空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

己が航路の船頭さん。

2014-12-14 20:00:00 | Weblog

 ところで、2009年の選挙のとき、相手方に対するネガティヴキャンペーンをやってしくじった党があったと思いますが、今回、その役をになうのは、それはどちらさんになるんでしょうね?

 安倍首相の悪口は大変によく聞いた。
 まあ私も、あれはちょっとなあ、とか言う。

 それゆえ自民党に入れるな、入れるとあのあほが暴走する―という具合の話をよく聞いた昨今であった。が。

 その「あほ」がすでに二年ほど政権持たせているのである。

 ということは、あれだ、我々は飛び抜けすぎたあほで、一年もたなかったあほの例を最近みてしまったのであって。―この言い方だと、直近で複数いるからどの誰かはわからないが、しかしまあやめさせられたあと、運悪くやめさせられただけの可愛そうな運なしだったのか、根本的なあほか根本的に下劣かとか、まあ彼らはその身でもってその本性を満天下にさらしているのである。

 死ぬほど地味などぶ板選挙に戻った愛すべき泥鰌氏とか。
 あほの二代目を上手くあやつっているかもしれない失言魔の外見マフィアもどきとか。
 むしろ「ひとは固有の本性を持つ」という信仰を哲学的には無根拠なフィクションであると示すべく、行く先々で期待される発言を期待されるように空気をよんでリップサービスしまくる元平和の象徴とか。
 その三歩歩けばさっきのことを忘れるその名の通りの鳥頭をだまして権力の座に居座った挙句、ゾンビ当選の分際でえらそうな、口だけは元首相級のお遍路氏とか。

 とすると、このあほどもの中で、まあせめて二年くらい政権を持たせるだけの運があり、またお神輿・操り人形になる程度の知性を備えているのは誰かということになり、そりゃ消去法でそーなるよな、というところ。

 とりあえず、私が誰を嫌っているかだけは非常に良くわかる文章である。

 反原発闘争の、管はまあ象徴なのかもしらんが、長年一緒に仕事をしてきた財布じゃねえや同僚を密室で騙したことは憶えているぞー。いくら相手が鳥だからって、騙すのは人道に反するぞー。

 まあそんなこんなで。
『ああ安倍などを首相においておくと、恐るべき暴走が!』
 と恐れる向きはあろうが、アレはすくなくともお飾りができる知能があるぶん、元平和の象徴より知性的であると言えるであろう。
 それで、まあそこまで悪くはないのだ。それなりの衆知を結集して操るのだから。


 他方、首相が独自に暴走する恐れは、まああるのだが。

 暴走した結果、どうなるかというと、外交から内政からしっちゃかめっちゃかになって、支持率はナイアガラの滝のごとくフリーフォールし、首相の首切りでひと段落することは明らかなので、まあそれなりの安心はして宜しいかと。

 まあ、それは元平和の象徴氏がそれだったわけですが。

 でまあ、次に自民が誰を立てるかは分かりませんが、そんなののあとでは混乱収拾に力を注がざるを得ず、”独自路線”などめったにできたものではない(やっちまった前例は直近にあるが)。

 そこでさらにしくじれば、”民意に問うていない首相をそんなに続けるのはどうか。さっさと総選挙だ、野田が追い込まれたように、さあ選挙だ!”と圧迫を受ける。

 一回の選挙で一切合財が決まるわけではない。それを我々は、元平和の象徴氏のときに学んだではないか。圧倒的な民意の支持を得てさえ、八ツ場ダムは結局建設停止せず、沖縄基地問題は単に紛糾の度合いを深め、「仕分け」をしてみては単にショーに終わって予算は復活し、その時間とショールーム設営経費分が無駄になり、学術は進まず、経済はどうも低迷し、東洋の安寧と友好は深まらず、果ては首相がルーピーだと馬鹿にされ…。

 そう。安倍氏が、もしか今まで隠していただけかもしれないルーピーの本性を現しだしたら、先の例に鑑みると、1年を待たずに政権の座から引き摺り落とされるのである。

 何しろ我々は、自民党の連中など、国民の生活を顧みない、己の権力欲に満ちた俗物根性連中の巣窟だといっているではないか。
「無能」としか評価のしようがない本格的なあほなど、さっくり引き摺り落として自らが首相になろうとする俗物には事欠かないわけだ。
 したがって、首相が馬鹿をやれば、割と速やかに政権交代が行われる流れになることは明らかだ。

 憲法改定?
 そんな大問題を、ざくっとできるとでも?
 以前のファンタジー小説みたいなのをまた出してきたら、政権、倒れますよ?


 まあそんなこんなで、自民党が勝利するらしいこの選挙に際して、世界に日本に絶望して諦めたとゆーひとがいるようですが:

ポリタス 【総選挙2014】もう投票しなくていい 2014年12月14日 森達也 映画監督・作家・明治大学特任教授

 抵抗するふりさえできない己の無能を、そんなに全開で衆目に晒さなくてもいいだろうというか。
 一応仮にも学校の先生の立場であって、自己の見解をひとより余計に他人様に聞かせられる地位をもっていて、それで粘り強く我らが明日のために教育することもできないというのは、まあ困ったものですね。それこそ己の嫌う政権を利する行為であろうなと。

つまり法案はさくさくとすべて通る。ねじれ解消良かったね。ならば二院制の意味は何だろうと思うけれど、もう言わない。だって将棋でいえば詰み。チェスならチェックメイト。臨界は超えた。もう制御はできない

 民意が制御しましたね、数年前には。
 いくらでも法案を通せる状況にあった某党は、結局なにほどのこともできずに自壊していきましたね。せっかくねじれを解消したんじゃなかったんですっけか? それなのに、さっくりねじれ返されたんじゃなかったですか? 

 それでもなお、絶望というのであれば、それは『民主党の中のひとたちより、自民党の中のひとたちのほうが圧倒的に有能である』ということを真としないと、理解しがたい。そしてその有能さは国家全体を圧倒するほどだと。

 …馬鹿首相に率いられた最低政権なんじゃなかったですか、あれは? こゆこという人の立場からすると?

 馬鹿レベル(仮に)5の政権に騙される人々は、そうするとはるかに馬鹿レベルが高い、と設定されていることになるのかな。すると、こゆひとたちから見ると、賢すぎる自分たちは馬鹿政権に騙される馬鹿市民には付き合いかねると、そう宣言していることになるのかな。それで市民的支持が得られると思うならそーしとけ。



 ともあれ。

 我が国の歴史を見るに、だいたい1950年頃(朝鮮戦争のころ)以来、ざっと60年ほどに亙って急速に右傾化し続け、60年ほどに亙って急速に戦前に逆戻りし続け、60年ほどに亙って戦争の足音が近づき続け、60年ほどに亙って憲法改悪の極右の攻撃に晒され続け、60年ほどに亙って再び若者たちが徴兵制によって戦場に狩り出される危機に直面し続けてきたのであった。

 その時々の情勢判断は、その当時の雰囲気を見るにまあ一定の合理性があったと思われる。

 で、なぜに極右による戦前回帰が為されなかったというに、戦後民主主義が強固の度合いを増し続け、その時々でたたかいを行い続ける人々がいたからではないのか。

 そのように先人の苦闘を紐解くこの指は、なるほど今度こそ終わりなのかもしれないね、と綴る。

 口先で政権の悪口を言って、それだけで国民の支持を得られるかの如く思いなし、得られないとなると国民をまるごと馬鹿扱いして「オレは諦めた」と嫌味だけ言うものがえらそうにしているのでは。




 でまあ、たぶん今晩から明日のtwitter界隈は、すっごい精神衛生に悪そうなので、酒飲んで寝ちまえ。って気分。




 …でも改めて思うが、私って中高生時代以来、ほんと原理主義的民主主義者なのだなあ。
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