お元気ですか
そして日本を騒がせる事件とは...
それは1853年6月3日浦賀沖に4隻の黒い船が現れた
皆様ご存知、ペリー率いる黒船の来襲である
黒船は大砲を備えた鉄張りの蒸気船で民衆が見たことのない大きさ
数百年、戦をしていなかったこともあり、江戸の人々はお店に駆け込み
武器や甲冑を買いあさったという
売った方はボロ儲けですね
現代でいうと関東で記録的な雪が積もり、スコップや長靴が店から消えるみたいな
ここで幕府は老中 阿部正弘が前代見聞の策をとりました
それは基本的には政治に関しては大老、老中、譜代大名にて決めるのだが
「開国」か「鎖国」かを朝廷、新藩・外様大名に意見聴取をとったのである
さらには一般民衆にも聴取したという
幕府は判断力がないことをあからさまにした
あきらかに幕府の弱体化が伺える
その頃、龍馬は日根野弁治道場でめきめきと成果を上げ、なんと19歳で
小栗流目録を授かる
これは小栗流をマスターしたことの証
坂本家では大事件
姉の乙女は特に喜んだ
これを機に龍馬は江戸へ剣術修行にでる
これも驚きのことである
それは土佐藩から外にでることはそうないことで藩という国をでること
現代ではいわば海外へでることと同じである
龍馬が出立するときには坂本家親戚一同で祝い龍馬を見送ったという
龍馬の行き先は江戸 三大道場のひとつである北辰一刀流 千葉道場 千葉周作の弟
千葉定吉道場 またの名を「小千葉」へ入門した
千葉定吉の息子である師範代 千葉重太郎とも意気投合し仲がよかった
また、定吉の娘である佐那との恋話は有名である
そんな中、龍馬はこの千葉道場で北辰一刀流を学ぶのである
ここで豆知識として剣術流派と道場の説明をします。頭の隅で良いので
知っておくと、いろいろな人物との繋がりがみえてきますよ
まずは江戸 三大道場
先ほど出てきました北辰一刀流 道場主 千葉周作の玄武館である
有名どこで清河八郎(浪士組結成:新撰組である近藤勇らを京都へいくきっかけともなる)
そして新撰組である山南敬助、藤堂平助などがいた
二つ目は神道無念流 道場主 斉藤弥九郎の練兵館である
有名どこは長州藩 桂小五郎である
桂小五郎は長州藩のキーマン的存在なので覚えておいてね
そして三つ目は鏡新明智流 道場主 桃井春蔵の士学館である
有名どこはこのブログのはじめに出てきた龍馬の親友または兄弟みたいな存在である
武市半平太そして岡田以蔵である
この三大道場は世間では「位は桃井 技は千葉 力は斉藤」と称せられ藩士はこぞって
これらの道場に通っていた
あと抑えておきたいの同じ江戸にある天然理心流 道場主 近藤周助の試衛館がある
ここには近藤周助の後を継ぐ後の新撰組 局長の近藤勇、土方歳三、沖田総司がいます
覚えておいてね
龍馬が江戸剣術修行にはこんな逸話があります
土佐藩主 山内容堂主催で江戸にて各道場の強者剣客が集まり剣術大会が開かれました
そこに千葉道場の代表として龍馬が出場
このころ龍馬の名は世間に知られていないが、なんと次々と倒し決勝戦へ
相手はなんと神道無念流 練兵館代表の桂小五郎
そして結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・龍馬の勝利
龍馬は世間に名を広めました
しかし土佐藩主 山内容堂は優勝者が土佐藩出身と知り初めは喜んだが
後で郷士と知り がっかりしたというエピソードがある
龍馬はその後、北辰一刀流の免許皆伝の流目録を授かり千葉道場塾頭にもなった
弱体化をあらわにした幕府にたいし、世間では・・・
そして今後の龍馬は・・・次回をお楽しみに
基板設計・FPGA開発は、テクニカにお任せ下さい!!
