

出場順です。 シルバー部門の2番目だったのですが、1番目の人が欠席。 私が最初の演奏者になりました。

待っている間に練習もするのですが、大事なのが爪磨き。 数日前から爪に傷をつけないように気を遣って、模型工作も控えているのですが、爪は毎日伸びてくる。 そこで、毎日手入れしますが、弦を弾いたときに爪がツルツルでないと、ジャリッとするような音がする。 爪の先の裏側あたりです。 #600のサンドペーパーで形を整えて、#1000で磨いて、さらに#2000ぐらいでピカピカにする。 模型の色塗り前みたいなものです。

最後に爪を磨いているのは落ち着くための気分的なものですが、何かしていないと落ち着かない。

やはり誰でも緊張するので、ネットで緊張しない方法を調べたら「諦めること。演奏が終われば解放されるので、さっさと演奏した方が気持ちが楽だと自分に言い聞かせることだ」 これは何にでも当てはまると思います。

いよいよ舞台袖の最終待機室に呼ばれました。 ここで、小さな音で最後の音合わせをして、待機。

ちなみに、弦は1週間ぐらい前に新品に交換しました。 交換後はナイロン弦なので伸びます。やはり新しい方が音が艶やかで良いのですが、新しすぎるとすぐに音が狂う。 だから1週間ぐらい前に変えたのですが、他の人はどれぐらいで変えているのだろう。

チャイムが鳴って、シルバー部門が始まります。

放送で名前を呼ばれて、会場へのドアが開いて、ステージへの階段を上がります。 あまりドキドキはないのですが、落ち着いた感じでもない。

左に見える階段ですね。 ステージの真ん中でお辞儀をして、会場を見ると観客は少ない。 演奏会ではないので出演者など関係者以外はいない。

待っている間に緊張で手に汗をかくので、布を持っているのですが、それを膝の上に置いてギターをその上に乗せ演奏スタイルができる。 昨年見たときに、こうやって布を膝の上に乗せる人多かったので真似しているのですが、皆さん手を拭くためではなくズボンがギターで擦れてピカピカにならないように布を置いているような気がするけれど、よくわからない。

今年は出演者が多いので、舞台上での音合わせなどできるだけ短くしてくださいとのことなので、さっさと弾き始めた。

初めの音を出したが最後、後戻りはできない。

アラビア風奇想曲という曲だが、出だしが、ちゃらちゃらちゃらちゃらチャラチャララー、と速いので間違わないように、速くなりすぎないように要注意なのだ。  ここでトチると、後まで尾を引く。

音を出した途端、あ〜 良い音だと思った。 これは会場の音響が良いということだ。 ステージでのリハーサルなど全くないので、このときに初めて自分の音が会場に響いているのが聞こえた。

後は、気をつけながら、そして適当にトチリながらの演奏になったが、やはり家で弾くようには行かない。 明らかに緊張で右指が硬くなっていることがわかる。 でも、以前人前で大失敗した時ほどではない。

難しい箇所がある、そこはうまく行くだろうか? やはりスムーズには行かなくてまあまあ、と、その部分を通過。 速い音階のスケールがあるが、そこもまあまあで通過。 聞かせどころは、なんとかうまくできたようでホッとして、コーダに進む。

実はほとんど覚えていないんです、弾いているときには案外冷静に考えながら弾いていたのですが、全体的には何も覚えていない。 だから、録音して後から聞きたいのですが、それができない。

終わるとホッとします。 お辞儀をして控室に戻り、荷造りして荷物を持って会場に入って他の人の演奏を聞く。 クロークがないので荷物を持って歩かなければならない、

同じシルバーの人の演奏を聴いていると、あ〜、この人に負けた、この人にも負けたと思うのです。 立派な賞は無理だし取る気もなかったのですが、最低の賞あたりでもらえれば、何もないのと違って、人にも言える。 でも、みんな上手だ。

