"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“言論の自由について”

2011-02-15 04:40:00 | 日記
日本は民主主義の国ということになっていますが、そうでない部分もまだまだあるようです。

所謂、言論の自由についても同じことが言えそうです。

私たちは、普段、自分の好きなことを書いたり、話したりしていると思っています。

確かに、なにかの批判をしたからと言って、どこかの国のように、その途端に当局の人達が飛んで来て捕まえられてしまう、ということは、普通はありません。
(実際には、そういうこともかなり起きているようですが、ここでは、ないと仮定します。)

何かについて話をする時には、自分が多少なりとも知っていることを話しますよね。

では、その自分の知っていることが、実は事実でなかったとしたらどうでしょうか。

もしくは、当然知っておかなくてはならない大切な情報が抜け落ちていたとしたら。

その場合、正しい結論は出て来ません。

今日本で問題なのは、その状態が意図して作られているケースがあるのではないかということです。

それがなぜ起きるかというと、情報を流す側にとって都合がいいからです。


日本に行った時、どのチャンネルを回しても、同じテーマが扱われていました。

世界、いや日本の中だけでも、取り上げられるべきトピックはたくさんあるでしょう。

なのに、日本のニュースで取り上げる、例えば5つの話題、それがほとんどどこも同じ、というのは、正常なこととは思えません。

更に不思議なのは、その論調がどこも同じだということです。


記者クラブという組織があります。

理屈上、新しいメンバーも入れることになっていますが、実際は、外国人マスコミも、フリーの記者も入れない極めて排他的なクラブです。

そこで、記者は、その情報を流す側にとって都合のいい情報を得て、独自の分析もせずに同じような情報を流すことになります。

変な記事(?)を書いて記者クラブを追い出されでもするようなことになっては困るわけです。


今、日本で、偏っている情報の代表例は、小沢さんのことでしょう。

アンケートをとると、小沢さんやめるべし、が大部分になります。

必要な情報が国民に行き渡った上での結果なら、全く問題はないのです。

しかし、マスコミ報道を見ていると、そうとは見えません。

検察は、小沢さんを2回起訴しようとして、結局起訴出来ませんでした。

なのに、検察審査会という、だれが参加したのかもわからない人たちの判定によって強制起訴になりました。

現時点で問題になっているのは、収支報告書への記入時期がずれたことですが、なんだそんなことか、と国民に思わないようにするためなのか、報道でその内容が出ることはありません。

そして、悪いという印象だけが 植え付けられて行きます。

菅さんたちも、裁判の結果が出る前に、小沢さんの政治生命を絶とうとしているのか、党からの追放を模索しています。

無実であったら一体だれが責任を取るのでしょうか。

私は、小沢さんに政権を取って欲しいとの思いはありません。

その政治手腕は素晴らしいと思いますが、選挙で勝つことが最優先のように思えます。

しかし、それはこのこととは全く別の話です。


一方で、日本の変化を促すようないい現象も起きていると思います。

それは、チュニジアやエジプトでも活躍したネット。

今回、こうした国々でネットが活躍したということは、マスコミでも取り上げているようです。

この現象は、そうした日本のマスコミをも変えていくインパクトがあると思います。

NHK朝の討論で、ある政治家が、

「小沢さんは、証人喚問には出ようとしないで、ネットTVに出たりしている。表に正々堂々と出てくるべき。」

と言っていましたが、こうした発言は、だんだん出来なくなって来ると思います。


しかし、そんな時期だけに、様々な抵抗やフェイクはまだまだあるでしょう。

正しいかどうかの判断に迷ったとき、“体で感じること”、“直感”に委ねるのもいいのでないか、と思います。

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