雑居空間
趣味のあれこれを、やたらめったらフットスタンプ




 これも2月の話ですが、栃木県にある唐沢山城と佐野城、そしてついでに周辺にある山々に登ってきました。
 


 唐沢山城と言えば、関東七名城の一つにも数えられる山城です。続日本100名城にも選定されていますね。

 実際はそこまで歴史を遡ることはできないようですが、伝承によれば唐沢山城は藤原秀郷が築いたとされています。藤原秀郷はまたの名を俵藤太ともいい、平将門の乱を平定したり、三上山のムカデを退治したり、多くの武勇伝で有名ですね。
 その後いろいろあって、戦国時代には秀郷の血を引く佐野氏が治めることになります。この地は北条氏と上杉氏に挟まれており、上杉氏に従ったり北条氏に従ったりして苦労しますが、堅牢な唐沢山城にも助けられ、なんとか生き延びることに成功します。
 その後も佐野氏は、秀吉の小田原征伐であやうくつぶされそうになるも、一族に秀吉の配下がいたためなんとか助かり、関ヶ原では東軍に付いて、どうにかこうにか佐野藩藩主として江戸時代までたどり着くことができました。

 しかしながら、江戸時代初期に、山のふもとに佐野城を築いてそちらに移り、唐沢山城は廃城となります。一説には、江戸で火事があった際に、唐沢山城からその火事が見えたために急いで駆け付け消火作業に当たったのですが、そのことが逆に、江戸を見下ろす位置に城があるとはけしからんと問題視されたのだとか。まあ幕府としても、平和の時代にあっては、地方の力をなるべく削いでおきたいところですしね。
 さらに悪いことに、藩主佐野信吉の弟にあたる宇和島藩主富田信高が起こした騒動に連座する形で改易され、大名としての佐野氏は終わりを告げます。のちに許されて江戸に帰参しますが、その後は旗本として生きていくことになります。

 現在、唐沢山城本丸跡には、藤原秀郷を祀っている唐沢山神社が建立されています。



 スタートはJR佐野駅。佐野城は佐野駅に隣接する城山公園として遺構が残っています。
 連郭式の平山城となっており、佐野駅から見て、三の丸、二の丸、本丸、北出丸と、直列につながっています。



 駅を出てすぐのところは三の丸。公園になっているので、この辺からは城の様子は伺えません。



 二の丸もぱっと見は普通の公園ですね。





 わかりやすいのは二の丸と本丸の間。ここには大きな堀の跡が残っています。





 その奥にあるのが本丸。少し広々とした空間になっています。





 石碑もいくつか。



 佐野城跡は小高い丘の上にあるので、市街地を見下ろすことができます。





 本丸の奥には北出丸があります。



 本丸と北出丸との間にも堀跡が残されています。





 北出丸には、日清日露戦争から太平洋戦争までの、戦没者霊苑があります。





 佐野城址公園を下から。

 佐野城跡は城郭などはありませんが、立体感のある遺構はそれなりに残っていて、なかなか面白かったです。



 続いて唐沢山城へ。

 途中、通り道にある浅間山に登り、さらにハイキングルートとなっている山道を通っていったのですが、今回は城攻め記事なので割愛。山登りパートについては、別途記事にまとめようと思います。

 唐沢山城へは車道が普通に伸びているので、わざわざ山道を歩かなくても、観光するだけなら車でお手軽に訪れることができます。





 唐沢城跡の手前に、鏡岩があります。この鏡岩に太陽の光が反射し、そのまぶしさで攻め寄せてきた上杉軍を撃退したという伝説があるのですが……。
 うーん、苔むしているのはまだしも、こんなに表面がゴツゴツしていたら、伝説の説得力はありませんね。





 さて、いよいよ唐沢山城跡へ。





 入り口付近にあるのが天狗岩。ここからは良い眺望を望むことができます。



 赤城山、榛名山から、浅間山、秩父連山、東の方は筑波山。さらには、遠く富士山まで見通せるようです。







 この日はちょっとモヤっていて、なかなか遠くまでは見通せませんでした。





 唐沢山城と言えば猫。敷地内にたくさんの猫が棲んでいます。











 ここはもう立派な観光地となっているので、いちいち触れませんけど、見所も多いし、案内板の類も豊富です。





 ようやく三の丸に到着。だだっ広い広場となっています。
 右側にある土手の上が二の丸となっています。





 三の丸の隅に、人形供養塔がありました。





 二の丸へ。しかし、自動車が止まっていると、戦国感が大きく削がれてしまう……。



 二の丸からさらに登っていくと、いよいよ本丸です。





 冒頭でも書きましたが、本丸には現在、唐沢山神社が建てられています。



 神社の横には、謎の顔出し看板が。……イヤミ?



 唐沢山神社の正面へと降りていきます。
 っていうか、山登りしながら神社を訪れると、なぜかかなり高い確率で、正面の表参道ではなく、横とか裏とかから入っちゃうんですよね。



 下から見上げる本丸。この立派な石垣は、唐沢山城のシンボルとも言える存在です。





 本丸の下には南城跡が。ここからも良い眺望が望めます。



 南城跡にある社務所で、続日本百名城のスタンプを押します。スタンプの図案は、本丸の石垣ですね。3つ前の画像と見比べてみてください。
 これでスタンプはようやく二つ目。先は長い!



 本丸からさらに奥へと進んでいきます。まずは長門丸。





 しかし、本丸から南城跡までは結構観光客も多かったのですが、ここから先はほとんど人がいませんでした。せっかく城跡に来ているのに、なんで隅から隅まで見て回らないのかなぁ?



 その奥には平城、あるいは金の丸とも。元々、御宝蔵があったところだそうです。
 この、明らかに歴史のなさそうな建物は金の丸ロッジと言い、子供の教育用施設だそうなのですが、あんまり使われている感じはありませんでした。



 杉曲輪。
 さっぱりとして何もなく、さすがにこれは、観光客も寄り付かないだろうなぁ。



 そして最奥部。平とや丸、または北城。
 今はキャンプ用の広場になっているようで、車座になれるベンチが設えられています。



 炊事場もあります。



 唐沢山城はめちゃくちゃ観光地化されているので、戦国の臨場感という意味ではいまいちでしたかね。しかしさすがに広くて見所が多く、山城らしい立体感も味わえ、なかなか楽しめました。



 この後、関東ふれあいの道の栃木コースのひとつ、「松風のみち 」を通って諏訪岳まで縦走していくのですが、長くなるのでその辺の話は浅間山とセットにして、山登り編として別に書こうと思います。



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