goo blog サービス終了のお知らせ 

自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

痛みと引き連れ感~アートマセラピーの解釈

2019年10月28日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 身体の持つ智慧に任せるということ     2019・10・28

*************************************************

私たちの頭、いいかえれば、知性は”情報”を得て”分析”して、

”データ”を見て、”標準値”を比べて、これまでの例から、

どのように病に対処すべきか結論づける。


ところが、そうしたデータや標準値を創った専門家は、

“体全体の有機的つながり”、や、“関連性”、“気の存在

気の影響”や、症状の必要性などということは、ほとんど

考慮していない。

 

昨日、私がセラピーをさせていただいたYさんは、

アートマセラピーの初体験者だった。

整体に何年か通ったが体の根本的改善ができないと思い、

来られた。

 

要所要所にセラピーで気をいれると、その個所からはるか

離れた体の部位に変化を感じ、Yさんは、それを表現して、

“なんだか腸が引き連れている”、とか “頬っぺたが痛い” とか

感じながら、そうした反応を口にした。


そのたびに、私は、“ひきつれ”感はむしろ、”縮こまっていた

細胞”が、 ”丸まって寝ていた猫が体全体で背伸び”するように、

”伸びて開いていく” 瞬間ですから、ひきつれではなく、むしろ、

”伸びの始まりですよ“と説明する。

 

“痛い”というのも同様で、細胞の動きに敏感な人で、私たちの

細胞分子が、”動く”ことに不信感を持っている人ほど、それを

”痛み”として感じるようだ。

そのたびに、私は、”それは痛みではなく、これもまた、縮んだ

風船が空気をいれるとき、表面が膨張するように、細胞が膨張

するので、その動きが痛みに感じているだけですよ”と説明する。

 

面白い現象にこんなことがあった。 

Yさんは、施術中、右の鼻が詰まってきた~と気にしている。

“大丈夫ですよ。今、通りますから”といって、その関連ある

部位に気を流すと、“あ、本当だ、すーとした”という。


また、数分後、“右の鼻、さっきみたいに詰まってきた

のだけれど”という。

この繰り返しを数回したあと、右の鼻は完全にすっきりと通った。

なぜ?

それは先に挙げた、体の有機的つながり、体のそれぞれの部位と

の関連性、気の存在とその影響、鼻づまりという一種の症状の

連鎖性と必要性、がそこにあるからだ。

 

普通の場合、ほとんど、鼻が詰まったといっては、薬屋さんで

売っているスプレーを鼻孔内に、シュツと出して(大体

メンソーレ系のスッキリしたクールなガスだが)みたり、

咳が出れば、咳止めシロップを飲んだり、と敏速に対応す

ようだが、ここは、一つ、体の叡智に心の耳を傾けて

いただきたい~と私は思う。

 

”体の叡智”とは、理性や頭脳の判断では解決が付かない答えを、

体だけが知っている。それを、さしている。

たとえば、授乳する母親なら体験することがある。

生まれたての赤子に、これがあなたの食事です~と説明する前に、

母親の乳房に吸い寄せられるように、顔を寄せてその方法を

教えてもいないのに、上手に乳を吸い込むさまなどは

感動の一瞬だ。

 

その母乳でどうして、赤子の血と肉がつくられ、免疫システム

に貢献して、成長していくのか? 

