真言密教の奥義 2025年6月29日
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”即身成仏”(そくしんじょうぶつ)の術は、真言密教の奥義といわれます。
意味は、”今、この身はこのままで、成仏する”こと(を知ること)です。
”即身成仏”の前提 として、弘法大師は 4項目をあげています。
今日から一つずつ、それを、簡単に紐解いてみたいと思います。
その四つとは、
①六大無碍(ろくだいむげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり
②四種曼荼(ししゅまんだ)各(おのおの)離れず
③三密加持(さんみつかじ)して速疾(そくしつ)に顕(あら)わる
④重重帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく
です。
言葉は難しいのですが、内容は、シンプルです。
どんな ”真理の言葉”でも、内容そのものは、共通していて、シンプルです。
今日は、①の項目にある、”六大無碍(ろくだいむげ)” と、瑜伽(ゆが)という
言葉をみてましょう。
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1 六大無碍(ろくだいむげ)にして 常に瑜伽(ゆが)なり
ァ) 六大 とは?
この宇宙を構成している五つの元素と、人だけが持ち得る精神(識)をさします。
五つの元素とは ヴェーダ哲学の”宇宙構成元素”や、超古代神道の’ホツマツタヱ’
の”宇宙創成”の章に明記されている、”大地、水、火、風、空” の五元素のことです。
この五つの要素と、人の持つ精神機能である、“識”という働きを加えると、六つの
要素になり、”六大” の内容がこれです。
そして、そのあとに、次の言葉が続きます。
ィ)”無碍にして瑜伽(ゆが)なり”
この”五元素”+”私たちの意識”は、本来、”互いに差し障ることなく、一体に
なって存在している” というのが、”無碍にして瑜伽(ゆが)なり” の意味です。
無碍 は、般若心経の中の、”心無罣礙”~しんむけいげ~の”礙”と同じです。
”障り”、その原因となる、“執着している状態”などと、訳されています。
”軋轢(あつれき)”が存在しなければ、常に、自分の意識は、周囲と調和がとれて
いて、”無碍(むげ)”な状態です。
人同士、傷つけあったり、憎しみ有ったり、戦ったり、苦しみや悲しみを相互に
与え合うような関係は、仏の世界(実相国土)から見ると、”夢の世界”です。
なぜなら、こうした、”障り”がはびこっている、この世の世界は、実は、死という、
新たな生まれ変わりを境にして、一瞬に消えてしまうほどの、リアリティーが無い、
世界。
そうであることは、あの世もこの世もお見通しの、仏にとっては、明らかです。
つまり、 今生きている世界が、夢の世界だとしたら、夢でない、”実存の世界” が
存在していて、そこでは、大調和の世界だから、軋轢は何も見当たらないわけです。
それがそのまま、この三次元のこの世の世界に、再現させることは、一人ひとりが
仏の自覚を持った時、可能になるのでしょう。
天国にしかない”平和”を、地上にもたらすことができるとしたら、それは、自分自身
の革命を、それぞれが果たしたときでしょう。
”革命” とは、自分自身の劇的変化です。
”劇的変化”とは、自分が、仏そのものである、と覚ることです。
それが、無碍(むげ)にして、瑜伽(ゆが)の状態にあるということです。
”滅びゆく物質である、肉体細胞”や、”感覚機能によって、左右される、感情と
その想い(識)”が、自分だと思っていますが・・
実体は、そうでなくて、”魂”が、不滅の私、
喜怒哀楽の感情でなくて、”静謐な魂の誠心”
が、 私たちの本質である、と気が付くこと・・・で”この身このまま、仏なり”
すなわち、”即身成仏”が 現実化します。
時間がかかるでしょうけど、それは、必ず、具体化するでしょう。
では、”六大無碍(ろくだいむげ)にして常に瑜伽(ゆが)なり”と続く 、この
”瑜伽(ゆが)”とは、何でしょう?
次回に続きます。。。。😌
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