空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

素人さんがいっちょ噛みしようとしてもですな勉強がまず足りませんでな

2020-08-28 00:32:23 | ノート



 という、プロの一角の人に突如



 という、あまりに謎なコメントを投げかける素人さん。
 男性作家の少女漫画。黎明期は確かに男性作家ばっかの感じで、なるほど非対称性がありそうにも見えるが。



 差し当たりでもこんな感じ。漢くささでは軍オタ熱狂の『エリア88』新谷先生だってもともと少女漫画畑のはずだ。



 そんな説明。ということで、『職の有無』の点で男女の平等をいうなら、初期はともかく今現在、少女漫画家をしている人々は多く女性であると思しく、最近のポリコレの趣味から言えば強制的に男性作家を少女漫画家にせねばならぬことになりかねない。いやおかしいだろ。

 というような親切な説明を受けた後にこれである:



女性漫画家が育っていない理由」もなにも、もはや数十年にわたって女性作家が大活躍してないか? というか、その当の女性漫画家さんたちがお年を召して、ペンを持てなくなるレベルで年季が経ってやしないか? 「あのひと、まだこれだけの線が引けるのか!」と恐れられる例があるほどに。
 なので、この発言自体が事実に反する。そのうえで

ただ男女差別がありそうだからなくなってほしい」って、なんだそれは。男女差別が あ れ ば 廃止に向かうべきだろうが、「ありそうだから」とは、なんぞ。



男女差別がありそうだから」という直観に合ったデータが欲しいわけか、というか、「ありそうだから」から繋がるべきは「調査したい」「研究したい」ではないか。誰か任意の、無関係な人物が「男女差別がありそうだから」と思えばそこには差別があるはずで、それゆえに「なくしていきたい」ということになると―

 ―誰かが「ん? なんか差別あるっぽいですよ?」と思った瞬間、そこには差別がなければならず、その差別をなくするための運動を要するということになる。大丈夫か。

 ―とまあ。
 おそらくこれは「いっちょ噛み」という類の話の一例。
 まったくの素人が限られた知識で疑問を立てて、なんかかるく一発当てられないかと思っちゃうアレ。
 
 思い起こす。
 大学院生時代、某フランス関係学科の院生が当方をふらっと訪れ、『キリスト教宗教騎士団は武装しているが、日本の僧兵も武装している。そこで僧職者の武装ということで論文を書こうと思うんだが、お宅の所ではなにかないか』とか言ってきた。そもそもテンプルナイツやロードス騎士団やと、比叡なりなんなりの僧兵とを、どうやって一緒のまな板の上で扱おうというんだと問い詰めて追い出した。というか一応仮にも西洋専門の学科所属者になんで私が十字軍聖職者騎士団についての概説しなきゃいけないんだ。

 そんな、勉強がそもそも足りない事例の一つだなあと思い起こしたことである。


 ええとね、超エラクなれば、てきとーぶっこいてもてきとーに本になって儲けることができる感じではあって。だから我々だって妄想ランナウェイって感じの寝言ファンタジーを書き散らしてカネ貰ってもいいんじゃないかとかふと思えちゃったりもするけど、まあそういう外道に自分から突っ込むこたぁねえよ。まあ、プライドの問題ではあるけど。




 まあ、あれね、天才になりたくてなれなかった人が、それでも自分はそこらの凡百とは違った特色ある存在なのだと自任したく、他者に認めてほしくて、それで名乗るのが変態とかなんとか、そんなもんだ。
 呼ばれてなんぼだろ、まずは。

 続き。


 男女雇用機会均等法は1972年スタート。これは勤労婦人についていうもの。漫画家についてはどうかなあ。そして普通、現代(2000年代)の日本人的に、なんというか実効性ある意味での男女雇用機会均等法とは1999年の募集等々についての男女格差設定の禁止にあるのではないかな。そうした特色的な年代を画期に何が変わったのか―

 ―しかしなあ、1972年段階で大和和紀・山岸凉子といった、畏怖をもって言及すべきビッグネームが存在し、新谷先生がアシスタントしてるわけで―この段階で男尊女卑もなにもあったもんじゃない、実力ある者が尊で実力無き者が卑の位置だ、と言うことにならざるを得んのではないか…。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« インスリン投与阻害を断罪した件 | トップ | ドール趣味に収まるものでは... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノート」カテゴリの最新記事