このところ毎週末は実家です。
今週は田の草取り・・・
ホタルイが大繁殖していまして午前午後4時間、田圃を這いずり回っていました。
大桂の木が伐採されて こんな姿に・・・
もう 写真に収めることはないかもしれません。
明治生まれの 私の大叔父が 亡き母のことをうたった歌です
「この家に兄凪く亡く甥も逝き甥の嫁ひとり家守りゐる」
歌集「続 冬の雨」より
2012年
6年前、稲の植えなおし 泥田の中を87歳でもしっかりを歩きまわっていました。
皆様 良いお年をお迎えください。
同じく3月18日 その3
お彼岸なのでお墓参り
大桂の木の下にある祖先のお墓の周り
ここの福寿草も年ごとに増えてきてます。
植えた母は来れないので報告だけ・・・
こんな場所にも出没、大忙しの一日でした。
1月2日
実家にお年始
母は要介護1で 昨年6月から畑仕事はできなくなり、
ディサービスと訪問介護のお世話になっています。
そんな母でも、今までのように娘家族の心配をしてくれます。
我が家ではでバタバタしてお昼寝ができないのに
母の傍だと炬燵でゆったりと寝ちゃうんです、これが実家の魔力かな。
夕方からスターウオーズ「最後のジェダイ」
レイア姫が・・・跳んだ。
楽しめました。
9月23日
稲刈りも終わったお彼岸のお中日
実家のお墓の周りのヒガンバナが年々増えてきました。
少し山道をドライブ、
道端にアケビを発見
アケビを食べると、あごが 頬っぺたが疲れます。
1月2日
母の実家を訪ねてきました
1人で家を守ってきた叔母様が12月に入院されて退院後
お正月を過ごすために戻ってきたので、お見舞いがてらのお年始です。
母が育ったころは祖父母に親兄弟(7人姉弟)と10人以上が暮らしていた家も
跡取りの従弟も遠方に住んでいるので今は叔母一人です。
母は帰り際に、「もうこの家も見納めか・・・」と何度も振り返っていました。
暖かくなったらまた連れてこなくては。
道中から見た北アルプス
大正14年生まれの母が先日87歳になり、米寿のお祝いに家族皆んなで湯田中温泉でお祝いをしました
7人姉弟の長女に生まれた母は、大変だったこと、苦しいこと、悲しいことも一杯あったと思うけど
嘆くことなく、ぐちることもなく、生きてきました。
本当に尊敬できます。
娘と孫娘と大きなお風呂に入って、御馳走を食べて、ゆっくりやすんで母も喜んでいました。
いっぱい働いた87歳の手です
湯田中温泉「水明館」さんの御膳、おいしくいただきました。
皆良い思い出ができたと思います。
母の生家は峠を越えた隣り村、小さい頃は遠くても歩いてきました。
行楽などあまり無い時代、母や私達子供の唯一の楽しみだったのかもしれません。
その村を久しぶりに訪ねることになりました
住む人が年々減って 、空き家もあります
この家は約80年前、母が生まれたころ建てられたそうです。
少しは手が入ってますが、一階の正面は障子と雨戸だけでサッシがない、
私が幼少のころ泊まりにきたけど冬でも寒く感じなかったたのは、それが普通だったから。
84歳の母を筆頭に7人兄弟姉妹、一番下の妹とは20歳以上離れているが、健在なのは5人。
大勢の家族で賑わっていたこの家も今は母の義妹が一人暮らしです。
よく見ると、軒がこんなにしっかり建てられているのにはびっくり。
限界集落なんて言葉は嫌いです、悲しいこと、楽しいことも含めて隣近所が助け合っている様子がありました。