鉄道模型のある生活ブログ

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広島市電

2024年08月09日 | 科学、生物

YAHOOニュースで

広島市電が、原爆投下で被曝したが半年ほどで営業運転に復帰し、現在も走っているという記事がありました。

 

記事の内容です。 この記事では電車のことしか書いてありませんが、原爆は600mの上空で爆発しているので、町中焼け野原になって、路線の復旧も大事業だったと思います。

 

書き込みも、褒める言葉が並んでいます。

 

さて、私としては原爆は大反対なのですが、一般の人の放射線についての異常な怖がり方には、少し考えを改めていただきたいと、ホームページ「鉄道模型のある生活」の勉強のページでも述べているのですが、この記事から思ったことを述べたいと思います。

 

原爆投下後、放射線の影響で広島には人が住めないとか、草木も100年は生えないなど言われました。

しかし、草は一週間後に生えてきました。 そして、人々は広島を救えと、たくさん広島に入ってきて、そこに住んで復旧に努力していました。  広島市電も、復旧に携わる人がいなければ、電車はもちろん、軌道や電気設備など復旧するはずはありません。 地面からは残留放射性物質や、放射化された物質からかなりの量の放射線が出ていました。 福島の比ではありません。 原爆が爆発しているのですから。

そこで、人々は放射線によりかなり体を痛めたことと思われますが、怖がって広島から逃げ出したわけではなく、その後も街の復旧に努力されて今の広島があります。

では、このように被曝された方が多いので、平均寿命は短くなったかというと、何年か後に(昭和30年代だったか?)広島市は政令指定都市で一番の長寿の市になっています。 長崎もずいぶん上位です。 もちろん原爆で大量に被曝した人は早く亡くなっているのですが、かなりの放射線の中で暮らしていて他の市よりも寿命が長かったということです。

こういうことを書くのに、いちおうノートを作ってあって、いろいろな本から、広島、チェルノブイリ、世界の原爆実験などの実測値などをメモしてあるので、感情で述べているのではないことをご了承ください。

なぜ、広島市の平均寿命が伸びたかというと、原爆があったので、後の医療体制が充実していた、ということだそうで、放射線被曝の影響はもちろん、他の病気へのフォローもしっかりしていたからだそうです。 

広島、長崎はもちろんですが、全世界で、2400回以上の原爆実験が行われています。 住人を避難させていますが、国によってはそれもいい加減で、大量に被曝した人がいます。 それらの方々の検査で、放射線がどれぐらい当たればどういう影響があるかということは良くわかっています。  しかし、非常に少ない線量で被曝した場合、どういう影響があるかは、ある線量まではわかるのですが、本当に少ない線量では調べようがありません。 他の影響、食べ物や気候、病気、事故などの影響の方が大きいからです。 普通の生活よりもごく低線量であれば被曝の方が影響が少ないということです。 福島はそのレベルです。

広島長崎でかなりの量を被曝して今まで生きてこられている方が何人もおられます。 近所の人も長崎で被曝しましたが98歳まで生きておられました。

 

人間はそんなに放射線に弱いものではないということが、広島市電の事例からもわかると思います。 爆心地の側で何年も働いた、そして爆発真下の平和公園にまだ100年も経っていないのに皆んなが行きます。 あまりにも低線量を怖がることで社会的にも自分の身体的にも影響があります。 被曝を怖がってCT検査をしないことなど、自分の命を縮める典型的な悪例です。

それから、広島、長崎の2世に奇形が多いというわけではありません。 他の事例からもわかったのですが、被曝した人の子供に奇形が現れることは無いと、最近国際的にはっきり認識されました。ですから、放射線検査で女性の下腹部に放射線防御をしないのは世界的な流れです。 でも、日本では相変わらず怖がる人が多いので、当分はプロテクターをするでしょう。

ごく低線量の被曝は体を元気にする。 ラジウム温泉に行った方が良いよ! とは本音です。 ラジウム以外、温泉でホッとする効果もあるし。 

三朝温泉です。

 


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