当たり前すぎて考えることもないのだが、考えれば不思議だ。

赤ちゃんの頭が知っているのはなく、体が知っている

としかいいようがない。


もし、その母乳に不純なもの、たとえば、脚気の毒素が微量でも、

含まれていれば、赤ちゃんは必ず、それを吐く。

周りの人はそれを見て、”赤ちゃんが吐いたから消化器系が弱って

いるのか?”と心配するが、むしろ、吐かないで中毒してしまう

ほうが怖いから、ここでも、赤ちゃんの体は自動的にそれを

対外に排出することを知っているということになる。


母体は、妊娠して出産が近づくにつれて、体が赤ちゃんの栄養素

を創りそれをためて用意するように、母体そのものにも変化が

起きる。

つまり、私たちが生きている~ということは、この私たちの

頭では理解できない体の智慧によって生かされている~のだ。


誰でも目にゴミがはいったとき、自然と涙が出てきて、

そのごみを排出してくれるのを体験しているだろう。

気管支に食べ物のカスが入りかけても、むせたり、咳をして

自然と気管支の中にはいらないよう、体が守ってくれる。


私たちの頭で考えたり、活用する知識は、意識上のことだが、

むしろ無意識の中に、こうした私たちの頭でコントロール

できない体の知識があり、それが無意識の中で活用されて

いることを考えると、“自然治癒力”というのも、そういう

”体の叡智”であるということが理解していただけるかと思う。

 

自然治癒力は大生命の大きな体へのギフトだ。

すると、ここで、大生命とは?と疑問を覚える人が出てくる。

生命とか大生命とか、この漠然とした言葉に、医学界は

ほぼ反応しないからだ。

ある人によれば、生命という言葉はむしろ、哲学のなかに

しか存在しないという。

 

医学とか科学の世界では、まだ、生命の不可思議さに関して、

メスがいれられていないといってもよいのだろう。

最後に整体の神様といわれた野口晴哉氏の言葉(*1)

をつけ添えておきたい。

 

“人間は自分の生命を完全に生ききろうとする力を持っている。

知識がなくても、ちゃんと味わえば、必要なものは旨い。

必要のないものは旨くない。必要なことは快い。

必要でないことは嫌な感じがする、体に悪いことは

触りたくもないような感じがする。

このように、すべて体の感じで決めていけばいいのですが、

この簡単なことが難しい人がいる。“

 

その難しいのは、人の体の叡智の声に鈍感だからなのだが、

体の叡智に目覚めるためにはどうしたらよいのだろう。

これは整体のみならず、アートマセラピーでもほかの施術

でも同様の目的を持っているということがいえるだろう。


つまり、野口の言葉を借りれば、

 “たとえ、下痢がさっと止まっても、その人が下剤を愉快に

思わなかったり、もっと食物を用心するようになったのでは

その目的が果たせたといえない。

熱を出したとき、整体(スダ注:施術)で熱が下がっても、

次に熱がでたとき、また、整体(スダ注:施術)してくれ、

直してくれというようでは、自分の体の機構を理解していない。

実際は、熱が出ないような体は生きてはいけない。

予防注射をして、弱い子供は37度5分程度しか出ないが、

丈夫な子供は39度から40度でる子もいる。

風邪をひいても、さっと高い熱がでれば、さっと風邪は

経過するが、低い熱のうちはいつまでも続く。

それは体の反撥力が鈍いためだ。”

“だから、そういう発熱自体が、体の正常を保つ働きだという

自覚さえできていれば、いくら熱が出ても平気でいられる。

それを慌てて、また熱を抑えてくれと来るなどというのは、

その人の熱が下がった時にそういう健康維持の能力を

自覚させなかったということなのです。”

 

つまり、整体でも気功の施術でもアートマセラピーでも、

“健康維持の能力の自覚”、つまり、“自然治癒力と生命の発動力”、

あるいは、“体の持っている本来の智慧”を認識させない限りは、

ただそうした施術に頼ることだけで、本来の自分の力を

眠らせたままにしておくということになる。

本来の、施術の目的が達成されていないということでもある

 

そのことを踏まえて、野口氏ははっきりとこういう。

“整体指導(スダ注;あらゆる健康目的の施術)というのは、

その人の持っている力を自覚させ、その次、そうなったとき

には、自分で治せるようにしなくてはならない。

自分でそういう意味を知って、それに耐えられる人間をつくり、

風邪をひいたら、その経過を楽しめるような人間を

つくらなければならないのです”


***************

 

*1~“整体指導の目的”昭和44年整体指導法初等講習会より

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする