魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

魂魄の宰相 第四巻の三の③

2007-10-03 04:08:31 | 魂魄の宰相の連載

任用するには人材を選抜する。これに任ずる者が留意する肝心な点は、才能のみによって任用するのでは無く、徳をも以っているか否かも判定し、人が才徳を併せ持つを唯一の規範として、出自や門地は論を待たず、資格や経歴も総て偏見を鋏ま無いようにすることが肝要となるとした。このような考えを実現するに当たって、王安石は墨家の尚賢の思想を土台とし、慣習となっていた儒家に縁故のある者のみを任用する傾向を封じ込めたのだ。彼は職務の高低や軽重に従う才徳の高下の厚さで任命を決定することを主張し、徳の高い者は長官とし、比較して徳の低い者は補助として用いれば、初めて各階層毎に位の上下を容易に任用することが出来るので、それぞれ職責を全うすることが出来るとしたのだ。

   王安石は何度も官吏に対して「其の職に長く留まること」を要すると強調して、一つの職務の上で比較的安定して雇用させることを堅持しようとした。この点は迚も重要で、官吏の配置換えが短い期間で行われた為、そのことが宋の地方官の治績・行政の大きい不正行為の原因と為り、効率の低い政府と為って仕舞った重要な原因となっていたのだ。このことには裏があり、朝廷そのものにも原因があったのだ。官吏が権謀に専心して仕舞うのを防止する為に、宋の官吏をあちこち異動することに意を構え、配置換えを頻繁にし、甚だしきに至っては漸く着任するや否やその日のうちに官の配置換えすることもある様だったのだ。移動が頻繁な為、官吏は長期の計画を建てることも出来ず、短期の効果を重視することしか出来無く、その上善く情況を把握し無いうちに転勤させられることになり、一つの職務を交替されると再び元の職場に来るなどということもあり、こうなると、効率など目指すべくも無く、その上官吏の政治的業績に対して有効な考察を行うことも出来ずに、賢い者でもその功を上げることも無く、余り賢く無い者もこと細かに調査することも出来ず、昇進や降格は全く根拠無く為されるに過ぎず、その資格と経歴に依って年功序列で決めるしか無かったのだ。

   王安石が官吏の配任は長期に亘ってされるべきだと考えを実行すれば、官吏が比較的長期の計画に取り組むことが出来、有能な人は総て其の功に全力をつくすことが出来、仕事もいい加減で役にも立た無い実力の無い者や頭数を揃えるだけの者も何時かは馬脚を顕わして仕舞うことになるのを恐れて、努力せずにはいられ無く為り、本当に全く無能な理屈家は何れ襤褸が出て自ら辞職に追い込まれるしか無く為ると期待出来るのだ。その為「配属を長期に亘らせることは成績を考査することに貢献する」とし、即ち賢い者か或いは出来の悪い者かを的確に把握出来ることにもなるとした。

官吏に対して一方では其の任を長期に亘らせ、又一方では官吏を適材適所に配置をしなければならない。人は元々才能に高下があるばかりで無く、就任する仕事への適任かという観点も重視されるべきなのだ。農を知る者が農官の長に任じられ、仕事に精通している者が力を合わせて働くべきで、そうすることで自分が得能する仕事で力を発揮することが出来る職場が得られ、必ず成功を齎すことが出来るのだ。この点は古代では人と成りを軽視しがちで、又、分業するという概念に乏しく、更に、人は屡人材の専門性というこを頓着し無かったので、賢い者は総てに賢く、不肖者は万事に不肖で、誰でも全て長所を持ち、同様にまた総ての者には弱点があるということが分から無かったので、長所を看ずに短所を看て用いて来たことが愚かであり、それを避けるには短所と看られたところからも長所を見出すことも必要で、天下は万全と為るのだ。王安石は従前から専業的分業の有識者として理解され、其の上、各部門の専門の人材を育成することを極力主張して来たのであり、其の結果として朝廷は武学、律学、医学などを設けて彼のこの思想を体現して来たのだ。


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