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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

父と夫:永眠までの過程(改訂版)

2023年01月13日 | 介護と自然治癒力

アートマセラピーで、自然治癒力を発揮した

二人:自宅で最後の息を引き取った共通点

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私は 自然治癒力セラピー協会をたたもうと思った時が、ありました。

それは、2年間、寝たきり状態の、車いす生活の夫が自宅介護に切り替えるために
施設から薬を捨てて戻ってきたとき。

自分自身の信念(アートマセラピーと生命力の発露)をベースにして、完全に、自然治癒力のみの、療養生活に戻ったのでした。

そして、もし、夫が改善されないときは、夫の生命力が、輝かなければ、この
協会をたたもうという覚悟でした。

自信と不安は、決心がつくまでは、交錯してましたが、夫を自宅療養に切り替えることができたのは、過去の実父へのセラピーの体験からでした。

入院を宣告されていた父が、私の自然治癒力”開示法”である、”アートマセラピー”にその身を託すと 完全に私に、信頼を寄せてくれ、自ら、入院手続きを断る電話を入れて、2か月間の、腎臓病との無薬での、闘いに勝利を得た、体験から
でした。

というのは、血尿もなくなり、食欲も出て、尿も普段通りに出始め、私は、父に
あらためて、入院をすすめたのです。
検査入院です。

そして、その結果、担当医が驚嘆するデータの改善が出たという事実によるものでした。

夫の自宅療養は、たぶん、夫が施設でコロナ感染しなければ、十分に、普通生活を送れる、一歩手前まで、改善される成果があったのです。

歩けるようになり、食欲も出て、福祉器具や設備を、借りていた会社に返していたほどでしたから・・・



*********父の介護と夫の介護

2007年6月、父は飲料摂取が不能になり点滴入院したがその後、癌を宣告された。

それまでは、血尿が出るほど腎臓が悪いときがあったが、アートマセラピーをひとつき、試みて、その後すぐの、検査入院では、担当医師が驚くほどの回復の数値データを残した。


自然治癒力で、薬もとらず、結石まで取れて、その後良好だった。

が、叔母から その時、電話でアドバイスを受けた;

父に、もしもの時、面倒なことにならないよう、病院で定期的に診察を受けていたほうが良いという内容だった。


そこで、再度、主治医を見つけた

夫も同様だった。

しかし、2022年8月、コロナにかかり、入院先で、新薬を投入された。

その新薬の副作用に”死”と書いてあるのを、当時、介護者としてコロナを夫から受け、高熱で自宅で一人寝ていた私には、知る由もなかった。


夫は、自宅療養で、半年たっていた。

そして、コロナになるまで、施設から自宅療養に切り替え、自然治癒力を大いに発揮して、2年間、車椅子で無気力な生活から、立ちあがり、トイレまで歩き、食欲も改善されて、読書を楽しむまでに快復していた。

それは、”奇跡”と、ケアマネさんに言われるほどの回復だった。

が、コロナで入院、帰宅したときは、夫は、骨と皮になって、再び、車いすの生活となった。

それでも、デーサービスに時々通い、その際、夫の激変に、”何があってもおかしくない状態だから主治医を今つけるべきだ”と、施設のT社長は、強く薦めてくれて、M医師を紹介して下さった。


社長いわく、”患者の意図をくみ取って、家族と相談したうえで処置をとる方だから恭代さん、大丈夫。” と 以前、私のセラピーを受けた体験のある、施設長は、私の方針に、賛同してくださり、理解を示してくれた。

