岩切天平の甍

親愛なる友へ

マリア

2007年12月13日 | Weblog

 五年生のマリアちゃんが帰宅するのについて行って、家におじゃますることになった。家はすぐそこ、十件分くらいの間を登る石段を先回りする。普段と同じようにカメラを抱えて階段を軽やかに駆け上がる・・・筈が、すぐに息切れしてしまう。 二千六百五十メートルを甘く見すぎた。登って来るマリアちゃんをやっとの思いで迎えうつと、今度は一緒に家まで歩いて行こうとするのだが、ひょいひょいと僅か五メートル先を行く女の子に追いつけないのだ。「まりっ・・、まりあ・・、うの、もめんとー、ひーっ!」
白目をむきそうになりながら追いすがるおじさんをマリアちゃんはけげんそうに見ている。

人口百単位と思われる小さな村は、一本の石段がメイン・ストリートで、角を通り過ぎるごとにのどかで鮮やかな生活が姿を見せる。路地に遊ぶ子供達、軒下に座って刺繍をする女性、道ばたに座って話し込む男達。
美しいと思うのは旅行者の身勝手か、もう一週間もここに居たいと願うけど、あと三時間しかいられない。

マリアちゃんの家は通りから入るとすぐに居間と台所を兼ねた土間で、裸電球が揺れている。同行のスタッフが「これは・・、かなり貧しいですね。」と驚く。気の進まない様子のお母さんにお願いして、二階の子供達の寝室で、お兄ちゃんとラップトップで遊ぶところを撮らせて貰った。

学校に設置された無線LANで、子供達はインターネットを使っている。
グーグルを通して遠い遠い世界を眺めていた。
ここの暮らしが決して“貧しい”とは僕には思えないどころか、僕らが無くした何かが残っているような気さえするのだけれども、画面を食い入るように見つめる子供達を見ていると、善かれと持ち込まれた最新の文明が、子供たちに無用な貧困の意識を目覚めさせるのではないかとまたいらぬことを考えてしまう。余計な事は知らない方が幸せなこともあるのだ・・・。


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