起きると周囲が暗かった。ごそごそと動いて首を回す。
狭く暗い場所だった。温かく、酷く居心地が良い。眠い。
トンネルのような先に光が溢れているのが見え、そろそろと這っていく。
眩しさに目が眩んだ。
慌てて自分が何所にいるのか判らず軽くパニックになり、落ちた。
いっそう慌てて手を伸ばすと何かに触れ、しがみつこうとしたら背にやわらかいものが当たり、硬く痛い所に落ちた。
埃臭い。
くしゃみが出そうだ。
広すぎる其処がどこか確かめられない。
目が悪くなったものか。
闇雲に走り廻り、硬いものにぶち当たる。木の感触とニスの臭い。
爪音をカサカサと立てながら身を起した。慌てていたためか、手足4本を使って走り回っていたのだ。
「げっ」
硝子の向こうに獣がいた。
黒い大きな目。
頭の上に丸く薄い耳。
濡れた鼻。
ひょこひょこ動く髭。
意味もなく蠢く口元。
獣は、私と同じように仰け反った。
―同じように?…―
片手を離すと、獣も手を離す。
叩くと叩く。
…。
恐る恐る手元に目をやると、細すぎるほど細い手が視界に入った。
握る。開く。指先の爪などを触るために手を放すと、途端に尻餅をついた。
短い毛皮に覆われた足。
―これはアレではないだろうか。ペットショップにいるアレ。
寝て食べて、回し車を回すアレ。
近くのホームセンターで980円で売られていた茶色と白のアレ。
―ああ、毛繕いがしたい。
欲求を満たすうちに落ち着いてきた。
これは夢だ。色も音も触感もあるのが不思議だがそういう夢なのだ。
カシカシと耳の後ろを掻き、腹の毛を繕う。
落ち着いたせいだろうか。眠くなってきた。
夢の中で眠くなるというのも変だが、夢なのだから仕方がない。
どうやって布団の中に潜り込むかを考えながらテトテトと歩いていたが、只ならぬ音に固まってしまった。
ガチャッ、ガチャッ。と誰かが扉を開けようとしている。
やがて扉を開け、音もなく其れが入ってきた。
頭の上に、薄い耳。
しなやかな肢体。
誘い込むようにゆれる尻尾。
髭を動かした其れとまともに目が合った。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
アレだアレ。
アレだぁぁぁ!!
ワタワタと逃げる身体を掬われ、コロリと転がる。
身を起こし、体勢を整え逃げ出す。
正面にしか行動を起すことができない身体が恨めしい。
再び掬われ放り投げられた。コロリと転がる身体。
2度3度と同じことを繰り返し、恐慌の頂点に達して遂に身体が動かなくなった。
引っ繰り返って硬直した身体の臭いを嗅がれ、ザリザリした舌で舐められた。
硬直が解ける。
再び走り出した背中を今度は踏みつけられた。
チリリと走る痛みは爪か?爪なのか!?
食べられる。確実に食べられる。
ああ、さようなら不可解な夢。
夢の中の死はどんな意味があっただろうか。
身体にかかる生温かい臭気に全身が固まる。
首の後ろを噛まれて、みゅ。と声が漏れた。
其れは首筋を咥えたままひらりとベッドに飛び乗った。
寝台の上で向かえる死。
ああ、昨日シーツを替えたばかりなのに血で汚れてしまう。
べろり、と舐められた。
ぎゅっと目を瞑る。
体は再び硬直した。
…おい、おい。
おいって。大丈夫か。
遠くで声がする。ガンガンと鳴っているのは心臓か。
ああ、恐い夢を見た。
小動物になって食べられそうになるだなんて悪夢だ。
「…おい、大丈夫か?」
心配しているらしい声に全身の力が抜ける。
くすぐったさを感じながら開けた視界いっぱいに、ケダモノの口中が広がっていた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
「大丈夫そうだな」
絶叫に応じた声に、大丈夫じゃないと心の中で突っ込む。
今!将に!食べられようとしているところではないか!
「急に動かなくなるから心配したんだが、それだけ元気ならいいか」
ニヤリと笑われ生暖かい息がかかる。気持ち悪い。大丈夫じゃない。
暴れると押さえつけられた前足から爪が伸び腹を突付いた。
脱出は不可能だ。
「それにしても、これって何なんだ?夢の中で目が覚めたらこんな姿だし。匂いも触感もある。おまけに爪も自由に伸ばせるし」
…はあ!?
「なあ、これって俺の夢だよな?」
「俺の夢じゃ!この呆けぇぇぇぇぇ!!」
暴れると前足が離れた。
上半身を起こそうとして勢い余って転がる。
恥辱だ。笑いやがった。
「お前!俺と解ってって玩んだな!」
「つい」
「つい!」
「手ごろな大きさの丸くてでっかい尻のハムスターが襲って欲しそうにとろとろ走っているのを見たら、つい。我慢ができなくて」
「襲って欲しそうってなんや!」
「仕方がないだろう。猫なんだから」
なんてやつだ!
なんてやつだ!!
なんてやつだ!!!
「そんなに怒るなよ。可愛らしい格好で座り込んで」
「座ってない!」
可愛い?可愛いだと!?ああそうだろう。可愛いだろうさ!
そろりと伸ばされた前足を払いのける。
細い前足の細い細い爪が引っかかって体勢を崩しかける。
くそう、笑いを堪えてやがる。
―ああ、毛繕いがしたい。
猛烈に毛繕いがしたい。
欲求を満たすうちに落ち着いてきた。
顔を洗いカシカシと耳の後ろを掻き、腹の毛を繕う。
毛繕いはいい。なんて落ち着くのだろう。
ひっくり返った猫が面白そうにこちらを見ている。
ヒゲと尻尾がゆらゆら揺れている。
眠い。
「ふわあ」
くわっと猫が口を開いた。
本能的な恐怖に固まった体を攫われた。
「眠い」
…怖い。
ぱさりと尻尾で体を叩かれる。痛い。
ドクリドクリと力強い音がする。
規則的な音は、生きている証拠だ。
全身を駆け巡る血液を送り出す心臓の音。
規則的な心臓の音は安心感を与える。おまけに暖かい。
尻尾で包まれ眠気が増す。
軽く早く聞こえるのはこの体を流れる血潮の音か。
「…悪かったな」
憮然としたくぐもった声。
「いいよ、もう」
くわりとあくびをして丸くなった。
力強いものと軽いものと。二つの鼓動を全身に感じる。
そして、意識を手放した。
という夢を見ました。
何かの隠喩でしょうか。
それとも唯の妄想?
折角なのでUPさせていただきます。