M医師は、その期待を裏切らなかった。

私や夫の希望を十分くみ取るためにも、気功の大家だった姑・須田麻沙子の書、

”ほつれ・つまりが病気の根本原因”という、姑の治療例をまとめたものを、読んでくれ、自然治癒を第一に、薬に頼らない介護の後押しをしてくださった。


父と夫は、アートマセラピーが 回復に、功を奏したことが共通していた。

先に書いたことと、重複するが、2005年から、父は、腎不全で国立S病院で治療を受けていた。

私は当時インドに居住していたので、そのことは一時帰国するまで、知らずにいた。

短期間予定で、実家に戻ると家族は父の入院準備をしていた。

”血尿が出たら即入院だ”と医師に言われていて、実際、私が帰国した前日に、血尿が出始めたのだ


その様子を見ながら私は、”お父さん、私に任せてくれない?”と父に自然治癒力で快癒できるかもと、打診すると、父は受諾した。

”おれは、ヤスヨの手当(セラピー)に任すことにするよ。” 


そういって、予約ベッドを自ら受話器を取って、その場でキャンセルの電話を担当部署にいれて、母を驚かせた。

 

それから、約一月間の間、毎日、父の体温、尿の量、色、回数、食餌内容、など、メモにとりながら施術に専念した。


父の症状は、一進一退を繰り返していたが、確実に螺旋状の階段を上る如く、薄紙をはがすように、良い結果は出てきた。

父は、セラピー中、黄疸になった。

文字通り、皮膚が黄色くなっていく。

私はこれが重篤になってはと、文字通り、青くなった。

が、必死で、セラピーを続けると、2日間で黄疸症状は取れた。


良くなった翌日には、血尿の血の色が異常に濃くなった。

また、或るときは、食餌も細く、水分などの補給に心を配った。


そうこうして、”悪くなる”いうのは、”良くなる前兆”であることが多いということに気が付いた。


セラピー開始後からひと月後、父の血尿はとまり、食欲は戻り、黄疸も消え、検査入院の結果は、医師が驚くほどで、以前データで示されていた症状の数値は平常になっていた。

 

昨年4月から本格的に自宅療養に切り替えた夫の場合も 父のケーズと基本的に同様の介護をした。


父の時のように、私は全神経を集中して、彼の身体を観察し、波動を感じながら、自然治癒力を引き出すことにセラピーを施術し、専念した。


夫が2年間、取り続けていた、医局からもらった薬は、1ヶ月で全面廃棄して、薬なしになった


周りが奇跡と驚くほどの回復ぶりを見せたからだ。

三年ぶりに歩き始め、トイレに行き、食欲も増進した。

しかし、運命には抗えないという感覚も、父の場合も夫の時も、味わった。


父の時は、亡くなる半年前だった。

父の食欲が急速に激減し始め、私にセラピーを求めてきた。

その時、なぜか、施術しても無駄だと、感じた。


”お父さん、今回は手が出ない”と正直に答えると 父も観念し、数か月間、食欲もなく、水分補給も低下していたので、栄養と水分点滴をとるための、入院に抗わなかった。


夫の場合も同様の気持ちを味わった。

それは、コロナ入院で退院してから亡くなるまでの一か月の間は、セラピーの限界を感じていた。

骨と皮になり、投与された新薬の副作用か、帰宅後は、2週間で、声すら出なくなってしまった。

薬は、父は取っていなかったが、二度めの点滴入院のときは、たぶん、癌だろうという医師の推測のもと(検査は、身体が弱っていたので、できなかった)抗がん剤が投与された。

”がんもどき”と呼ぶ症状に対し、(体力ないためにMRIほかの精密検査は不可能だった)で癌らしいという診断が 点滴を初めて一月後に出たからだった。


それまでは、水分補給の点滴入院である、と、精神的には元気で、帰宅に向けてリハビリを毎日していた父だったが、抗がん剤を一度、打たれて、起き上がることもできなくなった。

