かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

発病1周年記念日に。

2014-12-24 | 気ままなる日々の記録

 数日前が発病一周年記念日(12月15日)でした。昨夜見たゆめの中の自分が半身不随であったことに、いたく感動しています。半身不随を夢の中で認知するまでに1年かかるということでしょうか。子どもが小さいとき欲しがったので飼っていた子犬を連れて散歩に出た私が突然走り出した犬に引かれて道でこけてしまった夢でした。私は今、道で倒れると自分一人では立ち上がれません。近くに支柱があるか、誰かに上半身を引き上げて貰わないとダメです。

 ここで思い出すのが俳聖松尾芭蕉の辞世の句です。芭蕉がもう少し長患いしていると「夢は荒れ野でうずくまる」とかなんとか、旅先で病んでいる自分が夢に出てきたはずと思えます。この方が一層旅を愛した俳聖の哀愁がにじみ出るのではないでしょうか。

「旅に病み、夢は荒れ野でうずくまる」《オソマツ代作)失礼シマシタ。

ここで反論が出ましたので紹介します。論者は私の家内です・論点は俳聖の辞世の句の夢の意味です。夢には二つの意味があります①睡眠中に見る夢。②(理想・希望)・(願い・望み)と云う意味での夢です。俳聖の夢は枯野を駆け巡るは②の意味ではないだろうかと思うから、つまり、あなたの解釈のように寝ているときに見るゆめではないので、「枯野を駆け巡る」でよく気持ちが分かるのではないか、というものです。だから、うずくまらなくていい、というのです。ギャフン。はてさてどちらでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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