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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

インドの空気、リーラと愛が渾然一体

2014年03月27日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

東京裁判パール判事と子孫   2014.3.27

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自然治癒力セラピー を誰かが スピリチュアルセラピーと呼んだ。


スピリチュアルな知識とは程遠い、政治的なことや国際的文化的分野

セラピーとは関係ないと思っていっらしゃるかたたちも多いだろう。

 

この世で、政治やビジネスで名前を馳せても、覚者たちはそれらは、

”あの世に持ていける資格ではない”と明言しているし、精神的世界に

生きる人達にはあまり触れ合うことのない世界でもあるだろう。

 

しかし、インドに来てみて、”自分の体と、心とアートマ”が、全く別物でない

いう実感をひしひしと感じる。

それは、何故なのだろう?


物質、精神、神様、悪魔、貧困、不平等、愛、などなど矛盾する言葉並べても、

スーッとすべてが光の中に、吸収されてしまう空気なのだ。

 

言葉を変えて言えば、宗教家は宗教だけ考えていればよいのか、神様のことだけ

語っていればよいのか、セラピストは体と心の関係についてだけ、向き合って

いればよいのか と問われれば、そうではないのかもしれないという気がする。

 

リーラ(神様の造った夢物語の世界)とか、マーヤ―(幻影)の世界と呼ぶ、

この地球生活の、ごたごたした混乱と騒乱の中にも、光り があり、実相 がある。

 

そういう想いから、今日はこのテーマをあえて 皆さまにご紹介したい。


日本史、特に、現代史に関して私たちの世代を含めて、後期授業の予定時間が

足らないのか、あるいは文部科学省の方針かわからないが、現代史のある時点

からは、教室で教えなくてもよいとされる、”はしょられている”部分があるようだ。


なぜなら、日本とアメリカが戦ったことを知らない、高校生が存在しているのだ。

 

皆様には興味がない話とは思うが、日本の原爆投下や、日本人の侵略戦争と

判子を押された第二次世界大戦の、表と裏の意味を、何となくでも振り返って

みれば、今の日本に生きている、自分の立ち位置などを考えるきっかけにも

なるだろう。


むしろ、私たちが日本人として生まれてきた意義も、問いかけることができる

かもしれない。

それも必要なことかもしれないと感じている。

 

ラダ・ビノ―ル・パール判事といっても、ピント来ない世代が多いだろう。

終戦翌年 昭和21年(1946年)5月3日から 2年6か月をかけて、世紀の裁判

といわれた 極東国際軍事裁判でインド代表判事を務めた人だ。

 

所謂、東京裁判と呼ばれるこの法廷では、連合国(日本と戦った 国)として

アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中国、オランダ、カナダ、オーストラリア、

ニュージーランドの9か国とフィリッピン、インドを加えて、計11か国が

参加していた。


判事はいずれの参加国からもひとりずつ選ばれた。

 

被告には、A級戦犯として、外務大臣の広田弘毅(こうき)や 東条英機(総理大臣)

いった、総勢25名の名前が挙げられていた。


刑の宣告はまちまちだったが、東条英機他7名は絞首刑、その他の被告は7年から

終身にわたる禁固刑を言い渡されていた。


その判決に対して、減刑訴願を被告側が出しても却下され、裁判の公開原則は

徹底されず、少数意見(パール判事を含む)の判決宣告は取り上げられることが

なかった。

 

菅原裕氏は著書の中で、

”条令には、判決には理由を付することになっているのに、宣告された判決は

かたよった観方による日本の政治史、軍事史を羅列しただけで、各被告の

有罪を断じ、判決の理由たる事実と証拠の提示はこれを欠いたのであった。”

と記している。(*1)

 

また、田中正明氏は、東京裁判において、

”戦争そのものが犯罪であり、戦争を計画し、備遂行したということが

とがめられて、個人が裁かれた” 


としたうえで、証拠や論法が不十分ゆえに、裁判直前に

”連合国は 新たに 裁判所条令 をつくって、戦争犯罪を定義し、これを

裁く権能を付与し、これによって日本の指導者を裁いた

と述べている。(*2)

 

この裁判では全員が有罪となり、死刑を含む処罰を受ける判決が下された。

しかし、日本人被告たちは無罪であると判断し 果敢に主張したのが判事がいた。

それがインド代表のパール判事だった。


パール判事の判決文は、少数意見として取り上げられることはなかったが、

英文にして 1275頁、日本語にして100万語に及ぶ 膨大なもので ねんみつに

論拠を練り上げていた。

 

内容を簡単に見てみると:

第一部は~

東京裁判自体の考察:

たとえば、裁判官が戦勝国のみからしか選出されていないことから正義の是非、 

裁判直前に、マッカーサー元帥によってつくられた裁判所条令の意義の是非、

侵略戦争か否か、その責任が個人に及ぶかどうかにいたるまで、考察されている。

 