抗がん剤投与の翌日、内臓機能の数値が半分に低下した。

医師は驚いて、抗がん剤投与を打ち切った。


それまで、毎日リハビリ室で身体を動かすのを日課にしていた父が、それからは気力を失い、”俺は癌で死ぬのか。”とため息をついた。

夫の場合も父の場合も、こうして、抗がん剤やコロナ新薬で、症状が一転したのは共通していた。


父は抗がん剤投与の翌日に、生気を失い、夫はコロナ治験薬である、薬を投与されて生気が奪われた。

医師が 介護中、コロナをもらい、自宅で寝込んでいた私に、電話口で以下のように報告してくれた。

”須田さんは、とても、西洋医学処置に反抗的です。

新薬投与を始めましたが、食事も一切拒否し、ただ、一日中、2週間の間、向きを変えずに、ただ、横向きの同じ姿勢のままベッドの上に、無気力に横たわっているだけです。

精神的に参っているのか、自虐行為があってもおかしくない状態です。” 


夫は 私のコロナ復帰を待ち、3週間後に帰宅した。

車いすに乗った夫は、自宅に着くと、しみじみ”家族はいいね”とほっとしたように呟いた。


そして、悲観した、深刻そうな私の表情を見て”笑って・・笑って”と言った。

”笑っているほうがずっと、いいよ”と。


”自虐行為や自殺行為の可能性”ありと、退院時に渡された書類の一つ、入院時の所見にも書かれていた。

が、自宅に戻った夫は、やせ細り、筋肉を動かすこともできなくなっていたが、穏やかできちんとした受け答えをして私を、安心させた。

 

こうして、父も夫も、病院から家に戻り、ひと月弱の家庭での、看護を受けて、安らかに、旅立った。


夫の簡易葬式の時だった。

夫の傍に坐って、義理の弟がつぶやいた。

”家で看取られ、亡くなることは、最高の贅沢ですね”。


彼も数か月前にコロナ忌で、面会ままならないまま、病院で、実父を、なくしたがかりだった。


家で看取ることは確かに、簡単ではないだろう。

家族や本人に負担はかかるのは否めないだろう。


看取る覚悟のためには、多くの人たちの寄り添いと、物理的協力が不可欠だ。


父の場合は、介護保険を使ったことがなかったので、自宅に戻れる手続きには、段取りが多くあった。


病院で行っていた点滴を、自宅点滴に切り替え、その資格者の確保、ケアマネを探すこと、訪問診療の事務的手続き、主治医Y医師の自宅診療の同意取得などをひと月足らずで、済ませ父を家に迎えた。

夫の場合は、父と異なっていた。

数年の間、要介護4であったこと、自宅療養の切り替えとき、良き介護施設に夫を受け入れてもらえたことで、被介護者の私をも、精神的に支えてもらった。

また、寝たきりになった夫の、着替えやリハパンの交換などに毎日、専門職の方が数回、お手伝いに来てくださった。


加えて、何かあればいつでも呼んでくださいというM医師のご協力も有難かった。

夫と父、縁の深い二人の肉体衣を脱いで、魂の世界に旅立つのを見届けることができたことは、私の人生の中での、後悔の無い終止符を打てた出来事だ。


父の場合、明け方5時前に、一瞬のまどろみから覚めた私の目の前で静かに、文字通り、眠るように、息を引き取ったばかりの父が永眠していた。

2007年8月20日朝5時だった。

夫も同様だった。

最期まで彼には”生きている”意識があった。

が、言葉は父と同様、すでに、発せられなかった。


だから、最後の言葉は、亡くなる2週間前に、私に笑顔と共に、弱弱しく、でも、しっかりと、”やすよと一緒で、嬉しいから・・・”と 微笑みながら、つぶやいた言葉だった。

2022年9月29日19時51分:夫の最期の一息だった。


私は、たまたま、 水分補給の点滴で来た医師と共にそれを、はっきりと見届けた。それは、本当に、安らかだった。


私自身、この時をもって、漠然と抱いていた死に対する怖さも消えた。

現実とあの世は繋がっていると実感させてくれた。

紙一重の違いで、すぐそこにあの世はあるということを体感できたと共に、 まだ、夫が呼べばすぐ傍らに寄り添ってくれていることを実感している。

 


⁂"引きつれ・つまる 身体をほぐす”

須田麻沙子著 文芸社2013年



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