
現代も、幽身と肉身を操って、生きている2000歳といわれる
”ヒマラヤババジ”
赤ちゃんのようなみずみずしさが、なくなるわけ
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印度時代(16年間インド在印)に、スピリチュアリズムを標榜して、師
を探し求めていた。
自分が師と仰いだ方は、確かに年をとらなかった。
年をとって、老けられたり、病気になったりする先達者は、いらしたが、
それは、弟子たちのカルマを、自分の身に乗っけて、自らを犠牲にして
いるかの風情だった。
師と準じた自分の知るところの 尊敬するヨギたちは、100歳の年齢
を超えても、若々しく、人里を離れて修行を続けていらした。
その中でも、ヨギの長老格で神人合一しているといわれる、ヒマラヤの
ババジの推定年齢は、2000歳と言われていた。
このババジは、肉体や幽体を自由に操り、 時と場合を、選択して出没し、
必要とする人の前には、肉体として、姿を顕したりされた。
実際、クリヤヨガを世界に広めた、ヨガナンダ師は、ババジと出会い、
アメリカにヨガ思想を広めるべく、使命を ババジから直接、与えられた。
(厳密には、ババジが、ヨガナンダ師の元を訪れて、彼に、その使命を授けた)
そうした先人たちが、一つの共通した真理を伝える;
それは、
”私たちが、本質の自分に気が付いて、それにつながれば、三次元の
肉体の老化という制約に反して、老いることはない”
ということだった。
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”本質の自分”は、この身体の”主”であると、”悟る”こと。
身体の煩(わずら)いに関しては 何よりも、”本質の自分”とつながっている
普段忘れている、自覚を、思い出すこと。”
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私は、16年のインド生活の中で、ヒマラヤの聖者たちといわれる、”ヨギ”
ら、それを間接的に教わった。
上に、書いた”年を取らない秘訣”は、意味深(しん)であった。
それは、”久遠(くおん)の今”に生きること、につながった。
久遠の今?
”Stay at void point over your self-conscious"
”久遠の今に生きなさい” というのだ。
久遠の今 は、 ”void point” の訳だ。
あるいは、そのまま直訳すれば、空点 になる。
では、”久遠の今”というのは、どこにあるのだろう?
今、ここに在る~と大師は言う。
そして、 私たちの、心の中にある。
今、この環境を、三次元に書かれた”円”と仮定してみる。
その”円”を描くには、何が必要か?
コンパス(自分の意識)が必要だ。
その、”コンパスの針”を置くところが、円の中心点になる。
同時に、それは、”意識の中心点”である。
その円は、人がいろいろな想いを重ねていくうちに 無数に、出来上がる。
喜怒哀楽の感情をもって描く円は、様々な環境をつくる。
こうして、人が生まれてから、はじめは、小さな環境(円)の中で生活し、
次第に、成長とともに、意識の多様性と発達によって、コンパスの脚は
長くなるとともに、大きな円を いくつも、幾つも 描き続け、今の
環境(最終的な円)がある。
では、円の中心 に目を移してみる。
円の中心になる、点は、”大我意識”の象徴だ。
つまり、まだ、自我意識ができていない、赤子の無垢な真っ新(さら)
な魂でもある。
ここに軸を置いた、小さな円は、空点(久遠の今の点)を軸に書いた円と
ぶれていないから、赤ちゃんは、無意識でありながら、あれだけ、周囲
を魅了するほど愛らしい。
成長するにつれて 本来の純粋な意識に“小我”という”エゴ意識”が覆い、
本来の中心点に、被さる”空点” と、次第に重ならなくなる。
エゴ意識で、空点から、ぶれ始めたところから、自分の描いた円
(内外環境)に 苦しみ、 悲しみ、憎しみなどの、負の感情の割合が
大きくなっていく。
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ここで ”年を取らない、コツ” の話に戻してみたい。
”空“ の中心点に、自分の意識を置いておけばよい。
そこには、時間が無いからだ。
時間が無ければ、歳を経た という自覚も生まれずらい。
すると、そこを中心にして描かれる円(身体的状態や、外的環境)には、
”歳をとる” という現実のルールと異なる、独自の世界が出現する。
これが ”歳を取らない、老けない秘訣”につながっていく。
続く
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