第二部は~ 

”侵略戦争”だと主張する検事側に対して、侵略戦争そのものの、意義づけを

行っている。

歴史的に異なる種々の定義が並べられて、”自衛戦争と侵略戦争”の違いなどに

言及している。


結論としては 当時の歴史的事実、中国の共産主義、排日ボイコット、対日

経済政策の強圧を分析して、太平洋戦争は、日本の一方的侵略ではないと 

パール判事は、述べている。

 

第三部は~ 

東京裁判で提示された証拠物の信憑性について。

 

第四部は~

主導者たちであった、A級戦犯の被告たちが共同して”侵略のための戦争”

の計画実行に実際関与していたかどうかという問題について。

 

結論としては

”ナチスのように、長きにわたって独裁政権が維持されて、ヒットラーを

めぐる少数犯罪者によって戦争が遂行されたのと満州事変以来、

内閣が幾度も変わった日本の政情とは混同することはできない

と述べて、これを否定している。

 

第五部は~ 

東京裁判のいう”戦争”はどの範囲を規定しているかを論じている。

真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争を指すとパール判事は定義する。

検察側のいう、満州事変やノモンハン事件は範囲外と指摘する。

 

第六部は~ 

前線で繰り広げられたとされる、捕虜の虐待や大量殺りく、放火、略奪などに

ついての事実の検証と被告との関係性について。


つまり、非道極まる前線での非人道的な行動は A級戦犯の誰かによって、

直接命令されたものかどうかということを論じている。


パール判事はそれを否定したうえで、むしろ、第二次大戦で、一番大きな

大量殺略は原爆投下事件であり、これを命令したトルーマン大統領こそ、

広島・長崎に原爆投下を指示した罪で、人道の名のもとに裁かれるべきだとも 

パール氏は意見している。

 

最後の第七部

この裁判そのものの性質を検証している。


裁判とは名目で、実は”復讐”であり、”占領政策の宣伝効果”を狙った政治行為

だとしている。

パール判事はこれらの論述を、感情論や抽象論を抜きにして検察側の起訴事実、

論告と弁護などを対比して分析、そしてパール判定へと導いている。

 

このパール判事の直系子孫家族が、私が、インドに居住していたおり、9年間

居住していた、GK1地区の隣人だった


”シタールを習いたい”ということで、当時デリー大学大学院で学んでいた私の

ところに、適当な先生を紹介してほしいといって、奥様と長男が尋ねてきたのが 

このご家族との初対面だった。


其の後、長い年月にわたり、お付き合いをいただいていた。

パール判事はあまり、東京裁判のことをご家族に話されなかったのか、

ご家族の方達は、”判事と東京裁判との関わり合い”をあまり知らないようだった。


日本から訪れた客人の中には、私が、ご家族と親しくしていると聞くと、

パール氏の末裔の家族に会いたいいう方たちも幾人かいらして、そのたびに、

お隣に足を運んで、判事の孫の代にあたる、隣人の家族と、歓談の時を持った。


友人達が口をそろえてパール判事の業績について、語るのをきくたび、

”叔父が、そんなに日本人の間で有名な人だとは知りませんでした” と 

幼いころ、判事と一緒の家で生活していた 隣人のパール氏は語った。


パール判事は、父のような存在で、自分を孫のように、かわいがってくれた

思い出が懐かしい、という、パール氏も、嫁いだ奥さんのレーカさんも、

淡々と友人たちの質問に、受け応えていた。


”パール判事の思い出は?”と聞かれると、ご主人は ”(パール氏には)子どもの

ようにかわいがってもらいました。 

一緒の家に住んでましたから。

私は甥御にあたりますが 従弟たちと一緒に育ったためか、叔父は私の父のような

存在でした。”

と語った。

 

私の手元に、分厚い、パール判事の著書がある。

とても、全部に目を通すことは不可能だろう。


が、この700頁に及ぶ、書を、唯一、自分の信念を曲げることなく、周りの連合軍の

事や軍部の力に屈することなく、公表した判事の勇気と責任感が頭が下がる。


同時に、戦争 について、東条英機をはじめとする、軍部統括者たちの責任について、

などなど、まだまだ、生きている私たちが、日本人として、考える余地がありそうな

気がしてならない。


世界の平和~というのなら、なおさら、そうではないのか?と思う。


パール判事のこの本を目の前にして、そう感じるものの、実際は、事が大きすぎて、

やはり、自分の心の平和を確立しないことには、世界の平和という言葉も、

から滑りになってしまうような感が拭えない。 

 

 

 

 

 

          

 (*1)菅原裕著 ”東京裁判の正体”

 (*2)”パール判事の日本無罪論” 小学館文庫 2009

 

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