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自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

Sri Aurobind の言葉から~

2012年09月25日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

シュリ オーロビンド という聖人がインドにいた。                  9月25日(火曜日)    

         

ニューデリーに、その方のパートナーが設立された、オーロビンド・アシュラム

と呼ばれる、宿坊がある。 


聖人オーロビンドの哲学を勉強したり、瞑想したりして集まる施設だ。 


私はここで、良く、この協会メンバーの手作りのお香を買い求めた


この聖者の言葉を 今日は、ご紹介したい。 

”Our outward happenings have their seed within...."


意味は

”現象界で起きていることには、必ず、その内側に種がある” 


”因果応報”、”蒔いた種は自ら刈り取る””自業自得” の言葉が日本語にもある。

因や自業という言葉が、オーロビンド氏のいう、種にあたる。


その種がなんであるか、それを見分けるのが簡単なようで難しい。

 

現象界には、肉体の眼に映る事柄と、映らない事柄がある。

あるいはその両方が組み合わさったもっと複雑な現象もある。


例えば、花が咲いた、文字通り、その現象の裏には種がある。 

(肉体の目に見える場合)


例えば、国家試験に受かった。

その現象の裏には、地道な勉学と、目標という強い意志の種があった。

(肉体の目に見えない種)


例えば、自然災害が起きた。

その現象の裏には、低気圧前線や台風の発生があった。

だが、これらを、”種”と言えるのだろうか?

それが原因ではない。 


原因は ”台風が室戸岬を直撃” したことだろうか? 

否、”台風や、大雨を降らせる前線/低気圧” がどうして、発生したかということ

だが、それは気象予報士答えられないだろう。


台風や竜巻や津波の、自然災害の種とは何だろう?


オーロビンド氏ならどのように答えるだろう? 

他のインドの聖者が答えているように、こう答えるかもしれない。

天災は人災だと。 


天災の種は、実は私たちの心の中にあるのだと。 


これは不可解な答えだ。

心或る方なら、この行間の意味合いを理解する


私たちが、大自然の被創造物の一つであるという事実。

私たちの想いは、大自然に影響を与え、波動として繋がっているという事実。


そして、そのことを忘れて横暴に、傲慢に、自然を破壊することに無頓着に

なっている私たちもいる。 

 

自然の摂理という言葉がある。


私たちにとって、一番大きな、自然の摂理は地球の自転と公転が、規則正しく

守られていることだ。 


この摂理に反して、どこかが少しでも狂えば、私たちの地球の安全は、ないかも

しれない。 


星と星とが衝突する可能性に、一喜一憂していては、人類の生活の安定があり得

ない。

 

人にも、生きて行く摂理がある。 

自然と対照的に、その摂理を人間は守って生活しているかといえば、疑問だ。

 

その摂理・道理とは何か?


世界中、それぞれの国に国教があり、どの宗教でも、摂理に関しては、同様の

内容だ。


例えば、汝、盗むなかれ、殺すなかれ、貪ることなかれ、

姦淫することなかれ、欺くことなかれ、などなど。

 

以下はモーゼの十戒といわれるもの:

  • 主が唯一の神であること
  • 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
  • 神の名を徒らに取り上げてはならないこと
  • 安息日を守ること
  • を敬うこと
  • 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
  • 姦淫をしてはいけないこと
  • 盗んではいけないこと
  • 偽証してはいけないこと(を言ってはならない)
  • 隣人の家をむさぼってはいけないこと

 

仏教では、いかなる摂理があるのだろう?

八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定 

意味は、それぞれ、正しい見方、正しい決意、正しい言葉、正しい行為、正しい

生活、正しい努力、正しい想念、正しい瞑想にあたる。


回教やヒンズー教など、摂理の規定は これらの項目とほぼ、同様だ。

倫理やモラルと呼ばれるものも共通する。


これらが、人の摂理だとすれば、その摂理に反したとき、自然界はどのような

影響を受けるのだろうか?

 

人間の摂理に反した集団行動は、大災害の種になる。


つまり、自然現象を異常現象に変え、自然災害などをもたらす原因は、私たちに

あるということだ。


人の心が荒れれば、自然が荒れる。 

人の摂理が乱れれば、大自然の営みも乱れる。~とインドの聖者は説く。 

 

古来、厄病がはやったとき、稲妻や日照りが、農作物収穫にダメージを与えた

とき, 神の怒りと恐れ、僧たちが 鎮めるための祈りをささげた。 


だが、神は、人の罪に対して罰は与えない。

人間の集団行為のマイナスエネルギーの蓄積は、自然の営みに影響を及ぼし、

災害を生む種となる。


自分たちの行いを自分達で刈り取って、貸し借りゼロにするという、バランス

修正の原則だ。


”行いをバランスととる”考え方は 他宗教でも見られる。

たとえば、聖書には”良き行いを天の蔵に積む”という比喩があるし、

”悪い行いと善い行い(生前の)を天秤にかける”(コーラン=回教の聖典)

という比喩がある。 

 

自業自得という言葉の意味は、”自分の業(行い)は自分で得る(処理する)

のが理である。”ということ。


聖者達は、自然災害を、そうした理由から、カタルシス(浄化作用)とも呼ぶ。 


人間が摂理を守らなければ、悪業(カルマ)が積まれ、一定に達したとき、

その悪業(カルマ)の自浄作用として、悪(異常気象や自然災害)が表面化

するいう。


聖者は、

私たちは手のひらの指のようだ。 

一本づつ離れていても、手の甲でつながっている。”という。


他人と自分とはつながっているし、自分と自然もつながっている。

連帯責任ということはどういうことか?  


他人も自分の、根本は繋がっているという言葉、手の指どれかが傷つけば、

ほかの指がその負担を強いられる。


だから、他人との関係、社会的関係、家族関係、他、自然を含めて、そこで

見られる、”すべての現象の種というのは、私たちの心の中にある” という

考え方が、冒頭のオーロビンド師のいう、種の所在地だと思われる。

すべての現象の種というのは、私たちの心の中にある=唯心論につながる。


~病は気から~という 一般的に私たちが使う言い回しも、考えてみれば

唯心論的発想だ。

仏教では、”三界は唯心の所現” という言葉がある。 

三界とは現象界の中の、”欲界、色界、無色界”をさす。

 

健康も、環境も、自然災害ですら、自分の心の向きようが影響する。

一人ひとりの心持は、自然界の現象さえも動かし得る大きなパワーであると

いうことだ。





 

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