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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ホームに入れることは罪意識がぬぐえない? 

2015年09月02日 | 介護と自然治癒力

母のカルマと私のカルマの間で・・・  2015・9・2

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母がホームに行く背景とその

”せざる得なかった理由”を先回のブログ

でしたためた。


なんだか、言い訳がましいと思いながら。

そう、電話で数人の知人に結果報告すると、

”そこまでしたのだから、悔いることは

ないでしょう。” 

と 私と母を見守っていてくれた友人知

口をそろえて言ってくれる。

 

一人だけ、”甘いかもしれないけれど…

ヤスヨちゃんの対応次第でお母さんの症状は

変わると信じたい、

まだ、可能性があるということは、

あなたに、そうする使命もあるのでは?・・・” 

と優しく’無理しないでね’という 

いたわりの言葉とともに電話口で 

励ましてくれる友人もいた。


彼女の言葉は、私の本音でもあり、ここで

母をどんな理由づけにせよ、

ホームに預けるのはその可能性を捨てること、

それは、

”自分と母との’アートマ’レベルでの敗北”、

”自分が関与できるはずの母の実相顕現

と幸せの可能性を捨ててしまうこと・・” 

に他ならないように感じていた。

 

しかし、7月26日 母はとうとう

この家を去った。

家はガランとした空気が漂った。


私はいない母の姿を無意識に四六時中、

心で追っていた。

終(つい)に、ホームへ行った見えない

姿の母を朝から晩まで、家の中に見出して

いた。

母がいたときの日常が、私の習慣となって、

4時には目が覚める。

晩御飯の支度にかかるころ、5時には

母を所定の所に送ってくれるデーケア

送迎バスの迎えに家を出る。 


”楽しかった?今日は何をしたの?”と

母とかわす会話、自宅の階段の前に着くと、

”お父さん、なんでこんなに 上りずらい

階段作ったんだろう”と 気合をかけて、

階段を上っていく。 

 

この階段の上り下りのおかげで、母の足腰は

鍛えられたように思う。

階段を必死に上がる様の母の傍らによりそい、

補助する方もn日々力の入れ方が楽になるのを

自覚するほど、

母の足腰の回復(今年3月、大腿骨骨折後)が

かったのは、この階段があったからだろう。 


よいしょ、よいしょ!’と声を出して一段一段、

る母に

”階段の上り下りのリハビリの御蔭で、

回復が早いのね”と言えば、頷く母。

 

三階の門扉を開けると、母のために、咲かせた

赤いゼラニウムの花が眼に

まぶしいほど、映る。

鮮やかな赤、きれいだね”と眼を細めていた母。

 

午後5時半、

”家が一番ホットする、美味しい夕飯、有難う。

美味しいねえと言って 

テラスから入ってくる夕暮れの涼しい風に 

”気持ち良い風だねえ”とくつろいでいた母。


午後7時、母は一人で風呂に入りたいと

立ち上がり、私は脱衣を手伝っていた。

 

認知症特有のスイッチが入らない母は、

かわいらしい人だった。


朝6時半 一緒に、おぼつかないながら、過去帳

ご先祖様の名前を確かめながら 

般若心経を読み上げて 神棚にお祓いを

するようになった。


昼間は、好きな買い物が待ち遠しく、

今日は晴れているから、ヨーカ堂で食料品 

買いに行こ

と母から誘われ、何度 車いすで出かけたか・・・


途中で決まって、

あら、私だけ乗っているの悪いから

替わってあげる。

ヤスヨ、乗んなさい、車いすに、私が

代わって、押してあげるから”

と、言う。


認知症特有の判断力の無さの言葉か、

真から思いやりで言っているのか? 

あまり、度も言われると

”押してくれる元気があったら、初めから

車いすに乗って

こないで歩いて今度来ようね”と 

意地悪な言葉が口に出た。

 

そんな愛らしい母は、夜は人が変わった。


夕飯後 8時ごろからベッドの上でテレビを

見ながらウトウトしているうちに 

イビキをかいて爆睡し他かと思うと、

ほんの2時間後、10時に目覚める。


それからは母は独裁者となり、独壇場である。 

一睡もしないで 翌朝6時まで、元気なのだ。


元気といっても、魂的には寝ている状況らしい

ので つじつまの合わないことを

言ったり、感情的になったり、突発的な行動を

起こすので、こちらは母から、

目を離せないし、気を抜けない。

 

特に、今年、6月下旬からは 足腰が

元気になったのに比例して 

行動半径が増えて、目が離せなくなった。


私は、物理的に、体を夜間休めることが

できない日々が続くと体に応えてきた。

 

皆様はご存知だろうか?