そして日本を騒がせる事件とは...
それは1853年6月3日浦賀沖に4隻の黒い船が現れた
皆様ご存知、ペリー率いる黒船の来襲である
黒船は大砲を備えた鉄張りの蒸気船で民衆が見たことのない大きさ
数百年、戦をしていなかったこともあり、江戸の人々はお店に駆け込み
武器や甲冑を買いあさったという
売った方はボロ儲けですね
現代でいうと関東で記録的な雪が積もり、スコップや長靴が店から消えるみたいな
ここで幕府は老中 阿部正弘が前代見聞の策をとりました
それは基本的には政治に関しては大老、老中、譜代大名にて決めるのだが
「開国」か「鎖国」かを朝廷、新藩・外様大名に意見聴取をとったのである
さらには一般民衆にも聴取したという
幕府は判断力がないことをあからさまにした
あきらかに幕府の弱体化が伺える
その頃、龍馬は日根野弁治道場でめきめきと成果を上げ、なんと19歳で
小栗流目録を授かる
これは小栗流をマスターしたことの証
坂本家では大事件
姉の乙女は特に喜んだ
これを機に龍馬は江戸へ剣術修行にでる
これも驚きのことである
それは土佐藩から外にでることはそうないことで藩という国をでること
現代ではいわば海外へでることと同じである
龍馬が出立するときには坂本家親戚一同で祝い龍馬を見送ったという
龍馬の行き先は江戸 三大道場のひとつである北辰一刀流 千葉道場 千葉周作の弟
千葉定吉道場 またの名を「小千葉」へ入門した
千葉定吉の息子である師範代 千葉重太郎とも意気投合し仲がよかった
また、定吉の娘である佐那との恋話は有名である
そんな中、龍馬はこの千葉道場で北辰一刀流を学ぶのである
ここで豆知識として剣術流派と道場の説明をします。頭の隅で良いので
知っておくと、いろいろな人物との繋がりがみえてきますよ
まずは江戸 三大道場
先ほど出てきました北辰一刀流 道場主 千葉周作の玄武館である
有名どこで清河八郎(浪士組結成:新撰組である近藤勇らを京都へいくきっかけともなる)
そして新撰組である山南敬助、藤堂平助などがいた
二つ目は神道無念流 道場主 斉藤弥九郎の練兵館である
有名どこは長州藩 桂小五郎である
桂小五郎は長州藩のキーマン的存在なので覚えておいてね
そして三つ目は鏡新明智流 道場主 桃井春蔵の士学館である
有名どこはこのブログのはじめに出てきた龍馬の親友または兄弟みたいな存在である
武市半平太そして岡田以蔵である
この三大道場は世間では「位は桃井 技は千葉 力は斉藤」と称せられ藩士はこぞって
これらの道場に通っていた
あと抑えておきたいの同じ江戸にある天然理心流 道場主 近藤周助の試衛館がある
ここには近藤周助の後を継ぐ後の新撰組 局長の近藤勇、土方歳三、沖田総司がいます
覚えておいてね
龍馬が江戸剣術修行にはこんな逸話があります
土佐藩主 山内容堂主催で江戸にて各道場の強者剣客が集まり剣術大会が開かれました
そこに千葉道場の代表として龍馬が出場
このころ龍馬の名は世間に知られていないが、なんと次々と倒し決勝戦へ
相手はなんと神道無念流 練兵館代表の桂小五郎
そして結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・龍馬の勝利
龍馬は世間に名を広めました
しかし土佐藩主 山内容堂は優勝者が土佐藩出身と知り初めは喜んだが
後で郷士と知り がっかりしたというエピソードがある
龍馬はその後、北辰一刀流の免許皆伝の流目録を授かり千葉道場塾頭にもなった
弱体化をあらわにした幕府にたいし、世間では・・・
そして今後の龍馬は・・・次回をお楽しみに
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