空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

自殺問題メモ

2015-01-16 16:38:48 | ノート
 元は英語の勉強用に英文記事を読んだメモを残すblogだったものが、なぜかソマリア中心にアフリカニュースを追うようになり、さらにだんだん、仕事上の学習メモを残すメモ帳になりつつあるなと感慨を抱く昨今。

警察庁・平成 25 年中における自殺の状況・平成 26 年3月13 日

 14ページに年次別データがある。
 とりあえず、平成24年以降、3万人を切り、徐々に減ってきている―しかも自殺死亡率も減少していることは分かる。総体的には、まあ良い方向に向かってますね、でよいか。

 但し、あからさまに男のほうが自殺しやすい。そういう状況に追い込まれやすい、というなら、それはジェンダーの問題になる。社会的弱者ということで一まとめに言われる「女・子供」はむしろ自殺では死なない傾向にあるともいえる。ならば、自殺防止キャンペーンや自殺予防の施策というのは、社会的には強者とされるだろう成人男性に振り向けられるべき、ということになる。

 まあ典型的には、「40歳代以上で、健康問題を抱え、無職の男性(雇用保険ないし年金暮らし)」が自殺で死ぬ、ということになろうか、この統計からは。あと目を引くのは80歳代か。その年代で自殺を選ばなければならない人生というのもつらいなあ。

内閣府・自殺の統計

 こちらだと、えらく分類が細かくて、本腰を入れて分析する必要があるかと思われる。

自殺予防総合対策センター 自殺の統計

我が国における自殺死亡は、1998年に年間死亡数が31,755人と初めて3万人を超えて以来、その水準で推移しています。自殺死亡者の増加に対して的確で効果的な自殺予防対策を実施するためには、自殺死亡の実態把握を正確に行うことが必要です

 すなわち平成10年に32,863名が自殺にて死亡。そこから平成22年まで3万1千~3万4千をいったりきたりしている。平成23年に3万台にさがり、以降24-25年度は2万7千。

 さらに平成25年は2万5千台に下がっており、何が起きたのかはさておき、まずは関係諸氏のご尽力に敬意を表するべきかと思われる。

朝日新聞 自殺者、5年連続減少 3年連続で3万人下回る 2015年1月15日13時09分

昨年1年間に自殺した人は2万5374人(速報値)で、前年より1909人(7%)減った。5年連続の減少で、3年連続で3万人を下回った。男女別では男性が1万7354人、女性が8020人だった。警察庁が15日に発表した

昨年1~11月分(2万3579人)の統計を分析した内閣府によると、動機別で最も多かったのは「健康問題」の1万1870人。「経済・生活問題」は3791人、「家庭問題」は3314人だった。東日本大震災関連の自殺者は21人で前年同期より15人減った

 統計上、東日本大震災の影響は減ってきていると思われる。死なねばならぬ、と思わされる状況が減ってきたということなら、喜ばしい。

日経新聞 自殺者5年連続で減少 14年2.5万人、17年ぶり低水準 2015/1/15 12:05

14年1~11月の集計を基にした内閣府の統計によると、355人減った60代を筆頭に各世代で減少。健康問題や経済・生活問題を動機にした自殺者が大きく減った
集計によると、男性が1万7354人(前年比1433人減)で、女性が8020人(同476人減)

 …男性の減り幅が大きいように見える。

 Ciniiで読める論文・報告をちょっと探す:

Cinii II-1. 川根本町における自死予防対策 : 3年間の総括(一般演題,第67回日本心身医学会中部地方会演題抄録)

 …ど地味な、「足で稼ぐ」式の対応がまずは有効なのだろう。やっぱり。
 うつ病対策が挙げられているが、そういうのは通常/旧来の医療のパターンにはあまりなじまない、とも言われる:

Cinii 自死念慮者支援における宗教者の役割(第十三部会,<特集>第72回学術大会紀要)

 宗教者の役割、というのも重要になるよねえ、というわけだ。
 ところが、そりゃまあ大乗仏教だし利他行だし、それでなくても檀家(顧客と言ってもいいかもしれないが)の相談にのるのは当然!とは思われながらも:

Cinii 自死念慮者に対する相談活動におけるセルフケアと仏教(第十三部会,<特集>第72回学術大会紀要)

 坊主も、そりゃ普通の人間だし。ストレスにもなるよねえ、というわけだ。
 この際、通例のカウンセラーとしての技法を習得することは、場合によってはマイナスかもしれない―「中途半端な知識は逆効果という声も見られた」とあるのは興味深い―
 ―が、まあ常識的に考えて、それもそうだよなあ、ということかもしれない。なにしろ、寺の坊主というのは、生まれてこの方ずぅっとそこに生きているわけであり。近所の檀家のひとたちとは、自然な仲間意識をはぐくんでいると期待されよう。だから、(場合にもよるが)心理学的に正当な手続きそっちのけで酒飲み仲間のノリで腹割って話をして解決、という道もないではないだろう(とある坊さんの顔を思い起こしながら)。

 そこは、ケースバイケース。

和光大学リポジトリ 現代日本社会の自死について考える : 秋葉原事件を中心に

「社会的な死」との関係。
 まー私もある種、一般社会的にはあんまり生きていないひとなんじゃないかなーと思いますけど、研究者的にはまず十二分といっていい程度に生きていますから、まあいいか。

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