寝る ということは、ある意味、究極の

瞑想方法でもあることを。

寝ることによって、魂は身体から離れられる。 


そして、身体に 若返りのエッセンス 

(疲れをとり、新陳代謝を高め、新組織

~細胞~を作り出すために)を持って

寝覚めとともに、肉体に魂は戻ってくるのだ。

 

肉体を持つ身としては、やむを得ず、

霊的資質を エネルギー体で寝ている間に 

身体という波動の荒い物質の中に

取り入れることが可能であると思われる。


寝れない ということが、こうした影

を体に及ぼすのかという事実を この期間に、

身を持って知り得たように思う。

 

その頃、私は気づいていた。

ある事実、それは、本当の母と、本当では

ない母の二面”を理解したうえで

”本当の母” は ”本当ではない母” に対して 

自らも不安と恐れの中に、戸惑いを感じている

とを。


(本人は”本当の母でない母の行為”を 5分後には、

忘れているが・・)

私自身、母に対して今まで持ていた ”恐れ” 

はすでに無くなっていたこと。

母自身が被害者であるのだから。

 

同時に直観的にこんな質問が心に湧く。

本当でない母”に対して、私がとことん

愛を持って接することに 

どのような意味があるのか?


本当の母でない 母 というのは、母が

これまでの人生で自分自身の行いや

信念によって作ってきた蜃気楼のような

感情体だ。


それがカルマによって、できているのだと

したら、母のカルマ(業)として、

母自身が今世で向き合い、自らの何かに

気づくことが 母の今世の仕事でもある

のではないか?


その気づきは 生きている間に可能かどうか

わからない。

たぶん どんなに遅くても、死後、母が

光に連れられて、自分の一生をヴィジョンとして

たとき、母が一生の間に行った、

一挙手一同、相手に及ぼした 

悦びも悲しみも 不信感からきた相手への

暴言も 今度は受けた側となって、 

その感情が再現され、初めて反省の余地を

残していることを知るのだろう。 


永遠に生き通しの母の魂はそれを良き

学びとしてさらなる向上に向けて

次のステップを踏むのだろう。

 

グループホームで 清潔な部屋と万全の

見守り、暖かい食事と24時間、

眼を注いでくれている職員さんがいる。


そんな母にとって、満ち足りないものがあると

したら、無償の愛 を体験できないこと、

ということかもしれない。


与えるにしても、受け取るにしても、

家族の中にいるときとは異なるだろう。


しかし、もし(仮定ではあるが)、母が、

これまで 愛を与え続けてきた人なら、

あるいは、無償の愛に対する信頼を

持てることができたら、たぶん、

このホームに入ることはなかっただろう・・・・

つまり、母のようなタイプの認知症には

ならなかっただろう~とも感じる。

 

それは、たぶん、不安 が母の人生には 

大きく心を閉めていたのだろう。

自分を信じられない、人を信じられない、 

という要素が大きなその不安な心を

代表していたような気がする。


不安が募れば、恐怖心になる。

この恐怖感に対しては、たとえ、娘でも、

(おこがましい言いかただが)、この10年間

居住地をインドから移し、 心は常に母に

寄り添っていた私でも、どうすることが

できないものなのかもしれない。

 

母は、”揺らぎの多い感情的で 人を容易に、

かつ、不用意に傷つけるエネルギー

をかかえていたようだ。 


私が、幼いときの記憶に照らし合わせても、

そういう母の側面があらわに出た、場面は

覚えているので、そうした母の認知症として

認定される要因の1つ、 ’激しい興奮感情’ は、

特に、晩年の母特有のものではなかったようだ。

 

いずれにしても、私自身、介護生活の中で、

失望したり希望をもったり、

愛と執着、恐怖や怒り、戸惑いとためらい、

そしてまた 母への愛情に戻ってくる~


そんなサイクルを 数えきれないほど、

堂々巡りのように、繰り返してきた。

 

5月からは 母を中心とする生活圏の

枠以外の行動は物理的に無理だったので、

暫くの間、アートマセラピー施術は

お断りしていた。


現在 少しずつ、体調も戻り始め、

余裕がでてきたのは、”祈り”と、

”母への愛の想念”を送り続ける事、が 

必ず、母のより良い将来の希望を

つなぐということを体感したからだ。

 

8月2日、母のことを、心配してくださって

いた以前のケアマネさんとホームを尋ねた。


変わらない彦田さんでホットしました”と

ケアマネさん。

共に昼食をとり 

美味しい美味しい”と 母は、好きな

ハンバーグを完食した。

それから、車いすを押して買い物、

楽しかった、もう十分”と言うので、

ホームに送ることにした。


着いた早々、”ここ、どこ?” と 

出迎えに来た一番親しい ホーム長に 

母は尋ねた。


あなた様 どなたか、知りませんが、

ここどこですか?

私は実家に帰るとばかり思っていました”

と真顔で聞いている。

 

自分の部屋に案内されて、

ここは実家ではない、どうして、ヤスヨ、

私を置いていかないで!”

と 髪の毛を引っ張るような言葉を私の

背中に投げかける。


それもたぶん10分もたてば、忘れてしまう

のかもしれないと思いながら 

私の心には波風がたつ。


最後に 背中の後ろから 

うそつき!! 実家に帰るからと

いって外に出たのに、!!”母の声。

そんな約束もした覚えがないが、少し

打ちひしがれた気持ちで ホームを後にした。

 

 

 

 

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