
前回、6月30日からの続きです・・
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では、”瑜伽(ゆが)”とは、何でしょう?
大辞林 第三版の解説によると、”ゆが”とは、梵語のyogaを漢字の音訳に当てはめた
と、あります。
ですので、瑜伽(ゆが)という漢字からは、その本来の意味は、伝わりません。
YOGAという、原語である、サンスクリット語では ”神の資質と一体化する”
という意味があります。
つまり、昨日、お話をした、神の資質で構成されている、”実存の世界”に、この
浮世に居ながらにして、入るということが、”瑜伽の状態”ということでもあります。
そのために、古来より、インドでは、行者は修行を重ねてきました。
多くは、ヒマラヤなどの山の奥地で、冬でも一糸まとわず、神との一体を目指して
質素な食事を、最低の頻度でとりながら、俗界を離れて、瞑想と行に打ち込みました。
彼らは、”ヨギ”と呼ばれました。
ヨギが行う、行の一つが、ハタヨガ と現代にも、伝わっているものです。
特殊なポーズをとりながら呼吸法を徹底して、身と心を清める術でした。
それが、現代でも、健康法の一つの、”ヨガ”として、残っているわけです。
が、実際は、多くのヨガの種類があります。
以前、ブログでもそれに関して、お伝えしているかと思います。
ラジャヨガ、カルマヨガ、など、どこに、修行の着目点を置くかで、その方法も
目的も異なりますが、最終的には、神との合一を目指すことには変わり有りません。
ヨガ の 原語の訳はそうですが、日本に伝わり、意味が変化したでしょうか?
大辞林の辞書によると、”瑜伽”とは:
〘仏〙 呼吸法・座法・瞑想法などの訓練によって、普通の人間以上の高度な心身
を実現しようとする修行法。
インドで多くの宗派に共有された方法で、仏教では唯識派・法相宗で特に重視され、
密教への影響も大きい。
と説明されています。
印度で使われていた、源の言葉と、本質的なところは、伝わっているようです。
さて、弘法大師は 一昨日、出てきた言葉、”六大”について、説明を加えています:
”六大”の中に、私たちの”意識”を指す、”識大” が含まれています。
その分別について、以下のように、述べています。
「因位を識と名づけ、果位を智という。
智即ち覚なるが故に。」
この意味は、
「因位(いまだ覚らぬ因縁に影響されている衆生の段階)においては、人の心は、
’識’ と呼ばれ、果位(さとりの段階)においては、それを’智’ と呼ぶ。
智 とは即ち、覚りである。」
これは、衆生(しゅじょう)は、まだ、因果関係に揺れ動いているので、その人達
の意識は、”識”と呼ばれ、因果関係に左右されない心を、”智”と呼ぶということです。
修行を重ね、”六大無碍(ろくだいむげ)にして 常に瑜伽(ゆが)なり”の心境に
いたります。(一昨日のブログ内容を参照)
すると、”識”は”智”に変わります。
つまり、”即身成仏 する”(自覚を持つ)ためには、
”原因と結果に右往左往して、揺れ動く心(識)” から、何があっても、
”不動で平静を保てる心(智)”に、戻ることができる精神をさしているのでしょう。
続く・・・・😝
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