間違え! などと不埒なことを思いながら聴いたりして。 2〜3名は明らかに低レベル(失礼)だったけれど、ほかはそれなりに上手だし、とても上手な人もいる。

シルバー部門が終わって、外に昼食にゆく。荷物を担いでだ。 近くに店はないし、日向はかんかん照りだし、暑い。

戻ってきて、上級部門を聴く。 やはり上級になると、初めの音だけで上手なのがわかる。 シルバー部門の実力は中級レベルのようだ。 とはいえコンクールでの中級なのでかなり上手なのではありますが。 年寄りは大学時代からギターをやってきた人が多いので、かなり上手なのですが、私なども若い頃やったが、途中何十年も抜けているのと年で指の動きが若い人ほどではない。

つぎに、オヌール部門の本選を聴く。 プロ対象なので一人30分近く弾く。 やはり、この部門になると、初めの音だけで上級者よりも一段上とはっきりわかる。 難しいし聴いたこともない曲が多いので、飽いてくるのだけれども、上手なことこの上ない。 本選出場者は4名。男二人女二人。 ここで優勝すると、このコンクールの最高賞になるので、盾はもちろん賞金30万円+ 10万円。 そして、スポンサーからギターケースやいろいろなものがもらえる。 

4人で、2時間近くかかって、その後、ゲストのプロのギタリスト

山田唯雄さんの演奏がある。 このコンクールでも10年以上前に最優秀賞を取ってその後、世界のいろいろなところで習ったり活躍している。 履歴で、京都堀川音楽高校卒業とあった。 ここは先日私がギター教室の発表会で演奏した堀川音楽高校ホールがあるところだ。 一気に、親しい人のように感じたけれど、親しいわけはない。

それにしても、上手ですね。 先ほどのオヌールの人たちが上手だと思ったけれど、やはり初めの一音だけで、その人たちより、ずっと上だとわかる。 中級、上級、オヌールと確実に一段ずつはレベルが高いのだかが本当のプロはさらに一段も2段も上だ。 よく聴くと、ひとつづつの音はもちろんだが、音がしない部分、休符が静かで十分な時間をとるし、ピアノでもそうだが、小さな音が綺麗。 まあ、こういうことはわかっているのだけれど、素人は休符の時でも雑音が鳴っていたりして、うまくできないんです。 ギターを肩からかけて、ジャンジャン伴奏するのは簡単だけれど(リズムとか、ノリは難しいだろうけれど)、右手で綺麗に感情を出して弾くのはものすごく難しい。 それに左手もついてゆかなければならないし。

 

この間に、審査が行われて、いよいよ結果発表。 もう、夜だ。

昨年はここまで居なかったので知らなかったけれど、各部門、講評があって、入賞者の名を順に言ってゆく。

いよいよ、シルバー部門だ。  銅賞から始まって、何人かの名前が言われた。 そして銀賞。 そこで私の名前が言われた。

もう、大喜びだ。

表彰式には金賞と銀賞の人が同時にあがり、賞をいただく。

そう、銀賞は2位ではない。 金賞が何人かいて、銀賞は2名だったか。 

 

私が賞状をもらっているところです。 このときには会場は満員で、華々しく賞をいただく。

もう、演奏が終わって何時間も経っているので皆さんラフなスタイルをしているが、ベストを着ていれば良かったか?

控室で弾いていた人は金賞のようだったが、最高賞は他の人だ。

そして、お年もかなりで足も悪く、ステージに上がる階段もおぼつかなかった女性が、演奏も拙かったけれど一所懸命頑張っていた人がいて、廊下で少しお話しした人がいたが、その人が奨励賞をもらった。 決して上手ではないけれど頑張っている姿に今後とも頑張ってほしいと審査員はよく見ているなと思ったのでした。

 

銀賞の賞状です。 第51回 日本ギターコンクール シルバー部門 銀賞です。

やはりこういうものを頂くと励みになります。 盾や副賞はありません、この紙だけです、入れ物もなかったので、家に帰ると、少しシワシワになってしまいましたけれど、大事です。

来年は80歳になるので、シルバーの上の80歳以上の部門を作ってくれたら一番若くて出場できるのですが、シルバーでは一番年上のようでした。 まあ、もう出場しないでしょうけれど。

 

長文、失礼しました。 興奮しているので。

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする